⑨ 洋上生活<3> 問題や!!!(4/21~23)
これだけ寄港が続くと寄港日は出勤日、航行日はお休みの日みたいな感覚になっていって、また実際バテテくるので、おまけにこのブログ書きがお仕事みたいになってきて、数日遅れのことを思い出しながら書くという形になってきて、起床時間も遅くして、朝運動までとりやめて体力維持に努めてという形をとりだしたりして、またまたレダックの参加した講演で問題があり、さらにお仕事じみてきました。
ピースボートは、名前や由来からして、寄港地・国・地域にまつわる平和・環境・人権上の課題を洋上生活の間に考えてもらうというスタンスをとっています。そのために「水先案内人」と名付けた学者・ジャーナリストや、現地の運動家などによる講座を設けています。このため、ピースボートそのもの、あるいは講師のスタンス等を政治的に問題にしネット攻撃をする人々もいます。しかし、問題はそれにとどまらず、乗客の側にもあります。上記のようなことを深く知りたい(訴えたい)ということを参加の動機の一番に挙げる人は少数だけれども、教養としては知っておきたいという人も少なくないのでしょう。だから、500人くらい入る一番広いラウンジで、毎日3本ほどメインテーマの講演会等が開かれており、結構一杯になります。(独断と偏見を十分承知の上でいえば、ちょっと革新的なスタンスはとっておきたい?全国紙で言えば朝日新聞的?教養講座的?といえるでしょうか?言い過ぎかな?)と、ここまで前説ネ。
デ、ロマの女性活動家Pさん(国籍はスペイン)による3回の連続講演の企画があり、ジプシーとして知られているロマの差別の状況、解放への取り組みなどに関しての報告がありました。会場質問にもありましたが、Q「ジプシーは差別的な用語ではないか?」:A「差別的な状況で使われたら、差別用語だ」という認識では、レダック的には「ウーン」となります。私見では言葉は流布する中で、人々の思いがニュアンスとしてその言葉にまとわりつきます、いわば手垢がつくのです、それが侮蔑的、排外的、劣等視の手垢にまみれてくると差別的な用語となっていきます。ジプシーもそのような用語なので私は以下ロマと書きます。(この私の認識は後半に関係してきます。)
彼女の言説では、ロマは10世紀ころインド地域で起こった紛争を嫌った人々が西へと漂泊する民になっていくというのが始まりのようです。中東から全ヨーロッパ地域に流れていきます。しかし、家族第一主義、定住よりも移動生活でも可能な生業ナリワイを主とする、などの経済的・文化的差異のため、異端視され差別・迫害されてきたといいます。ロマの言葉を喋らせないよう舌を切るとか、不妊手術とか相当エグイことも行われたようですし、ナチスの迫害はユダヤ人だけでなくロマにも及びました。現代社会でも、つい先年、スエーデンでロマに対する迫害があったことを認めたそうです。(日本でもアイヌを旧土人と呼ぶ法律が改正されたのはそう古くではなかったことを思い出しました)
教育の分野でも地域住民との分離・隔離政策や、養護学校にしか入れないなどが今も続いているらしい。彼女は女性解放の立場からのコミットもしているそうです。ただ、差別の存在理由は、差別する政治家がいるから、経済的要因は資本主義の価値観と衝突するからとしか聞き取れなかったのは、私の理解力不足か?
