眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

1回目のがん発見での明暗

2025-02-02 09:10:33 | 闘病記
2月1日(土)のあさ空。
今日は雨のため、日の出は見えず。強い降りになったので、昨日、「がんばって」灯油を買いに行って正解だったとひと安心。ただ、実は昨日、ほかの荷物がたくさんあり、灯油は車にのせたまま。そのため、結局、雨の中、車から運ぶ羽目にはなったのですけれど。雨の中を買いに出かけるよりは気分的に楽です。


森永卓郎さんの訃報について書かかせていただいたのですが、やはり、山田五郎さんが、ご自身の「オトナの教養講座」で、森永さんにメッセージを出していらっしゃいました。五郎さんもモリタクさんが1歳年上で、ご自身と同様に原発不明がんの公表をなさっていたことに親近感を抱いていらっしゃったとのこと。その先輩が亡くなったことで目標を失った部分はあるけれど、自分は生き続けることを新たな目標にしたいとおっしゃっていました。
私も長く生きたい気持ちはもとからないものの、生かされるのであれば、生き続ける努力はするべきだとは思っています。五郎さんのメッセージ こちら

今日はひる空も変わらず。雨でした。


何かのご参考になるかもしれないので、私が最初のがんを発見した経緯を少し書き残しておこうかと思います。

最初のがんを発見したのは30年近く前のこと。
当時の私は月刊誌の編集部にいて、編集者として超多忙な毎日で、いつも帰宅は午前さま。そんな生活の中で、ちょうど特集企画として編集会議で決まったのが、とある医師の方の取材でした。その分野で注目されている女性医師の方を私が担当することになったのですが、アポ取りでは「私は忙しいから、時間は取れない。無駄な質問はするな」と、かなり手厳しく、取材には応じてはいただけたものの、取材内容の絞り込みが必要だと感じました。

長年、医療記事を書くことが多くて何十人もの先生方に取材はさせていただいていますが、応じてくださる方には2通りいらっしゃる気がします。取材者に医療知識がないことを前提として、患者さんに対するように、かみ砕いて、わかりやすく説明してくださる方と、医療知識がない者は取材しても意味がないと思う方。後者の方だと判断して、私はそれから、かなり下調べを綿密にして時間をかけました。もちろん、取材時には常に下調べをして、ある程度、記事の骨格を決めてから、取材しているのはいつものことなのですが、いつも以上に、幅広い医療データを集めて準備したのです。

結局、その取材には使わなかったデータの中に「がん」のハイリスク群や症状についてのデータがあり、自分がハイリスクに入る人間だということがわかったのが、自分のがん発見に役立つとは、全く思いもしなかったことでした。その取材から半年ほど経過したあと、調べていた症状が自分に出たことで、私は「はっ」として、半年前の準備データを再確認してみると、これはもう、がんであることは間違いなさそうな気配。すぐに、近くの公立病院を受診しました。

担当医(男性)はなぜか、すごく投げやりな態度で、「何しに来たの?」と言うのです。私は問診票にもきちんと自分の症状とがん検診をして欲しい旨を書いていたのに、見てもいないのかとちょっと驚きましたが、再度、心配な症状と検診して欲しい旨を伝えると、「ま。そう言うなら検診はしないこともないけど」みたいな、驚くような対応。正直に言って、ものすごい失望感というか、信頼が築けないといった気持ちでしたが、検査を受けるだけは受けようという気持ちで、我慢しつつも、検査も手荒くて、痛いのなんのって。もう、残念としか言いようがない対応でした。

2回の検査で「表も裏も調べたけど、なんともないので、ほっときましょう」というのが結果でした。表? 裏? え? その表現も適切ではないし、もともと、あきらかに現在の健康阻害をしている症状については言及もしない。最初から最後まで不信だらけ。私は病院から帰りながら、ふつふつとして怒りが湧いて来てしまいました。それは、ライターとしてのプライドだったと思います。これまで、仕事に対しては真摯に向き合って、できるだけ正しい情報を届けたいと思って誠心誠意やって来たつもりです。その私が「ほぼ、がんである」だろう症状で来院しているのに、この結果? いえ。もちろん、その医師の方の対応が信じられるものであれば、私は信じたと思いますが、あまりにも納得ができず。私は大学病院を受診することにしたのです。

私が行ったのは、国立大学病院として、知らない人はいないというほどのトップクラスの病院。ここで検査して「何ともない」のであれば、納得しようと。問診で対応した若手の医師の方に公立病院の結果では心配だったので来院した旨を伝えると、だれが担当だったのかを教えろというので、先生の名前を出すと、「ああ。××先生ね。あの先生は優秀な方なんで間違いないですよ。無駄足でしたね」と言われて、「こちらも同じか」という思いはありましたが、検査はしてくれるということなので、お願いしました。検査そのものは、問診した先生とは違い、ベテランの助教授。公立病院の検査とは段違いで、とても丁寧な検査であることがわかり、私はそれだけで安心して、今回、何もないと言われたら、納得できると思ったのです。

そして、助教授の結果説明は「がん細胞そのものを採取はできなかったのですが、前がん状態の細胞が数多く発見されました。私の長年の経験によると、これは間違いなく採取されなかったところで、がん化しているはず。すぐの入院を」と言われたのです。私は思わず、「やっぱり。私の仕事で培った知識に間違いはなかった」と、妙な昂揚感。がんという結果に、とても納得してしまったという、若干、変な患者でした。

その後、入院。2回の手術をすることに(1回目は手術の規模を決めるための確認のための手術)。結局、助教授の判断が正しく、広範全摘出となり、2回目は9時間に及ぶ大手術となりました。ステージは2B期。私のがんはほとんど、症状がなく、簡単には発見できず、症状が出て、発見できる状態になると、ほぼ手遅れという状態になりやすいがんだったので、最初の公立病院でがん細胞を採取できなかったのは責められないことではあったと思いますが、信頼してそのままにしていたら、確実に手遅れという状態になるのは否めなかったと思います。早い段階で発見できたのは、まさに、仕事に懸命に取り組んで来た自分のプライドだったなと思います。かなりあらいざらいといったくらいに摘出したので、抗がん剤は免れたというところも、自分の判断に助けられたといったところでした。

私が言えるのは、やはり、納得ができないことがあれば、病院を変えてみるのも恐れずにやってみていただきたいということ。あのとき、病院を変えなかったら、今の私はなかったと思うと、30年近くの人生を自分の判断で延命したということになるのかと。ええ。今のがんはそのときとは別の感情で動いてしまった結果ですが、それはそれ。でも、全く死ぬ気はしていません(笑)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