ご存じのとおり、再び新型コロナウイルス感染拡大が広がっています。
当館も入館時に検温・消毒をお願いし、特別展示室では健康チェックシート
のご記入もご協力いただき、細心の注意を払って運営しています。
限定版の御城印もまだまだ数に余裕はあります。
平日、土日も含め、今のところ満員で入れない日はありませんので、
くれぐれも焦ることのないようにしてください。
体調に不安のある方、あるいは不幸にも感染された方がお近くに
いらっしゃり、濃厚接触の疑いがある方につきましては、
ご来館をお控えいただくよう、改めてお願いいたします。
さて、そんな新型コロナウイルスの感染拡大とともに、
呼びかけられるようになった「新しい生活様式」。
まめに手洗い、こまめに換気、「三密」の回避など。
感染症が流行ると、人は感染防止や、その終息のために、何か打つ手を考えるもの。
どうやらそれは、今の時代に始まったことではなく、
遠い昔の奈良時代、疫病が大流行した時も同じだったようです。
律令国家の中心として平城京が栄え、諸外国との交流も活発だったころ。
天平7~9年(735~737)に日本中で大流行した天然痘。
当時の日本の人口の25~35%、
100万~150万もの人々が感染、死亡したという推計もあるほどに猛威を振るいました。
国の動きを止めんばかりの疫病を前に、人々は、多様な対策を取ったにちがいありません。
その片鱗は、さまざまなものを葬った穴の跡から出土した
木簡に垣間見ることができます。
記されていたのは、例えば「唐鬼」※
※疫病は瘧鬼(ぎゃくき)が引き起こすと信じられ、
「瘧」に「唐」の字を当てたのは、
天然痘が日本の外からもたらされたと考えたからか、
単なる書き間違いか、定かではないようです。
他に、「急急如律令」(律令のごとく、すぐに行うこと)などなど。
こうした呪符木簡が、当時の医療行為の一環であるなら、
同じ土坑から多く出土している、完全な形に近い食器からは、
感染を蔓延させないべく「食器は使い回さない」
生活上の工夫があったと、推測されているようです(所説あります)。
信玄公の生きた戦国の世も、
地球規模で寒冷期であったといわれる時代。
武田家が治めた、躑躅が崎館の城下町「甲府」にも
疫病から甲斐国を守ってほしいと願ったのでしょう。
疫病神をお祀りする、牛頭天王社も建てられました。
牛頭天王社跡にのこる、役行者の石像
武田氏館跡から出土したかわらけ
信玄ミュージアム 特別展示室で展示中!
戦国大名の館跡、城下町から大量に出土するかわらけ。
本来的に、儀礼饗宴の清浄観念による一回性が重視された
使い回さない素焼きの器ですが、
そうした使い方もあったかも・・・しれません。
「なぶんけんぶろぐ」参照
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