今日の空。
あさ空はくもりで日の出は見えずでした。
ただ、また、外に出る前から窓が明るいオレンジ色に染まっていて、
雲の隙間から透ける海上のオレンジ色が印象的でした。
朝の記事でかごしま弁の「といまらん」をご紹介したので、
夜の部ではタイトルにしてみました。
いろいろと「やっておきたい」と思ってはいたものの、実現できなかった
といったことを「といまらん」と言います。
今年は半年以上も休職させていただいて仕事が「といまらん」だった
わけで。療養が一番の目的で、そのことについては、日々、がんばって
目的は達成していると言えるものの、「この先」のことばかりを考えて
「焦り」を感じて、気分が沈む日々との格闘もありで。
空を見上げて、料理を作って、小さく暮らした日々。
「この先」も頑張ろう。「この先」は何があるのか。「この先」はあるのか。
私に人生と言えるものがあるなら、それはきっと好きな仕事に就いていた
ときのこと。あのころは、仕事が趣味だと言い切っていましたっけ。
ひる空は晴れました。
「といまらん年末」ですが、灯油やコインランドリーやとお正月休みで
危うくなりそうなものなどの用を片づけに出かけて、ちょっと安心。
ミネラルウォーターも買って来ました。重たいものだらけで、うわあな
気分。買うのはいいけれど、ほんとにほんとに、急な外階段が厳しい。
身体の痛みに耐えつつ、1段1段、運ぶ。また、運ぶ。
この階段には母の介護でも悩まされ続けたけれど、自分の病気でも
悩まされるなんてと。この外階段には若干の恨みが(笑)
でも、母が若年性に近い認知症だったので、私も若かったから、母を
抱き上げて、この階段を上がるなんていう芸当もできましたが、今の
私ならとても無理でした。やはり、介護もタイミングというものがあると
いう気がします。
スレッドまとめで、奥様がかなり若くで認知症になり、娘さんがうつで
働けずに引きこもりになり、ひとりで奥様と娘さんを支えていらした
男性の方がいて、懸命に働いていたものの、とにかく奥様の徘徊等で
働き続けるのが難しくなり、福祉に頼ろうとしたものの、ご本人も
まだ若くて働けるために、援助は受けられずに疲弊されていった
話しを読みました。母のことを思い出して、手に取るような状況に
胸が痛みました。
私の母も認知症が進み過ぎていて、預かり先がなく、デイサービス
の利用しかできなかったけれど、それでは働き続けるのは難しいのは
この方と同じだったし、この方はさらに、働けない娘さんもいらっしゃって
介護にもお金がかかるし、どんどん切羽詰まって行かれて、最期は、
奥様と娘さんを連れて3人で自死なさったとのことで、人ごととは思えない
気持ちでした。私も働けるけれど、母を預けられないから、働くことが
できなくて、常に「この先」を考えて苦しむ日々でした。
徘徊もついて歩かないと、絶対に止めることはできないのです。
徘徊には母なりの理由があり、それをことばで制しても、それを理解
することはできないのです。無理に止めると、暴れるし、走って逃げるなど、
若いからこその体力があるために、かえって危険なのです。
「私、子供を預けているから、引き取りに行かないといけないの」という
母について行くと、おとなりに行って、勝手にドアを開けて家に入る。
鍵をかけていてくださればいいのに、みなさん、鍵をかけていないのには
本当に驚きました。家の人が出て来ると、母はさすがに「何かまずい」と
いうことには気がつくようで、それ以上は入らないのですが、留守宅には
勝手に入って行くので、言い訳しようがなくて、母に気を逸らすことばを
用意することに必死でした。
やんちゃなこどもたちが全く親の言うことをきかないのと同じで、こうと
思うと、ことばで言って聞かせても行動を制御できない。無理に止めて
暴れると、小さい子なら抱きかかえるなどができますが、相手は大人。
しかも、そんなお年寄りではないので、こちらの方の体力がついていかない。
そんな日々を階段を見る度に思い出します。
私はまだラッキーだったのは母ひとりだけだったからで、この方のように
別のご家族も支えなければならないとき、だれからも助けがない中で、
生き延びるのはむずかしかったことだろうと思います。
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