安保法制 自衛隊

2015-09-23 15:18:43 | 日記
⑤ 「自衛隊員の命とくらしを守ろう」
  「自衛隊員の良心的拒否を保障せよ」
     (安保法制 反対 理屈編 パート🉂)

 年寄はガンコだもんね。いくら可決したからといって、「ハアーそうですか」と言って引き下がるわけにはいかない。若いみなさんは次の選挙でかたき討ちと言っており、それはそれでやってもらったらイイけど、議会制民主主義に幻想を持ってない私、レダックといたしましては、法を軽々に執行させない、というあたりの目配りをしてもらいたいと考えている。
 「あんな形で決まったからには、認められない」「法案無効の戦いをすべきだ」という方々も多いかとは思う。しかし、政府・国家権力というのは、憲法は無視しても、自分に都合のいい法律の執行はうるさい。「日本は法治国家なんだから」とか言ってね。

 当面予測されることの一つが、現にPKOで派遣されている国への、今度は公然と武器を携えての自衛隊の海外派兵だ。「駆けつけ警備」とあの髭の佐藤が言ったの?
晴れてこれで行けると考える自衛隊員もいるだろうが、「こんなはずではなかった」と不安に感じる隊員、とりわけ家族は少なく無かろう。だから、自衛隊基地のある街で集会・デモを行い、「自衛隊員の命とくらしを守ろう」と叫ぼう! 万一のことが起これば、誰が責任をとるのか? 例外なく国会審議があるんでショ? その都度の戦いが、権力側から提起されることになる。
 
 そして、積極的に「自衛隊員の良心的拒否を保障せよ」という提起も重要だと考える。
 
 大体、信仰心の伝統の薄い日本社会では、「良心」という言葉を使う文化は薄い?。思想・信条は「理解」できても、「良心」に基づく行為というのはあまり聞いたことはない。
ロシア皇太子暗殺未遂の大津事件の時の裁判官とか、ユダヤ人へのパスポートを発行し続けた杉原千畝さんとかがそれに当たるのかな? しかし、キリスト教文化に裏打ちされた西欧社会では「良心的徴兵拒否 conscientious objection」という言葉が知られている。
第一次世界大戦への反省から、「銃をとって人を殺したくない」と考える人々の中から、徴兵という国家社会への義務を拒否して捕えらるかわりに、代替措置として労働を認めよ!という主張が認められた。英語でも長いのでよくCOと言われる。この流れを受けて、日本でもワーク・キャンプというボランティア活動が普及するようになった。
災害救助で国民の信頼を受けている自衛隊員とて、海外派遣という任務まで想定して入隊したとは限らない。海外派兵の場合、派遣される隊員一人一人の意思を問う事前手続きが必要だ。その際、「拒否」を言明した隊員に対し、これを「良心による拒否」と認定することが大切だ。自衛隊の中でのペナルティ規定など知らないが、少なくともペナルティ対象にしないという保障が必要だ。
「憲法19条 思想および良心の自由はこれを侵してはならない」 
「憲法守れ! 憲法生かせ!」「自衛隊員の良心的拒否を保障せよ!」

(若者の運動に便乗してきた政治家のみなさん、どうすれば上記提案を具体化できるかくらい考えてよ)

アラコキ奮闘記 安保法案 4回目

2015-09-22 10:43:13 | 日記
④ 安保法案 集会参加 その3
 9月18日、参院特別委での強行採決を経た安保法案は、いよいよ大詰めを迎えた。本日中の本会議での採決が濃厚である。
 
 ネットで集会情報探すと、シールズ集会が18時半 梅田淀橋カメラ前で、とある。毎週金曜に抗議集会をやっているとかで今日で12回目。20時まで入れ替わりスピーチがあった。世界の大情況から初めて日本の政治状況、その中で「この問題は・・」と語るかつてのリーダーたちと違い、飽きないのは、完全に自分の言葉で喋っているからだ。まさに隔世の感。政治パンフレットの文言から自分史の語りへという文化の違いが感じられる。「選挙権はないが行動する権利はある」という在日4世や、家族の難病語るなかでこの抗議の声を上げることの重要性に気付いたという学生のスピーチが特によかったと思う。




色々な人の声を聞いてみると、あの採決にショックを受けた人も多いらしい。長く生きればあんな光景は見慣れたものだから「そんなものだ」と思っているから、ここまで政治の劣化を見過ごしてきたのだろう。反省します。やはり若者のような感性が大事だ。せめて最後のシュプレヒコール、特に「強行採決絶対反対」はまじめに大声を出しました。


