眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

今夜は父との時間を

2024-11-21 19:14:46 | わたし記
今日の空。朝、6時過ぎは真っ暗。
冬に入ると、毎朝、真っ暗な中、手探りで鍵をかけて出勤していましたので、
お休みさせていただいている今は、出勤しないことが申し訳ない気持ちに。

小雨がパラつく曇り空。

薩摩半島南端の開聞岳は見えていました。

昼過ぎのひとときは気持ちのよい青空が見えましたが、やはり、すぐに雲が多くなっていました。


今日は父の命日です。
不思議なことに、母の命日も、私がお位牌を預かっている叔母(父の妹)も21日です。
私は母が亡くなる日は21日だと思っていましたので、21日いちにちを生き延びることが
できれば、まだ、大丈夫と思っていましたが、やはり21日に亡くなりました。

以前も書きましたが、私は少々、数字に縁を感じるので、そんなことを考えます。
2020年にオリンピックは開催されないとか。そんなことをついつい。
2022年は人と人との大きなトラブルが起きるとか(総理が亡くなりました)。

そういう意味では2024年はよい年のはずでしたが、私にとっては生死にかかわる
大変な年になってしまいました。いえ。それでも、生き延びたんですから、
いい年だったということですよね(汗)
「大量出血したら確実に死にます。すぐに救急車を呼んでください」なんて。
そんなことを言われて1か月以上もひとりでケアすることになるなんて、
どう考えてもいい年とは言えなかったと思うのですが。乗り越えられるか、
乗り越えられないかが、その人の運、不運ということであれば、たしかに運は
あったということなのでしょう。

私同様に自宅で療養していた父が「具合が悪い」と言うので、「病院に行きたい?」と
聞くと、「うん」と言うので、病院に運んだのが18日の月曜日。亡くなったのが
11月21日の木曜日。

病院に着いて「病院に来たら安心した?」と聞くと、「うん。安心した。ありがとう」と。

父の亡くなった年齢に日々、近づく。
亡くなったときは、たしかに「まだ早いでしょ」と思ったものの、それでも、
仕事や在野の研究者活動や平和運動などの団体活動やに邁進していた父でしたから、
充実した人生だったのだろうと思いましたが、自分に置き換えると、本当に短い
人生だったのではないかと。

私は何かできたのかな。お父さん。

父のお仏壇にお供えしようと、父の好きなものを。
鹿児島の芋焼酎に焼き芋なんて、芋尽くし(笑)
鹿児島のじゃんぼ餅も、柿も大好き。
大阪転勤時代は京都にもよく行きましたので、八つ橋に宇治抹茶のどら焼き。
今夜はそんな思い出を父と語りたいと思います。
かにみそで焼酎を飲んでね。

 

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