私の轍 WatashiのWadachi 第16回

2022-07-07 10:36:58 | 日記
私の轍 WatashiのWadachi 第16回

④ 教員との闘い 留年をめぐって
頭の痛いことも当然あった。国旗・国歌問題がその一つだが、この学校ではそれなりの妥協点がみつかっていた。しかし、留年に対する考え方は、それぞれの教員の教育観に応じて実に多様である。教科担当者は出席時数と学習成績によって成績を評価し、当該教科の単位を認定する権限をもっており、進級・卒業のためには、各学校で定められている単位を取得しなければならない。生徒の中には、教科内容が不得手・苦手ゆえ単位を落とす場合もある。しかし生徒指導上の問題が出欠や成績に影響を及ぼす場合も少なくない。
 問題は、単位認定についての各教員の考え方がバラバラであることだ。もちろん内規や申し合わせでできるだけ齟齬が無いように努めているが、最後の判断に迫られたとき、生徒の「自己責任」と考えるか、何とかしようとするかは、いわば各教員の教育観に任されているといっても過言ではない。すでに「平野高校」のところで述べたが、3年生の卒業認定に関して、疑義を提出して論争を引き起こした。平野の場合では、生徒実態等から何とかすべきだろうと思う教員も少なくなかったと思われ、内規の見直しにまで及んだ。
 ところが、この学校の判定会議には驚いた。単位不認定による留年者が予想以上に多かった。形式でいうと、教員の判定会議結果を校長が認めることによって進級-留年が決定する。
各学期ごとに、「この生徒は、こんな状態ですよ」という情報交換を行い、担任等は指導の参考にする。最終の判定会議には、それでも無理と判断された生徒名があがる、と私は思っていた。甘かった・・、なんと、多くの生徒が不認定になっていた。私は、「認められない」と宣言したところ、多くの教員からの反論は、結局は「自己責任」だった。若いころの論争を思い出す。「馬を水飲み場に連れていくまでは教員の責任ですが、水を飲むか、飲まないかは馬次第です」
生徒は馬ちゃうゾ。水が欲しくなるような引っ張って行き方が、教師のスキルじゃ!
 のちに、ある教員から言われた。「あの時の校長、片手をズボンのポケットに突っ込み、目線鋭かった」 スイマセン、育ちがあまりおよろしくないんで。結局、何人が助かったかまでは覚えていない。しかし、直後の選抜試験で、冒頭にあげた全員合格が明らかになり、教員の学力に対する危機意識も高まったのか、学年主任の教員が、「校長の意向は理解されていたので、できるだけ不認定をださないよう努力しました」と言ってくれた。
 この論議を経て、上述の取り組みにつながっていったと思っている。

  ちょっと自慢
(大阪の教育専門ジャーナル紙 「教育タイムス」記者の取材感想記事 2001.11.26)
「高校教育の新しい流れ」
 先日、大東市人権教育協議会主催の研修会で、高校の教育について、野崎高校と大東高校の先生の話を聞きました。ここ数年、変化していることを知らなかったので、少し驚いて帰ってきました。7~8年くらいまでの大東高校は、どちらかといえば暗い感じの学校でした。学校の中もゴミがよく落ちていたし、汚い感じでした。私の子どもが通っていたころは、先生たちも「大東の生徒は勉強しない。これじゃあ大学に行けないのも当たり前だ。もっとましな子を送ってきてくれ。地元集中なんていらん。内申の低い子は敬遠」といった感じでした。 
 ところが今回話を聞いた先生からは全く違う印象を受けて帰って来ました。まず、大東の中学の先生たちの取り組みのおかげで、大東と野崎が協力して高校の統廃合に立ち向かってがんばれているんです、という言葉から始まって、とても精力的な話になりました。元気が出る話でした。九九ができない生徒に7限目を作って教え込んでいるそうです。また大学受験者には、0時間目があって、早朝学習だそうです。私は、九九が出来ない中学や小学校が問題だというより、高校で7時間目に勉強しているということにすくなからず感動しました。子どもたちは「あきらめていない」という感じがしました。高校の先生も子どものニーズによく応えているからでしょう。子どもたちの「学びたい」という思いがなんとなく感じられる話でした。・・・