それで、勇気を奮ってQ「差別の理由は、政治家が、ロマは自分らの文化を守り、国民として戦争などでは頼りにならぬと考えているとしか聞こえない、だとすれば徴兵に対してはロマはどんな立場をとるのか」 A「1点目すれちがい、2点目 スペインでは徴兵制は無い」 エ、ソウナノ。認識不足でした。
問題にしたいのは2回目のことです。事務局か講師のどちらの提案か知らないが、「皆さんも身のまわりの差別について10分ほど討議してください」というということになり、近所の席での話になった。そしていくつか発表を求めたところ、一人のオバさんが「日本でもそういう人がいる、問題がある」と言って、得々と蔑称語を連発し始めたのである。驚いた以上にショックだった。晩飯に一杯飲んだことは関係ないと思うが、不覚にも悔し涙がこぼれてしまったのだ。「私は東京なので詳しくは知らないが」・・なら、喋るな、「関西では」・・黙れ!「なんでも、肉屋さんなどに多く」 アウトや。差別発言や!!! でも、鼻水拭くので忙しく、抗議の声もあげがたく、次のグループの発表に移ってしまった。
このままでは終われない、会終了後、進行責任のピースボート・スタッフKさんに話し合いを申し込む。過去と現状との意識的混同や、当事者の思い抜きの興味本位の知識ひけらかしは偏見の拡大につながりやすいこと、現に人権問題・同和教育に携わってきた者にとって悔しすぎることを伝え、次回に抗議の声があったことと、事務局の見解を聞きたい旨申しいれた。Kさんも「問題だ」という認識はあったようで、快諾してくれた。
そして3回目の冒頭、Kさんは、「人権問題を語る時、様々な意見・思いを持つ人がいることに留意する必要があり、現に抗議もあった」ことを言明したので、マ、許したろカ。それで講演者への上記質問になったわけです。しかし不十分だ、終了後も話をさせてほしいと頼み、Pさんに「前回の乗客の一人の発言は不十分な理解に基づくもので、これをもって日本の人権問題を語ってほしくない」こと、二つ目に「克服・解決の道筋を示しながら、取り組みの成果が進んでいることも知ってほしい」ことを述べ、理解してもらった(と思う?スペイン語だからね)。若いPさん、がんばってネ。
⑩ スペイン モトリル(4/24 木)
またまた3日連続の寄港日が続く。スペイン南部アンダルシア地方に太陽海岸と呼ばれる地域がある。その中のモトリルという港町に寄港するのだ。ここから内陸にバスで1時間半ほど北上すると、グラナダのアルハンブラ宮殿に行けるし、クロマニヨン人の住居遺跡や彼らが描いたとされる壁画のあるネルハという地へのOPがある。判断つかず申し込まなかったので自分らで散策することにした。どうもアルニューカルと発音しにくい街まで行けばどちらの方面にも行けるようだ。30分ほどで着いたのだが、その道中がすごい。高速並みの気持ちいい道路の眼下に地中海―太陽海岸がひろがっている。ここを歩くというOPもあったようだで、ピースボート軍団の豆粒くらいの一行の姿も見えた。この街並みもなんとなくいい雰囲気だし、ネルハ行きバスが2時間待ちで、行けても帰りが心配なので、この街を探索することとした。ブラブラ歩くうちに12時となり、カフェで食事も頼んだのだが、でも何となく勝手が悪い。客は私らだけなのに半時間近く待たされる。そうでした、昼食には早すぎるんですね。ラテンの時間感覚を忘れていた(エビは新鮮でお得だったけれど、肝心のパエージャがべたついて期待外れ)。時間感覚と言えば、海岸の展望台から改めて太陽海岸のすばらしさを見てから、急峻な坂道をよたよた登って観光名所のお城にたどりついたのに閉まっている??よく見れば14時~16時はシェスタ午睡の時間。思わず、大声で「殿、ご開門をー」と叫んだ。嫁さんが、軽蔑の眼差しで見ている。ここを降りる道も、ミニ・ミコノス島みたい。観光地図頼りに降りていくと今度は植物園風(これも当然閉まってます)、Bonsaiとある、盆栽も世界語なんですネ。教会も外観を見るだけ、16時まで待てず15時のバスでモトリルに帰りました。
そこでタパスを食するためにBAR(バルと読む、バー 気軽な居酒屋のこと)に立ち寄りました。タパスとは、そこで出されるアテ、つまみの小皿のことで店ごとに自慢の品が出てくるという。ピルゼン(ピルスナー)ビールとともに、タパスを頼んだところ、生ハムとパンのお皿、オリーブのお皿の二つが出てきた。オリーブがおいしい、病み付きになりそう。そして、勘定を頼んだら、ビールと妻のコーヒーだけで、件クダンのタパスの分はついていません。サービスということらしい。感激! その店の他の席では、ピースボートのHさん(航路説明をするえらいさん)が船員と、そのうち別の店の客(もと船員のようだ)と親交を深めていた。まっ赤な顔をしていたので、店を出るとき「帰船時間遅れないよう」と言い置いたら、最初キョトンとし、やがて豪快に笑っておられた。
いい街だ。1日だけしかスペインには立ち寄らなかったが、逢坂剛の小説などから、ゆっくり来て見たいと思う国だ!可能性??