 カンパを集めている人がまわると、参加の市民の間から千円札が次々と出される、一人などは5千円札で、レダックは驚いたのであります。例外なく中年以上で、2万円近くが集まったようだ。歩道を邪魔しないように張られたロープは5分前にはほどかれ、20時ちょうどには終わった。シールズの集会は初めてなので、スタッフに「デモはないの?」と聞くと
「私たちはみんなこれから東京行きます」とのこと。そうでした、まだ採決されていないのですね、空気読めない老人になってしまっているのですネ。頑張って行ってきてください。
日付が変わるころ、家でTVを見て、彼らはどこまで行っているのか、本会議は2時ころかと思いつつ寝入った。
翌日朝刊、法案成立のニュース!!!!!

アラコキ奮闘記 安保法案

2015-09-16 09:52:08 | 日記
9月16日 また、デモに行ってきました(デモ その2)
 
 いよいよ安保法案も大詰め(と言っちゃあいけないのか、シールズ奥田君?によればこれからが始まりなのだから)、イライラしながら、院内の攻防をTVで見ているよりも、大阪の集会を探し、今日は中の島公園・水上ステージに向かう。
 18時10分ころ、日曜のウツボ公園を想定して行ってみれば、はるかに集まっている人は少ない。それでも、続々とはいえないが、老年の夫婦連れなど、来るときに追い抜いてきた人々も集会の輪に入ってくる。どうも主催者は「ゼンコウ」というところらしい。配布プリントを見たら「平和と民主主義をめざす全国交歓会」とある。ハハーンと思う。それと交歓はないデショ、楽しみの集会?私の語感には合わない。でもこの非常時だ、別にどこでもいいよ。
 
 18時半出発、デモコースは、市役所を回って、淀屋橋を東行、北浜、天満橋を経て、大阪城へと。市役所近辺では、デモを揶揄した橋下へのシュプレヒコールも行われた。マ、この際ついでだけど、実害をこうむり続けて悪感情を持っている私としても便乗した。今日のシュプレヒコールで良かったのは、「安倍晋三は日本を壊すな」。
 
 主催者発表では350人の隊列だから、交差点でもあまりトラブラず、速い。天満橋、懐かしの職場周辺に来た。今回初めて知ったのだが、自民党大阪府連がある。デモ隊はここでもアドリブのシュプレヒコールを入れたが、よく分からない。
 と思う間もなく大阪城公園に着いたのが19時40分であったので、1時間余をかけて2Km強のデモを歩いたことになる。総括集会が開かれ、団体、飛び入りの参加者たちのスピーチがあった。ロートルも、高校2年生も「今日が初めての参加」と言い、気持ちがこもっていた。また、今晩から夜行バスで東京まで行く4人の若者からのスピーチがあった。昔なら決意表明として、お堅い挨拶になるがちだが、身の丈にあった話で好感が持てた。
 最後に、「みんなでこれを歌いましょう」と主催者が言う。デモ隊の音響効果部隊というべき3人が、自転車に太鼓・鉦を積み、一人はギターをかき鳴らしながら、シュプレヒコールのリズムをとっていたのだが、ミニバンドに早変わり。曲は「We shall overcome」。私にとっても特別の思いある曲だ・・・。でも、悪いけど、ボーカルは下手だ。
 
 ということで、散会後、一人「・・We shall overcome someda~~y. Oh deep in my heart, I do believe. We shall overcome someday.」と口ずさみながら、地下鉄谷4に向かいました。
 帰宅してのTVでは、国会での事態はまだ動いていませんでしたが・・。

(夜間ですし、写真を撮るのが下手な私でお見せするほどのものはありません

アラコキ奮闘記 安保法案について

2015-09-15 15:51:44 | 日記
前回は、反対集会・デモのお話だったよネ。

今回は、なんで反対かその一

1 間違った前提で、めちゃくちゃな理屈。もうちょっと、冷静に筋道たてて考えようヨ
 子どもに恥ずかしい! その一 砂川判決が集団的自衛権 合憲の根拠??????

