眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

空から読み取ること 心を読み取ること

2024-11-30 18:35:56 | わたし記
今日のあさ空。
今日も雲が多く、日の出が見える天気ではありませんでしたが、
こんな風に、雲の隙間からさーっと降り注ぐような光を感じるとき、
古い名画に描かれた画面のように見えるなあと、いつも感じます。

小さいとき、父は世界の名作文学全集を買い与えてくれましたが、
一方で世界の名画集も買っていました。こちらは父の趣味で
子供用ではなかったのですが、その絵画を見るのが好きで、絵本は
与えられなかった代わりに、名作をよく眺めていました。

毎日の空を撮るようになって、そんなことを思い出していたら、NHKの
「ラジオ深夜便」のゲストに、気象予報士の長谷部愛さんが招かれていて、
東京造形大学で、世界の名画から気象情報を読み取るといった講義を
なさっているお話を聞くことができました。

描かれた風景の中から、そこに描かれた気象情報を拾い出し、何月ごろの
何時くらいの風景を描いたものかを読み取ることができるそうです。
また、時代的にどのような気候だったのかといったことなどの裏付けを
調査してさらに深く情報を読み取る。
新たな芸術への視点を探る。とてもおもしろいなと感じました。

よく宗教画の中で、雲間から光が差して来る画面が描かれていますが、
それは啓示といった意味での「故意」というものでもなく、私が日々、
太陽光を雲間から感じる実体験と同じではないのかという気がします。
昔、昔の人たちも私と同じように空を見上げ、空に描く気持ちを
カメラのように絵画に映していたのかもと思うと、楽しい。



今日はいつものように桜島の右肩越しに光があふれて来ることはなく、
左肩が明るくなっていました。
古くて性能があまりよくないカメラなので、お伝えできないのが残念
ですが、夜明けと日没の瞬間の驚くほどの輝かしい空は毎日の感動。


父は小さいころは医師か画家になりたかったそうで、特に絵画では小さい
ときから秀でていて、大きな賞ももらっていたようです。
私もスケッチなどをさせられていて、絵を描くのは好きだったのですが、
これを挫折させたのも父でした。

あれは小学校3年生の夏休みの課題だったかと思います。友達の顔の絵を
描いていたのですが、父は私の絵の上から、自分で色を描き足してしまい、
それをそのまま提出しろと言い渡したのです。

もう、私は大パニック。それは「不正」です。こんな屈辱的なことはないと
泣きたくなりました。それでも、父の命令は絶対。反抗すれば、また、
叩かれるのは必至。幼い私にはそれ以上の抵抗はできず、そのまま提出
しましたが、その作品は見事に賞入り。子供心なりに、「お父さんは絵が
うまいのだから、当然でしょうね」と、情けない気持ちと、自分の力では
ない結果に恥じ入り、地団太を踏む思い。嫌で嫌で泣きました。

幼稚園のときに受けた犯罪事件の被害者経験から、「不正」を極端に嫌う
子供であり、心に受けた傷から立ち直れないでいた娘の気持ちを全く理解
していなかった父。家のことなどは、何でも突き放して「自分でやれ」と
言い、手を出すことはないのに、娘が自分の力でやるべきものに手出しを
する父の姿に失望をしたことも大きかったと思います。

名作文学に執心したのも、元はと言えば、事件で傷ついた自分の心の
やり場を探すためだったことについても、父は何も理解していなかった。
小さな子供だから、覚えていないだろうといった程度の理解だったと
思いますが、小さいからこそ、自分が受けたたことの答えがわからず、
迷い、迷い、人から裏切られることへの恐怖や怒りがあった。

そのようなことが理解できなかったのは、おそらく父が両親に育てられず、
いわゆる家庭のあたたかさを知らなかったことが起因していたのではないかと
あとからは思いましたが、自分のものではない絵。事件の犯人たちと同様に、
自分を汚し、否定されたように感じて泣き続けました。

畳の上に、自分の涙が落ちて冷たくなっていくとき、私はこれは「悲しい」
のではない。「もっと私の気持ちにふさわしい言葉が欲しい」とまた、
泣きました。

子供は「大人が思うよりも状況を理解をしている」ということを理解する
大人もいますが、理解できない人もいる。子供を産むことはできません
でしたが、たとえ、通りすがりの子供たちとの小さな交流であっても、
そんな理解ができる大人であり続けたい。
子供たちの心を、願いを、読み取れる大人でありたいと願い続けています。

すべての子供たちが見上げる空に辛い思いを描きませんように。
辛い気持ちのときは、古代の人たちが見たように光差す空を見上げて
明日への希望を失いませんように。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