⑪ ジブラルタル(英領) (4/25 金)
アア、知らなんだ、知らなんだーー。ジブラルタルはただの海峡の名と思っていたのに港がありそれも英領、スペインの先っちょが英領?! おまけに反対側のアフリカ大陸はモロッコなのに、それも先っちょだけが今度はスペイン領でセウタという?!
この疑問も水先案内人と呼ばれるジャーナリストIさんによって事前講習を受けました。しかも、それを定めたのがユトレヒト条約とのこと。何世紀遡るのかな。いろいろ転変があり、またこの2、3年、英国とスペインの関係がこの地を巡って緊張気味だそうだが、まあいい、読者諸氏もいいかげん歴史の話に疲れたことでしょうから、早速、英領ジブラルタルの町に繰り出しましょう(狭いのでOPは申し込まず)。
軍事・交通の要衝でありますから南端に灯台があります。ヨーロッパ側の南端という意味でヨーロッパ・ポイントと言われます。そして△の岩山が特徴的で、海沿いに市街地が山にへばりついていますが、変わっているのはスペインとの国境線に沿うように飛行機の滑走路が伸び、海上に少し突き出ています。辺野古もこんな風にやられるのでしょうか。離着陸は見れませんでしたがジェット雲が延びていくのを2回確認しました。その近くに船のターミナルがあるので、市の中心部までは20分ほど歩いて行かなければなりません。観光地としても人気があるようで欧米人が溢れかえり、昼時なんぞは肩の肌や胸元を露にし夏バカンスモードのおば(あ)さんたちが闊歩しています。ただ、ユーロも米ドルも使えますが、この地独特のジブラルタル・ポンドが通貨で、郵便切手はこれでしか買えないために、両替をしたところ50€=40ポンドだから、1ポンド=170円といったところでしょうか。観光ポイントはケーブルカーで展望できるところに上がると地中海とジブラルタル湾が望めます。そして野生の猿が集い、観光客の人気を集めおり、時たま嬌声も聞こえます。「何が珍しいねん? 動物園でいつでも見られるやん。大阪では箕面に行けば・・」と内心毒づいていたのですが、そうです、ニホンザルではないのですネ。まあ、しかし、お天気にも恵まれ、地中海の海と空の美しさに昨日に続き感動ものです。でも、遅れて登ってきた同じピ-スボートの若者たちの「ワー すげえ」と何回も大声で繰り返しているのが聞こえてくると(このまわりくどい言い方は聞こうと思っているわけではないのに)「感嘆詞以外の言語感覚の乏しいやつらめ。しかも外国人いっぱいいる中で傍若無人に日本語わめき散らすな」と思ってしまいます。もうおじいさんなので、黙って離れるだけです。
デ、山をおりたところのカフェでお茶を兼ねてランチといたしましょう。サンドイッチのつもりが、サーディンが今日はおいしいというので、ついビールも。焼いた皮が香ばしくて、鰯を見直したわけです。ポンドではちょうどこのビール分くらいが不足するのでユーロ―を使い、土産物屋街をぶらぶらし、孫の土産をポンドで買いました。あと6ポンドと小銭が残りました。帰船リミットが近づいてきたので、最後に冷たいものを食べようとスムージーの店で「はう、まっち」とやると一つ3.5、二つだと7ポンドということです。6ポンド出し、小銭のポンドを全部見せ、これで1ポンドあるかと聞いたところ、3枚の硬貨を返してくれて、「not 7、but our charity」ダッテ・・施しをうけたのです(連日のラッキー賞です)。残った3枚は2枚が2ペンス、1枚が1ペンス、あわせて5ペンス=8円くらいで、大道芸人にあげたらと言います。コーヒーとラズバリーのスムージーは入れたアイスクリームがいいのでしょう、とてもおいしく、冷たく、気分よく帰れました。でも、こんなに硬貨多いとはネ。日本で言えば1円、2円、5円、10円、20円、50円(ここまでペンス)に、やっと1ポンド(これも硬貨)、なんてややこしい。
この海峡を越えれば、そこはもう、大西洋!!
