ビジュ第一主義の母の呪いで、ビジュに関して一切、興味を持たなくなった私。
小さいころから罵られていると、動くものを親だと認知するトリさんのように、
「ブスだし、頭悪いし、スタイルも悪いし、人としての価値はなし」と自己肯定感が
低すぎる育ち方をしてしまった。
ビジュ母のことをどこか恨みがましく思っていた。
もっと、私を肯定してくれたら、私は努力をしたはずなのにと。努力をしたくなくなるまで、
叩きのめされた過剰な否定について、そこまでする必要はなかったはずと。
成長したら、「整形しなさい」とまで言われ続けたしね。
褒めて育ててもらえたら、私の人生は違っていたはずと。
それでも、今にして思うと、「それはないなあ」と思う。私の考えが甘かった。
母がどれだけビジュ第一主義で、父のことが嫌いで、そのうっぷんを私を罵ることで晴らしていた
ところで、私の人生は私のもの。だれも私の代わりはできない。
今でいう「毒親」だとしても、それを理由に努力をしなかったことは私のせい。
ちゃんと勉強をしたり、ちゃんとビジュにも気を付ける努力ができなかったことは恥ずかしい。
まあ、高齢者女子になってから思うことでもないけどね。老醜と闘うのはだれにも難しい。
ただ、学校の勉強は放置していたけれど、好きなことは懸命にやっていたことはたしか。
たとえば、書道。小学1年生の私は「お習字を習わせてください」と親に頼んで、遠い書道塾まで、
重い硯の入った道具箱を抱えて、小さな足で懸命に通った。
道場みたいな広い畳の広間で、先生手作りの机の前に正座して、硯で墨をする。
黒く濃くすり上がった墨を筆にふくませて。勢いよく紙に筆を滑らせて字を書く。
墨の香りと、迷いなく置けば、二度と修正ができない筆で描かれる端麗な墨字。
私にはとてもおもしろくて仕方なかった。
小さい私はよくわかっていなかったけれど、その書道塾は界隈では有名な書道塾で、通っている
子供たちの数はとても多く、広間にも入れない場合は板の間の縁側で正座をして、練習が終わる子が
帰るのを待っていなければならないほどの人気ぶりだった。
広間の壁には、木札が掲げられていて、たくさんの生徒の段位と名前が並んでいた。
私は自分の級が上がるのがおもしろくて、懸命に練習した。
華道、茶道、柔道、剣道と、「道」の付く日本のおけいこごとは、精神修養の面があるが、
その「書道」塾も同じで、単にうまく書くことだけではなく、精神面での講義が入る。
「義を見てせざるは勇なきなり」を教えられたのは、小学2年生だったことをよく覚えている。
冬場に裸で井戸水を浴びるような先生だったから、武士道精神を私たちに叩き込みたかったのかも。
厳しいと有名な先生で、激しい叱責に泣いてしまう子もいたし、続かない生徒も多かった。
そんな先生がみんなの前で私を褒めてくださったことがある。
「○○さん(私)は。どれだけ先生から叱られても、帰るときは笑顔で『ありがとうございました』と
元気よく挨拶をして帰る。先生は本当に感心しています」と。
それはもう、毒親ありき。うちの両親は私を毒づくだけでなく、叩いたり蹴ったりで、本当に
怖かった。書道の先生が怖いとは言え、叩かれることはないんだから、どうってことないし、
徐々に級が上がるのが楽しかった。励みになった。
週1ペースではなく、週に何回も通うことができたから、皆勤の私はまさに墨まみれだった。
それが、ビジュ母の逆鱗に触れた。
書道塾に通ったのは私の意思。親のすすめでも何でもなかった。私の作品がコンクールで、
遠くの美術館に展示されたときは、一緒に見に行ってくれるくらいの親心はあったものの、
自分がすすめた習い事ではないことが気に食わなかった。
「そんなに習字ばっかり習って何になるのよっ。いい加減にしなさい」
