大阪府警機動隊員「土人」発言とその顛末をめぐって

2016-12-10 22:52:56 | 日記
レダック アラコキ奮闘記 2016.12.9

 うかうか暮らしているうちに、ふと、気がつけば師走となっている。一年を振り返り、年を新たにするに当たって心を括りなおすというほどのこともないが、ブログに書ききれないまま、気にかかることがいくつかある。トランプ現象などは多くの論評もなされていることだし、私なんどのしゃしゃりでる必要もないが、私レダックが曖昧にしたくないことは論じておきたい。

① 最初、このニュースを聞いてのけぞった。それまでもトラブっていた沖縄東村高江の米軍ヘリパッド建設工事に反対する住民や支援者に対して、「土人」「帰れ」、また別の者が「シナ人」と言葉を投げ付けたというのだ。しかも、それが大阪府警の機動隊員という(以下この人をAと表示する)。
  当初の私の疑問は、Aがどうしてこの言葉を使ったのか、どういう意味を持った言葉と思っていたのか、ということだ。その前提として、どういう経緯で「土人」という言葉を知ったのかということも・・

② アイヌ民族に対する「旧土人保護法」という法律(M32年というから1899年19世紀末につくられ、なんと平成9年になってやっと廃止)があったくらいだから、「土人」という言葉は結構流布していたのかもしれない。しかし、私がこの法律の存在について知ったのは教職についてからのことで、大変驚いた。オーストラリアのアボリジニに相当する「先住民族、原住民、土着民」という意味合いらしい。自分たちとは人種的にも文化的にも低位の民族という排他的ニュアンスに満ちた言葉だ。
私個人としては、幼少期に覚えた第二次大戦時の南方侵略時の歌のほうをなんとなく思い出す。題名も知らないが「私のラバさん(註 lover-恋人)、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」というものだ。この酋長や酋長の娘が土人で色が黒いというイメージが植え付けられていた。私の中にも、土人=色が黒いというイメージ・偏見があったわけだが、完全に死語になったと思っていた。だから、今回の件で、若い者(警官だけ?)の中で未だに死語ではなくて流布していること、それも沖縄の人々に投げつけているという事態が理解しがたく怪訝な気持ちにさせられた。「エ?!ドヒャー」という感じだ。
追っかけ報道によると、基地反対運動に対して派遣される他府県の警察官の間でも、沖縄住民に対して「土人」という言い方をしている例があるそうな。しかも、「米軍基地の存在によって補償金などをせしめる沖縄人が少なくない」という認識の警官もいるということだ。土人という言葉を「原住民」のこととしてインプットされたという推測もありうる。しかし、今回の件は断じてそうではない。何も「土人」は差別語だから使ってはいけなくて、「原住民」はそうでないからかまわないという意味ではない。

③ 本来、言葉の中に「差別用語」とそうでない言葉の2種類があるのではない。その用語がある種の属性を持った人々に対して、低位性の象徴や侮蔑の対象、それゆえ自分たちとは異質の排除されるべき者ものという意味で使われているなら、差別語なのである。すなわち、使用者が「侮蔑」や「排除」の意識をもって発しておれば、それは差別である。あるいは、無知ゆえにその用語の意味を理解・意識しておらずとも、受け手や、その他の聞いた他の人々に「侮蔑」や「排除」のイメージを想起させるならば、これもまた差別である。そして、差別とは、合理的理由がないまま、発せられた対象に対し不公平、不利益、あるいは耐え難い苦痛をもたらし、人間関係を断絶・遮断させるがゆえに問題なのだ
(同じ用語でも、説明や研究等の文脈の中では、差別とはいえない)

<註1> 馬鹿な評論家やマスコミの一部が「差別語」を分類し、使用不可のレッテルを貼ったり、自主規制などするから話がややこしくなってしまった。「言葉狩り」という逆キャンペーン、挙句の果ては「表現の自由を守れ」と叫ぶ者たちに口実を与えてしまったのは残念だ。
<註2> 同じような過ちは「いじめ」に対する対応の中にもみられる。ある行動が「いじめ」と判定されれば取り組みが行われ、そうでないなら見過ごされ、挙句の果てにエスカレートし、痛ましい結果を招くという事例をもう聞きたくないのだ。現に、苦しんでいる彼・彼女に教師がどのような支援の手立てをするかが問題なのであって、定義なんどは後でいい。