これだけ寄港が続くと寄港日は出勤日、航行日はお休みの日みたいな感覚になっていって、また実際バテテくるので、おまけにこのブログ書きがお仕事みたいになってきて、数日遅れのことを思い出しながら書くという形になってきて、起床時間も遅くして、朝運動までとりやめて体力維持に努めてという形をとりだしたりして、またまたレダックの参加した講演で問題があり、さらにお仕事じみてきました。
ピースボートは、名前や由来からして、寄港地・国・地域にまつわる平和・環境・人権上の課題を洋上生活の間に考えてもらうというスタンスをとっています。そのために「水先案内人」と名付けた学者・ジャーナリストや、現地の運動家などによる講座を設けています。このため、ピースボートそのもの、あるいは講師のスタンス等を政治的に問題にしネット攻撃をする人々もいます。しかし、問題はそれにとどまらず、乗客の側にもあります。上記のようなことを深く知りたい(訴えたい)ということを参加の動機の一番に挙げる人は少数だけれども、教養としては知っておきたいという人も少なくないのでしょう。だから、500人くらい入る一番広いラウンジで、毎日3本ほどメインテーマの講演会等が開かれており、結構一杯になります。(独断と偏見を十分承知の上でいえば、ちょっと革新的なスタンスはとっておきたい?全国紙で言えば朝日新聞的?教養講座的?といえるでしょうか?言い過ぎかな?)と、ここまで前説ネ。
デ、ロマの女性活動家Pさん(国籍はスペイン)による3回の連続講演の企画があり、ジプシーとして知られているロマの差別の状況、解放への取り組みなどに関しての報告がありました。会場質問にもありましたが、Q「ジプシーは差別的な用語ではないか?」:A「差別的な状況で使われたら、差別用語だ」という認識では、レダック的には「ウーン」となります。私見では言葉は流布する中で、人々の思いがニュアンスとしてその言葉にまとわりつきます、いわば手垢がつくのです、それが侮蔑的、排外的、劣等視の手垢にまみれてくると差別的な用語となっていきます。ジプシーもそのような用語なので私は以下ロマと書きます。(この私の認識は後半に関係してきます。)
彼女の言説では、ロマは10世紀ころインド地域で起こった紛争を嫌った人々が西へと漂泊する民になっていくというのが始まりのようです。中東から全ヨーロッパ地域に流れていきます。しかし、家族第一主義、定住よりも移動生活でも可能な生業ナリワイを主とする、などの経済的・文化的差異のため、異端視され差別・迫害されてきたといいます。ロマの言葉を喋らせないよう舌を切るとか、不妊手術とか相当エグイことも行われたようですし、ナチスの迫害はユダヤ人だけでなくロマにも及びました。現代社会でも、つい先年、スエーデンでロマに対する迫害があったことを認めたそうです。(日本でもアイヌを旧土人と呼ぶ法律が改正されたのはそう古くではなかったことを思い出しました)
教育の分野でも地域住民との分離・隔離政策や、養護学校にしか入れないなどが今も続いているらしい。彼女は女性解放の立場からのコミットもしているそうです。ただ、差別の存在理由は、差別する政治家がいるから、経済的要因は資本主義の価値観と衝突するからとしか聞き取れなかったのは、私の理解力不足か?
