花押と朱印に見る、大名たちのビジョニング✨

2021-08-29 11:04:02 | 紹介
新型コロナウイルスの感染拡大の長期化は、当初の予想を超えたものになりつつあります。
私たちの生活への影響も、マスク着用、手指消毒から、働き方にまで及び、
正式文書にハンコを捺す作業も見直されているのも周知の事実。
「脱ハンコ」の後、文書などの内容を保証するものは・・・
直筆サインであり、暗証番号だったりするのでしょうか。

暗証番号は、デジタル社会が生み出したものですが、
サインにしろ、印鑑、印章にしろ、
文書の内容を保証したり、模倣や偽作防止のための工夫の歴史はとっても古い。
印章は、なんと紀元前5000年も前、メソポタミア文明の下で生まれ、
署名を花のように記号化した「花押」は、7世紀ごろ、中国の唐で生まれたとか。
その後日本にも導入されますが、現在見つかっている、最古の花押は933年のもの。

鎌倉時代、御家人も発給文書に花押を記すことが義務化されますが、
武家の花押は、父から子、孫へと受け継がれたり、同族や主従関係で似たものが多いそう。
室町時代には、足利尊氏の花押が「足利様」と呼ばれて一世を風靡したとも伝えられ。

でも、さすが、戦国の世に入ると、大名たちの花押は多様なものに。
一方で、家臣たちの花押は、統一的になっていった・・という現象が、
この時代の傾向のひとつを表していると感じずにはいられません。

戦国の世を生きた大名たちの花押は、
実名やニックネームを花押として加工するのはもちろん、
鳥などをユニークにデザインしたり、
上杉謙信や信玄公はと言えば、一筆書きではなく、何度も筆に墨を塗り重ね、
結果として、どっしりと、安定感のある花押に!
時代をリードする信長、それに続いた秀吉の視線の先には、平和な世があって、
そうした社会を作らんとする願望(!?)を花押にも託した・・という見方も。

そして現代、花押は遺言書などの公的文書では認められないようですが、
首相や各大臣は署名の代わりに花押を使う(!?)というから驚きです。

・・・
戦国時代は、大名たちがそれぞれの領国統治のために発布する文書が急増する時代です。
一通一通に、花押を記すことは、もはや現実的ではなかったのでしょう。
数多くの朱印が、文書に捺されるようなります。

でも、やっぱり、
花押のように、朱印の文字や柄、モチーフにも、
生き様やビジョン、メッセージが込められたようなんです。

信玄公の「龍」や、勝頼公の「獅子」は力強さを象徴し、
「甲斐国志」より
左の列から、信虎公の「虎」の朱印、信玄公の龍朱印、勝頼公の龍と「獅子」の朱印

今川義元の印章には、陰陽師が使った魔除けの呪文「急々如律令」が刻まれて。
北条氏の印に刻まれた「禄寿応穏」(ろくじゅおうおん)
すわなち、「領民の財産、命は、北条が守る」は、まさに、お家の理念があらわされ。
信長の「天下布武」はいわずもがな。

・・・
あわただしい毎日を送りがちな私たち。
でも、たまには、自分にとって大切な軸が何か、確認してみるのも良いかもしれません。

最後にちょこっとお知らせです✉

8月中旬に、当館特別展示室にてお渡しする予定だった
甲斐府中・建設開始記念、信虎印バージョンの御城印ですが、
臨時休館の延長でのびのびになっております。
具体的な配布時期については、決まり次第、当ブログでお知らせいたします。
楽しみにしてくださっている皆さまには、大変申し訳ございませんが、
もう少しお待ちいただけますよう、よろしくお願いいたします🙇

今日は、時の流れがちょっとゆっくり感じる、
まったりとした曇り空・・・

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