この場合には、「我々、公務を行っている機動隊員に対し抵抗し非難をする者たちは、お上に盾突いてけしからん。ましてや沖縄の住民は、もともと我々とは違う。断固排除されるべきだ」という(内包的)意味を含ませていたのだと思う。
  註 根底には、沖縄に対する米軍―日本政府の扱いの問題があることは論をまたない。「沖縄住民―土人」の図式は、これまでの沖縄政策の結果とも言える。しかし、話が拡散しすぎるので、ここでは触れない。
 
④ だとすると、大阪府警ないしは大阪府のなすべき課題は、表面上反省させることよりこのAに、生育史を振り返らせ、いつ、誰から、どういうイメージをもって「土人」という用語を覚えたのか、いまの認識はどういうものかを徹底的に聞き取りすること、さらに、差別的に使用したことに対する指導をしたうえで反省点を明らかにすることが必要だ。そして、もし、Aが大阪出身、つまりは大阪の学校教育を受け、その中でで「土人」を知ったのなら、学校教育の課題の一つとして指導に当たる必要がある。
(人権教育に最も先進的に取り組んできた府県で、元教職にあった者として恥ずかしい限りだ。少なくとも現役であったころには「土人」にまつわる差別事象はなかったことは断言できるのだが・・)。

⑤ あるいは、警察学校での教育についても点検されてしかるべきだろう。授業内容には「職務倫理」や「法学」があるらしいが、住民の反対運動がある所への派遣をめぐってはどんな「指導」がされているのだろうか? まさか、「お上に盾突く不逞なやからは、国民・市民と考えずに排除しなければならない」とでも「指導」されているのではないんでしょうね? ぜひ、明らかにしてほしい。
 
⑥ ましてや、その派遣要請に応じて命令を出す松井知事は、究極の責任者ではないのですか。それを「相手もめちゃくちゃ言うとる」として同情的に擁護をするなんて、大阪府民として、これまた恥ずかしい。この知事発言は、攻撃または口撃を受けたらやりかえしてよいという意味だ。大阪のザックバランな体質のせいかも知れないが、「警察官も、公務員でしょう。大阪の品格を落としているのは、吉本のせいちゃう」と言いたい。橋下―松井ラインで大阪の文化芸術・教育などの公的助成を切りまくるだけでなく、ボロクソに攻撃をかけ続けた結果、これらの分野の威信は低下した。既成のものをくそみそにけなして「威信失墜」させる「維新」の手法は、ア、どこかの国の選挙と一緒や! そして今、万博・カジノ誘致に血眼になっている。なんとも品がない。

⑦ さらに話をややこしくしているのが、鶴保とかいう大臣だ。政府もさすがに今回の件については菅さんが「不適切で・・大変残念」と言っているのに、「差別であると断じることは到底できない」、さらに「言論の自由は誰にもある」と言い出した。横からしゃしゃり出たのではなく、「沖縄・北方領土」担当だからというのだから驚きだ。前任の女性も「歯舞」を読めず、ズッコケさせてくれたお人だから、よほどこのポストは物議をかもす人向けに用意されているかと邪推したくなる。論理がめちゃくちゃで、「差別用語とされるものでも過去には流布していたものもたくさんある」というのが論拠らしい。沖縄・沖縄人を低位に見る意識がなければ、こんな一丁噛みはしないと邪推されるのを厭わないほどアホなお人のようだ。

⑧ 任命責任の安倍総理はどうか。沖縄を自国の領土として振興を図る努力より、基地の島として米軍に従属した戦略を沖縄に押し付け続けた結果こそが、今回の事件の原因を作り出したのだと思う。 いまや、自らがトップセールスマンとしているのが原発と武器だって・・オバマ大統領の広島訪問実現にもかかわらず、国連総会で核不拡散決議に反対した被爆国って・・何?・・・世界から顰蹙を買うことも恐れず、ひたすら・・こんなこと書き始めたら、きりがないので止めます。

⑨ こんな文章を書かざるをえないのは、ヘイトスピーチも、相模原の19人殺傷事件の犯人の言動も、この土人発言も、通底するものは同じだと考えるからだ。平和主義がいまや危うくなっていることには多くの人が指摘しているところであるが、「人権」についても空洞化が進められている。侵してはならない一線を平気で踏み越えるだけでなく、むしろ正当化し広言する風潮に危機感を覚える。アラコキ奮闘記には、もっと楽しいことを書きたかったのに、憂鬱な年の瀬ではある。