それで、勇気を奮ってQ「差別の理由は、政治家が、ロマは自分らの文化を守り、国民として戦争などでは頼りにならぬと考えているとしか聞こえない、だとすれば徴兵に対してはロマはどんな立場をとるのか」 A「1点目すれちがい、2点目 スペインでは徴兵制は無い」 エ、ソウナノ。認識不足でした。
問題にしたいのは2回目のことです。事務局か講師のどちらの提案か知らないが、「皆さんも身のまわりの差別について10分ほど討議してください」というということになり、近所の席での話になった。そしていくつか発表を求めたところ、一人のオバさんが「日本でもそういう人がいる、問題がある」と言って、得々と蔑称語を連発し始めたのである。驚いた以上にショックだった。晩飯に一杯飲んだことは関係ないと思うが、不覚にも悔し涙がこぼれてしまったのだ。「私は東京なので詳しくは知らないが」・・なら、喋るな、「関西では」・・黙れ!「なんでも、肉屋さんなどに多く」 アウトや。差別発言や!!! でも、鼻水拭くので忙しく、抗議の声もあげがたく、次のグループの発表に移ってしまった。
このままでは終われない、会終了後、進行責任のピースボート・スタッフKさんに話し合いを申し込む。過去と現状との意識的混同や、当事者の思い抜きの興味本位の知識ひけらかしは偏見の拡大につながりやすいこと、現に人権問題・同和教育に携わってきた者にとって悔しすぎることを伝え、次回に抗議の声があったことと、事務局の見解を聞きたい旨申しいれた。Kさんも「問題だ」という認識はあったようで、快諾してくれた。
そして3回目の冒頭、Kさんは、「人権問題を語る時、様々な意見・思いを持つ人がいることに留意する必要があり、現に抗議もあった」ことを言明したので、マ、許したろカ。それで講演者への上記質問になったわけです。しかし不十分だ、終了後も話をさせてほしいと頼み、Pさんに「前回の乗客の一人の発言は不十分な理解に基づくもので、これをもって日本の人権問題を語ってほしくない」こと、二つ目に「克服・解決の道筋を示しながら、取り組みの成果が進んでいることも知ってほしい」ことを述べ、理解してもらった(と思う?スペイン語だからね)。若いPさん、がんばってネ。
⑩ スペイン モトリル(4/24 木)
またまた3日連続の寄港日が続く。スペイン南部アンダルシア地方に太陽海岸と呼ばれる地域がある。その中のモトリルという港町に寄港するのだ。ここから内陸にバスで1時間半ほど北上すると、グラナダのアルハンブラ宮殿に行けるし、クロマニヨン人の住居遺跡や彼らが描いたとされる壁画のあるネルハという地へのOPがある。判断つかず申し込まなかったので自分らで散策することにした。どうもアルニューカルと発音しにくい街まで行けばどちらの方面にも行けるようだ。30分ほどで着いたのだが、その道中がすごい。高速並みの気持ちいい道路の眼下に地中海―太陽海岸がひろがっている。ここを歩くというOPもあったようだで、ピースボート軍団の豆粒くらいの一行の姿も見えた。この街並みもなんとなくいい雰囲気だし、ネルハ行きバスが2時間待ちで、行けても帰りが心配なので、この街を探索することとした。ブラブラ歩くうちに12時となり、カフェで食事も頼んだのだが、でも何となく勝手が悪い。客は私らだけなのに半時間近く待たされる。そうでした、昼食には早すぎるんですね。ラテンの時間感覚を忘れていた(エビは新鮮でお得だったけれど、肝心のパエージャがべたついて期待外れ)。時間感覚と言えば、海岸の展望台から改めて太陽海岸のすばらしさを見てから、急峻な坂道をよたよた登って観光名所のお城にたどりついたのに閉まっている??よく見れば14時~16時はシェスタ午睡の時間。思わず、大声で「殿、ご開門をー」と叫んだ。嫁さんが、軽蔑の眼差しで見ている。ここを降りる道も、ミニ・ミコノス島みたい。観光地図頼りに降りていくと今度は植物園風(これも当然閉まってます)、Bonsaiとある、盆栽も世界語なんですネ。教会も外観を見るだけ、16時まで待てず15時のバスでモトリルに帰りました。
そこでタパスを食するためにBAR(バルと読む、バー 気軽な居酒屋のこと)に立ち寄りました。タパスとは、そこで出されるアテ、つまみの小皿のことで店ごとに自慢の品が出てくるという。ピルゼン(ピルスナー)ビールとともに、タパスを頼んだところ、生ハムとパンのお皿、オリーブのお皿の二つが出てきた。オリーブがおいしい、病み付きになりそう。そして、勘定を頼んだら、ビールと妻のコーヒーだけで、件クダンのタパスの分はついていません。サービスということらしい。感激! その店の他の席では、ピースボートのHさん(航路説明をするえらいさん)が船員と、そのうち別の店の客(もと船員のようだ)と親交を深めていた。まっ赤な顔をしていたので、店を出るとき「帰船時間遅れないよう」と言い置いたら、最初キョトンとし、やがて豪快に笑っておられた。
いい街だ。1日だけしかスペインには立ち寄らなかったが、逢坂剛の小説などから、ゆっくり来て見たいと思う国だ!可能性??