怒鳴り散らされ、私は無理に辞めさせられることになった。残念、
母は私にピアノを習わせたかったのだ。
小学校5年生のときは、書道はすでに5段になっていたのだが、私の塾通いはそこで終わった。
どれほど、やりたいとは言ったところで、習い事にはお金がかかる。
スポンサーのご意向には逆らえなかった。反抗したら、罵倒+叩かれるしね。
習い事を辞めても、書道は学校の授業でもあるし、学校内で展示してもらえるほどの力は
ついていたし、大学時代は書道部の学祭応援にも駆り出された。
昔取った杵柄といったところだが、さらに社会人となってからは、字がきれいに書けるという
ことは、評価が高い。
今、在籍している会社でも、やはり、字が綺麗に書けるかどうかは、仕事に影響する。
IT企業だから、もちろん、ペーパーレスにはなっているのだけど、やはり、文字を書く場面は多い。
とても優秀で仕事ができる人であっても、字が汚いと、どうにも評価されないことが多い。
「もったいないなあ」と、ひそかに思う。上手でなくても、きちんと書くようにすればいいのだけれど、
上手く書けない人に限って、乱雑に書いてしまうような気がする。
お客様に宛てて、住所を書くのもシールが簡単に出せるのだけど、私はあえての手書き派だ。
やはり、丁寧に書かれた手書きの文字の威力はすごい。相手に伝わる。
身勝手なことでこちらを振り回していた相手が丁寧なわび状を入れて返してくださったりする。
「ご丁寧にありがとうございます」と、感謝の気持ちを伝えてくださることがとても多い。
態度があっさりと変わることを実感すると、やはり、手書きには心が宿るんだなあとうれしく思う。
強制的に書道塾を辞めさせられたときは、とても残念で悲しかったけれど、5年間の墨まみれの日々は、
私の人生に長く長く役に立ってくれたことは間違いない。
「そのくらい学校の勉強をしていたらね」という両親の声が仏壇から聞こえて来そうだけど。ふふ。
小さいころから罵られていると、動くものを親だと認知するトリさんのように、
「ブスだし、頭悪いし、スタイルも悪いし、人としての価値はなし」と自己肯定感が
低すぎる育ち方をしてしまった。
ビジュ母のことをどこか恨みがましく思っていた。
もっと、私を肯定してくれたら、私は努力をしたはずなのにと。努力をしたくなくなるまで、
叩きのめされた過剰な否定について、そこまでする必要はなかったはずと。
成長したら、「整形しなさい」とまで言われ続けたしね。
褒めて育ててもらえたら、私の人生は違っていたはずと。
それでも、今にして思うと、「それはないなあ」と思う。私の考えが甘かった。
母がどれだけビジュ第一主義で、父のことが嫌いで、そのうっぷんを私を罵ることで晴らしていた
ところで、私の人生は私のもの。だれも私の代わりはできない。
今でいう「毒親」だとしても、それを理由に努力をしなかったことは私のせい。
ちゃんと勉強をしたり、ちゃんとビジュにも気を付ける努力ができなかったことは恥ずかしい。
まあ、高齢者女子になってから思うことでもないけどね。老醜と闘うのはだれにも難しい。
ただ、学校の勉強は放置していたけれど、好きなことは懸命にやっていたことはたしか。
たとえば、書道。小学1年生の私は「お習字を習わせてください」と親に頼んで、遠い書道塾まで、
重い硯の入った道具箱を抱えて、小さな足で懸命に通った。
道場みたいな広い畳の広間で、先生手作りの机の前に正座して、硯で墨をする。
黒く濃くすり上がった墨を筆にふくませて。勢いよく紙に筆を滑らせて字を書く。
墨の香りと、迷いなく置けば、二度と修正ができない筆で描かれる端麗な墨字。
私にはとてもおもしろくて仕方なかった。
小さい私はよくわかっていなかったけれど、その書道塾は界隈では有名な書道塾で、通っている
