今日はママタンの洗礼記念日ニャン。
朝、起きる時に、
おめでとうおめでとうという天からの声を聴いて起きましたニャン♪
洗礼は、罪を悔い改めて神さまに還るしるし。
(すべてのいのちに願われていますニャン。)
自己中心だった人生を神中心に変えていただくこと、
メタノイア(方向転換)ですニャン。
神さまはキリストを信じるすべての人に永遠の命をお与えになりますのニャン。
そして、罪の赦しと神の子となる特別な権利をお与えくださり、
聖霊をお与えくださいますのニャン。
父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊によって聖水をかけられて
(または、イエス様がヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたように、
川や教会のにある水槽で全身を水につかる浸礼を受けますのニャン。)
イエスさまが洗礼をお受けになられた時、
聖霊がハトのような姿になってイエスさまの上に下って、
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
と天から声がしましたにゃん。
洗礼は、人が新しく生まれ変わるしるしなので、天でもお祝いパーティが開かれるのニャン。
聖書は神さまの生きた言葉ですニャン。
24時間365日、神さまが支え、導いてくださいますニャン。
フットプリントの詩にも支えられていますニャン。
毎日がクリスマスの喜びに変えられる神さまの愛は無条件ニャン。
愛といのち、平和、光の主に感謝します。
ニャーメン
あしあと(Footprints)
ある夜、私は夢を見た。
私は、主と共に、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人の足あとが残されていた。
一つは私の足あと、もう一つは主の足あとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は、砂の上の足あとに目を留めた。
そこには一つの足あとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつも私の心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ、私があなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、私と共に歩み、
私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生のいちばんつらい時、
一人の足あとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、
私にはわかりません」。
主は、ささやかれた。
「私の大切な子よ、
私は、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない
ましてや、苦しみや試みの時に。
足あとがひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていた」。