⑪ ジブラルタル(英領) (4/25 金)
アア、知らなんだ、知らなんだーー。ジブラルタルはただの海峡の名と思っていたのに港がありそれも英領、スペインの先っちょが英領?! おまけに反対側のアフリカ大陸はモロッコなのに、それも先っちょだけが今度はスペイン領でセウタという?!
この疑問も水先案内人と呼ばれるジャーナリストIさんによって事前講習を受けました。しかも、それを定めたのがユトレヒト条約とのこと。何世紀遡るのかな。いろいろ転変があり、またこの2、3年、英国とスペインの関係がこの地を巡って緊張気味だそうだが、まあいい、読者諸氏もいいかげん歴史の話に疲れたことでしょうから、早速、英領ジブラルタルの町に繰り出しましょう(狭いのでOPは申し込まず)。
軍事・交通の要衝でありますから南端に灯台があります。ヨーロッパ側の南端という意味でヨーロッパ・ポイントと言われます。そして△の岩山が特徴的で、海沿いに市街地が山にへばりついていますが、変わっているのはスペインとの国境線に沿うように飛行機の滑走路が伸び、海上に少し突き出ています。辺野古もこんな風にやられるのでしょうか。離着陸は見れませんでしたがジェット雲が延びていくのを2回確認しました。その近くに船のターミナルがあるので、市の中心部までは20分ほど歩いて行かなければなりません。観光地としても人気があるようで欧米人が溢れかえり、昼時なんぞは肩の肌や胸元を露にし夏バカンスモードのおば(あ)さんたちが闊歩しています。ただ、ユーロも米ドルも使えますが、この地独特のジブラルタル・ポンドが通貨で、郵便切手はこれでしか買えないために、両替をしたところ50€=40ポンドだから、1ポンド=170円といったところでしょうか。観光ポイントはケーブルカーで展望できるところに上がると地中海とジブラルタル湾が望めます。そして野生の猿が集い、観光客の人気を集めおり、時たま嬌声も聞こえます。「何が珍しいねん? 動物園でいつでも見られるやん。大阪では箕面に行けば・・」と内心毒づいていたのですが、そうです、ニホンザルではないのですネ。まあ、しかし、お天気にも恵まれ、地中海の海と空の美しさに昨日に続き感動ものです。でも、遅れて登ってきた同じピ-スボートの若者たちの「ワー すげえ」と何回も大声で繰り返しているのが聞こえてくると(このまわりくどい言い方は聞こうと思っているわけではないのに)「感嘆詞以外の言語感覚の乏しいやつらめ。しかも外国人いっぱいいる中で傍若無人に日本語わめき散らすな」と思ってしまいます。もうおじいさんなので、黙って離れるだけです。
デ、山をおりたところのカフェでお茶を兼ねてランチといたしましょう。サンドイッチのつもりが、サーディンが今日はおいしいというので、ついビールも。焼いた皮が香ばしくて、鰯を見直したわけです。ポンドではちょうどこのビール分くらいが不足するのでユーロ―を使い、土産物屋街をぶらぶらし、孫の土産をポンドで買いました。あと6ポンドと小銭が残りました。帰船リミットが近づいてきたので、最後に冷たいものを食べようとスムージーの店で「はう、まっち」とやると一つ3.5、二つだと7ポンドということです。6ポンド出し、小銭のポンドを全部見せ、これで1ポンドあるかと聞いたところ、3枚の硬貨を返してくれて、「not 7、but our charity」ダッテ・・施しをうけたのです(連日のラッキー賞です)。残った3枚は2枚が2ペンス、1枚が1ペンス、あわせて5ペンス=8円くらいで、大道芸人にあげたらと言います。コーヒーとラズバリーのスムージーは入れたアイスクリームがいいのでしょう、とてもおいしく、冷たく、気分よく帰れました。でも、こんなに硬貨多いとはネ。日本で言えば1円、2円、5円、10円、20円、50円(ここまでペンス)に、やっと1ポンド(これも硬貨)、なんてややこしい。
この海峡を越えれば、そこはもう、大西洋!!