●まず、自公すり合わせの責任者 高村のウソに驚きます。「違憲か合憲かの判断は、憲法学者がどう言おうが、最高裁判所による。」 そして、唯一、最高裁が憲法判断を下した砂川判決を根拠に、集団的自衛権は違憲ではない、と宣っておる。つい昨日(9/14)のニュースを見れば、この判決にかかわった、最高裁判事の一人のメモが見つかり、そのでたらめさが伝えられた。詳細は避けるが、体験で話す。
私は大学入ってすぐだったか、立川米軍基地に抵抗する砂川反戦塹壕に行って、地元民の援農をしながら話を聞いたことがある。
私はアラコキであり、お母ちゃんのおなかで終戦の詔勅を聞いた?わけであるから、まさに戦後70年が私の生きてきた道でもある。戦争体験はないが、戦争のにおいの数々を子ども期にかいでいたのだと思う。占領軍は進駐軍と呼んでいたと思うがかすかにしか記憶にない。朝鮮戦争の勃発―警察予備隊から自衛隊への歩みなども長じて知るようになった。
1964年東京オリンピックの年に大学生になり、関心を持ったテーマの一つが、それに先立つ1950年代後半には、米軍基地(または演習場)と地元民と支援者との闘いが盛んであったという事実だった。砂川だけでなく内灘・東富士なども米軍基地によって地元民の生活が侵されているおり、反米軍基地闘争に興味を持った。そういえば、相馬が原の米軍射撃訓練場では、薬きょう拾いに入った主婦が米軍兵士の流れ弾に当たって死んだという事件もあった。その後よく調べてみると、ジラードという兵隊が狙って射撃したのだということが分かり、世間を憤激させたということは、かすかに記憶ある。
 砂川―立川基地については、戦前からの日本軍基地をアメリカが接収した後、基地機能強化のため、滑走路延長工事の計画が出された。爆音が絶えない、広大な基地のおかげで立川市の道路は基地周辺にとりかこむようにいびつだ。そこにもってきて滑走路拡張なんて、とんでない、地元に反対同盟が結成された。リーダー格のMさんの家の敷地が、基地とフェンスだけで隣接というのか、滑走路の延長上に当たる。Mさんはこの辺りの名産ウドつくりの農家で、地下に室ムロがあって倉庫にしている。以前より基地反対のMさんは、その室を拡張して、支援者たちも泊まれるようにした。その地下室の上にこんもりと丘を盛り土し、さらに、✈が飛たつフェンスよりも高い十字架をたてていた。ゴルゴダの丘ですな。これを砂川反戦塹壕とよび、活動拠点にしていた。(マ、物理的効果は妨害というより、イヤガラセ、もしくはシンボルですな、これは。そういえば常駐者の一人は牧師さんだった)
 
 デ、拡張のための測量の日に、反対派がデモをやって、フェンスの合間からチョコッと基地側に入った。これは日米安全保障条約・地位協定違反だということで入ったデモ隊の数人が逮捕・起訴されたというのが砂川事件。第1審東京地裁では伊達さんという裁判長が「被告無罪」と言ったので、国は大慌て、米軍基地が存在すること自体が違憲だということになったら(今の沖縄の問題も存在しないのにネ)、これはイカン、なまればイケン、だということで跳躍上告(高裁をとばす)した。そりゃ、国はシタタカだから、米軍・最高裁長官とも、何かがあったんでしょうネ。そして、「条約のように国の高度な政治的判断に対して、たとえ最高裁といえども軽々に違憲立法審査権を使わない」とした。これを統治行為論とよぶらしいが、ともかく米軍基地の存在、自衛力の考え方(今でこそ個別的自衛権と言ってるが、当時は言葉そのものがない)を示しただけで、判断を逃げたのだ。まだよちよち歩きの自衛隊の状況を考慮に入れれば、米軍基地の存在を否定するわけにはいかないという現実?判断の判決ではあった。旧安保条約での基地を否定はできないということだけで、双務的な、つまり一定日本も汗をかく必要が生じた60年安保体制になってからの最高裁判決などありません。ましてや、当時、集団的自衛権ということが問題になるわけがない。安倍君や中谷君、判決文読むのは大変だけど、せめてネットでくらい読んどいてや。(13日のデモのシュプレヒコールの一つにこんなのもありました。「憲法読めない、首相はイラナイ」)
高村が絵を描いたとすれば(知りませんが)、とにかくイケシャーシャーと政府見解の公式版としたのだから、高村の責任は重い。しかも元弁護士だったとか・・
(PS、①皆さーん。上で上げた3つの米軍基地(演習場)は、すべて今では返還され、公園とか「平和」利用されてるそうです。このことは、米軍の戦略のたてかた一つで変わることを意味しているし、絶望する必要はないと思います。辺野古は普天間があろうがなかろうが、米軍戦略では2010年以前から計画されていたという情報もあります。だから政府が本当に普天間の危険を除去したいなら、それをなくした米軍基地のあり方を、政府は本気で迫ればいいのです。
② 世の中には鼾の激しい人もいるのですね。毎夜飛び立つ米軍機の音を聞きなれた反戦塹壕の常駐者も、ある日来た支援者の鼾に眠れなかった、という話を聞きました。1泊しましたが、もちろん私は逃げ帰ったのですが・・)