子供たちの数はとても多く、広間にも入れない場合は板の間の縁側で正座をして、練習が終わる子が
帰るのを待っていなければならないほどの人気ぶりだった。
広間の壁には、木札が掲げられていて、たくさんの生徒の段位と名前が並んでいた。
私は自分の級が上がるのがおもしろくて、懸命に練習した。
華道、茶道、柔道、剣道と、「道」の付く日本のおけいこごとは、精神修養の面があるが、
その「書道」塾も同じで、単にうまく書くことだけではなく、精神面での講義が入る。
「義を見てせざるは勇なきなり」を教えられたのは、小学2年生だったことをよく覚えている。
冬場に裸で井戸水を浴びるような先生だったから、武士道精神を私たちに叩き込みたかったのかも。
厳しいと有名な先生で、激しい叱責に泣いてしまう子もいたし、続かない生徒も多かった。
そんな先生がみんなの前で私を褒めてくださったことがある。
「○○さん(私)は。どれだけ先生から叱られても、帰るときは笑顔で『ありがとうございました』と
元気よく挨拶をして帰る。先生は本当に感心しています」と。
それはもう、毒親ありき。うちの両親は私を毒づくだけでなく、叩いたり蹴ったりで、本当に
怖かった。書道の先生が怖いとは言え、叩かれることはないんだから、どうってことないし、
徐々に級が上がるのが楽しかった。励みになった。
週1ペースではなく、週に何回も通うことができたから、皆勤の私はまさに墨まみれだった。
それが、ビジュ母の逆鱗に触れた。
書道塾に通ったのは私の意思。親のすすめでも何でもなかった。私の作品がコンクールで、
遠くの美術館に展示されたときは、一緒に見に行ってくれるくらいの親心はあったものの、
自分がすすめた習い事ではないことが気に食わなかった。
「そんなに習字ばっかり習って何になるのよっ。いい加減にしなさい」
怒鳴り散らされ、私は無理に辞めさせられることになった。残念、
母は私にピアノを習わせたかったのだ。
小学校5年生のときは、書道はすでに5段になっていたのだが、私の塾通いはそこで終わった。
どれほど、やりたいとは言ったところで、習い事にはお金がかかる。
スポンサーのご意向には逆らえなかった。反抗したら、罵倒+叩かれるしね。
習い事を辞めても、書道は学校の授業でもあるし、学校内で展示してもらえるほどの力は
ついていたし、大学時代は書道部の学祭応援にも駆り出された。
昔取った杵柄といったところだが、さらに社会人となってからは、字がきれいに書けるという
ことは、評価が高い。
今、在籍している会社でも、やはり、字が綺麗に書けるかどうかは、仕事に影響する。
IT企業だから、もちろん、ペーパーレスにはなっているのだけど、やはり、文字を書く場面は多い。
とても優秀で仕事ができる人であっても、字が汚いと、どうにも評価されないことが多い。
「もったいないなあ」と、ひそかに思う。上手でなくても、きちんと書くようにすればいいのだけれど、
上手く書けない人に限って、乱雑に書いてしまうような気がする。
お客様に宛てて、住所を書くのもシールが簡単に出せるのだけど、私はあえての手書き派だ。
やはり、丁寧に書かれた手書きの文字の威力はすごい。相手に伝わる。
身勝手なことでこちらを振り回していた相手が丁寧なわび状を入れて返してくださったりする。
「ご丁寧にありがとうございます」と、感謝の気持ちを伝えてくださることがとても多い。
態度があっさりと変わることを実感すると、やはり、手書きには心が宿るんだなあとうれしく思う。
強制的に書道塾を辞めさせられたときは、とても残念で悲しかったけれど、5年間の墨まみれの日々は、
私の人生に長く長く役に立ってくれたことは間違いない。
「そのくらい学校の勉強をしていたらね」という両親の声が仏壇から聞こえて来そうだけど。ふふ。