眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

250108 家族の価値観のすり合わせ

2025-01-10 15:16:24 | 日々の雑記帳
本日3本目。1月8日の振り返り記事となります。
これで、今日、昨日の9日分をアップしたら、プール分は書き出せたと思います。
なんだか、gooブログさんの障害とは言え、記事をまとめてアップすることになってしまい、ごめんなさい。ほかの季節だったら、3日分はアップしなくてもよかった気もしましたが、お正月の記事は来年の参考になるため、書き残しておきたいと思います。

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1月8日の空。
日の出時間は雲が多い日が続きますが、広い空を180度見て行くと、青空が見えている部分があり、そのコントラストがとても好きです。




今年は久しぶりにお正月のテレビ番組を見る気持ちの余裕があったので、TBSの新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』を見ました。



ご覧になった方も多いと思いますが、見ていらっしゃらない方のために、ざっくりと内容をご紹介しますね。

鎌倉に住む葉子(松たか子)、都子(多部未華子)、潮(松坂桃李)の3姉弟は、交通事故で両親と祖母を一度に亡くし、中学生だった都子と小学生の潮を成人していた葉子が親代わりになって育て、3人が肩寄せ合って生きて来ました。
月日が流れ、23回忌を終えた3姉弟。その帰り道。次女の都子が唐突に「韓国に行く」と言って立ち去る。単に旅行だろうと思った葉子と潮でしたが、都子は韓国に住む気らしい。ちゃんとした説明もなしに勝手なことをする都子に腹を立てる親代わりの葉子でしたが、それをきっかけに、3人姉弟は、家族のあり方と、自分の生き方を見つめ直す物語。

この物語の主軸になっているのは、親代わりになってしまったばかりに、自身の結婚のチャンスを逃してしまった葉子に対する都子と潮の「申し訳なさ」「罪悪感」があり、自分たちが葉子より先に、幸せになるわけにはいかない「遠慮」が足かせになっている点です。
葉子が結婚して自分の幸せを掴んでくれたら、自分たちは葉子を相手に託すことで、自由に生きられる、はず…なのです。そして、周囲からもそんな抑圧を受ける葉子。

葉子の方は自分の「幸せ」が「結婚」に集約されるということが解せない。
「つがいじゃなければ、しあわせじゃないの?」
葉子自身も結婚を考えた相手はいたものの、結婚をご破算にした若い日があって、その理由を小さな下のきょうだいのためと言い訳をして来たのですが、事実は違いました。相手との仕事上の価値観の相違と衝突があって結婚するのは「無理になってしまった」ことを人に言いたくないばかりに、言い訳しやすい理由として口にしていただけであり、決して、妹弟のために結婚しなかったわけではなかったのです。

「先に幸せになるわけにはいかない」と遠慮しているとはいえ、都子が姉にも弟にも説明もせずに、好きな人のいる釜山に飛んでしまったというのが矛盾しているような気がしなくもない展開でした(笑)
そんなことをしたら、家族を心配させるわけで、それよりも、きちんと「好きな人のもとに行きたい」と言った方がお姉さん孝行のような気がしてしまう。
そのくせ、かたくなに、お姉さんよりも「先に結婚するわけにはいかない」と言うのが、子供っぽくて笑ってしまいました。

そこがかわいらしくてほっとするドラマ展開になっているわけですが。
多部未華子さんが配役された理由が、ここにあるのかなと(笑) 
次女のやんちゃさと憎めないかわいらしさがあってこその「都子」だったと思えました。
従来の考え方で古い価値観に囚われてしまうのであれば、家も出ず、好きな人を待たせ続けるというのなら、すんなりと理解できる気がするけれど、釜山に勝手に飛んでしまうのが「今」という矛盾なのか。グローバルな時代を生きているという描き方なのでしょう。