アラコキ奮闘記 デモに行きました

2015-09-15 14:06:23 | 日記

 政治ガラミの主張を書くためにこのブログを始めたわけではないんだけれど、こればっかりは無視すると奮闘記というタイトルにも反してしまう。ソウ、安保法制反対集会、ほんとは政府弾劾であるべきなのですが、その話です。
この話が出てきた当初、なんと筋の悪い話かと思うとともに、いつの間に時代はそこまで来てしまったのかという陰鬱な気持ちがしました。その後の国会論議のでたらめさ加減を含めて、いつの間に日本の政治はここまで劣化したのか、アラコキとして責任さえ感じます。
TVニュースをみながら、「違うやろ」、「嘘つき」なんどと吠えていたら、嫁さんにもキッチリ「TV相手にしてもシャーナイやろ」と指摘されまして・・ということでせめて大詰めのことここに至ってからですが、9月13日日曜日、「戦争法案に反対する関西大行動」という集会デモに参加しに行ってきました。新聞報道を見れば、主催者発表2万人だったようです。
会場のウツボ公園には、4時過ぎにつきましたが、入り口にも横断幕をもったグループがいくつも並び、ビラやミニ・ゼッケンなどを配っている。中の一枚が、カンニング・ペーパーというべきもので、デモコースマップとあわせて、シュプレヒコールはこういえば、こういう例が載っている。例えば、マイクのリーダー「戦争法案」→デモ隊「絶対反対」、リーダー「憲法」→デモ隊「守れ」、実際に歩いた時にはいろんなパタンがあり、「憲法読めない首相はいらない」なんどは繰り返す。昔より大人しくなったのでしょうか、○○粉砕などの過激な言葉はない。マ、高校生や「一般市民」でも同調できるようにという配慮なんでしょうネ。いいことです。

当然、いくつもの旗がなびき、多くの人で埋まっているが、移動できないほどではない。

歩きまわって疲れたのでいったん出て、コンビニの100円コーヒーを飲む。もう一度会場に入り、ヨッコラショ!と草むらに腰を下ろして参加者ウォッチングを始める。そのうち、政党の議員の演説となる。今までの素人の手づくり原稿といった初々しさが感じられるスピーチではなく、さすがにウマイ。○○党と紹介された時の拍手👏からみると、その系列は三分の一くらいか?(独断ですが・・)。その後のデモも含めて、ほとんど若者が仕切っているように見える。東京、国会周辺はいざしらず、何で政党や旧革新団体が主導して(昔はこれをヘゲモニーと言いました)院外闘争をやりきれてこなかったのか? この間なめられぱなしだもん、無理もないか。今頃になって(ゴメン、僕もヤ)、若者・知識人たちの声の高まりに、尻馬にのった感がするのは私だけか?!
マ、とにかく4時に始まった集会も5時半にはデモ隊が動き出した。少し写真もとりながら、隙間ができた空間をウロウロしてたら「べ平連」の旗が目についた。20名ほどがそこにいたが、神戸から駆けつけたとのこと。公園の南出口から東行し、御堂筋まで出る。
別にどこの旗のもと、ということもないので、適当に追い抜いたり、写真を撮ったり・・
シュプレヒコールはまじめにやりましたよ。難波高島屋の横から、もう少し先の何とか公園
の解散地点についたのは7時半ころでした。翌日調べたら、3Kmくらいしかないのですね。でも、いろいろ感じたことがあります。しばらくともに歩いていたなかに、80歳を超すと思われるおじいさんが、遅れかけたら小走りになってゴールまで歩かれました。戦争を経験した世代には、過去の記憶がよみがえり、居たたまれないのでしょうか。
それと大人しいこと。デモを仕切るスタッフに、警官が「信号早く渡ってください」と言われて協力的な態度にビックリ、御堂筋フランス・デモなんどやれたのは、もう半世紀近くも前だったのでしょうか。イカン、記憶もあいまいになってきた。
 これを書いているのは9月15日、大詰めです。またデモ情報を調べて行くぞ!
(なんで反対なのかは、後日)