結局、釜山に弟とともに行った葉子は結婚はしてもしなくてもいいはずと下の妹弟たちに言い、お互いの幸せを見つけて行くことを納得し合います。
姉弟たちが家を出て、ひとりになった葉子は編集者として仕事に懸命に取り組み続け、仕事では努力が実を結び、充実したひとり暮らしを続けます。都子は韓国人の彼と釜山でお店を出して働き、潮は葉子が編集者として担当だった男性作家と暮らし始めます。

結婚はしてもしなくてもいいし、きょうだいは上から順番に結婚しなくたっていい。もちろん、パートナーは異性でなくても同性でもいい。とらわれない生き方でいい。それが3姉弟の新たな家族の価値観。それがそれぞれの幸せ。それが家族の幸せ。

葉子はひとりで暮らしていますが、お正月には、妹と弟がそれぞれのパートナーを連れて帰省して、みんなでなごやかな食卓を囲みます。
今の時代のホームドラマとして、あたたかな気持ちで見ることができる作品でした。

私が身近な方たちを見ていて、家族内の価値観の相違で問題となるのは、夫婦の家事分担にある気がしています。
昔とは異なるのは、共働きの家庭が多くなったこと。フルタイムで働くと、家事との両立は簡単ではありません。夫婦がお互いに助け合わないと、心が折れてしまう。それなのに、いまだに「家事、育児は女の仕事」と考える男性たちがとても多く、それで離婚するご夫婦も珍しくありません。

昔は「大黒柱の夫は家事をする必要はない」「男子厨房に入らず」という価値観がありましたが、その時代の女性は職業に就かず(就けず)、専業主婦だったので、なんとか成り立っていたことでしたが、男性と同じようにフルタイムで仕事をしている現代の主婦の方たちに同じことを求めるのはおかしな話です。もちろん、パートであっても働いている以上、その分の家事労働時間は削られていて当然です。決してゆとりはありません。

仕事にも男女差がない上に、さらに言えば、今は賃金にも男女差がない。私の所属する会社では、賃金には男女差も職歴や年齢すらも関係ないのが現実です。男性だからといって昔のように女性よりも賃金が高いわけではない。だからこそ、妻も働かなくてはいけないのが「今」。
そんな社会背景の中で、「家事、育児は女の仕事」と言い、「男は大黒柱だから、家事なんかする必要はない」などと言われたら、女性はたまったものではありません。仕事内容も賃金も男女差のない、同じ社会で生きているのに、家でだけ、昔ながらの価値観を押し付けられたら、幸せを感じることなんてできない。職場で働いて、家で働いて、一日中、働き続け、夫からは「女のやる仕事に価値はない」と見下されて、モラハラされる。どこに幸せがあるのでしょうか。子供のため? ひとり親では十分に食べさせられない? それぞれに事情はあるでしょうが、この価値観の相違は大きな課題だと思えます。

私はたまにコインランドリーに行くのですが、ご夫婦で訪れる方たちがとても多い。たとえば、妻が乾いた洗濯物を取り出していると、夫が遅れて追加の洗濯物を持ってやって来て、妻のあとに新たに乾燥機にかける。
妻が乾いた洗濯物をたたんでいると、夫もその台に近寄って、黙って洗濯物を
妻と同じようにたたんでいて、何も会話もせずに分担し合っていて、なるほどと思います。これがおそらく、今のご夫婦の家事分担の自然な形。

私の時代は男性は家事をしないのがあたりまえでした。
私自身は結婚はしていないものの、父が長男家だったために、山ほどの親族のために、下女のように働くのが当然で、もんくなど言えなかった。兄は男だからと、寒空に手を赤くして外の台所(室内の台所が狭かったので田舎の家では外にもシンクがあり、簡単な調理ができましたが、全くの外なので、ものすごく寒かった)で働く小学生の私を尻目に、こたつでぬくぬくと何もせずにいられました。だからこそ、私は結婚にあこがれなんてなかった。結婚=理不尽と思っていました。結婚=幸せだと思えるのは、夫婦が互いを思い、支え合うという実にシンプルな価値観を共有することなのではないかと思えるのです。



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