時間が経つのって、あっという間ですね!
信玄公ご生誕500年記念まで「あと20日✨」まで迫りました。
この500年、多少の波はあろうと、これだけの存在感を保ってきたのはすごいこと。
信玄公が帰らぬ人となった後、跡を継いだ勝頼公も太平の世を見ぬままに自刃、
拠点とした躑躅が崎館も、文禄2年(1593)、甲府城築城と入れ替えに廃城。
にもかかわらず、「戦国大名武田信玄」が、人々の記憶から消え去ることがなかったんですから。
そのワケは、ご自身が抜きんでた戦国の武将であったことに加え、
信玄公を崇敬したといわれる徳川家康により、武田家の遺臣が少なからず徳川家に召し抱えられ、
武田氏の政が後々まで幕府に影響を与えたこと。
武田氏遺臣の末裔、第5代将軍綱吉の側用人を務めた柳沢吉保は、
高家武田家の創設、信玄公百三十三回忌の法要、また、甲府の経済発展にも尽力したことなどが考えられますが・・・
甲斐国の人々のみならず、信玄公が忘れえぬ武将として、ひろ~く記憶されたのには、
幕府によって、甲州流軍学が認められたことも大きかったかもしれません。
その聖典「甲陽軍鑑」は、階級を越えてベストセラーとなり、
「甲陽軍鑑」に登場する家臣たちは「武田二十四将図」に描かれたことを皮切りに、
信玄公は軍神さながら、家臣たちは魅力あふれるキャラクターとして、
軍記物や浄瑠璃、錦絵などで人気を博していきます。
そんな江戸時代も終わると、
大正4年(1915)、大正天皇のご即位を契機に、信玄公に従三位が追贈、
大正8年(1919)、長きにわたる、地元での悲願「武田神社創建」が果たされ、社殿が竣工します。
神様としてお祀りされた信玄公は、時代の変化と共に、「軍神」から「勝負」の神様に✨
武田神社は、ご参拝の絶えない神社となりました。
昭和38年(1963)からスタートした大河ドラマでは、
昭和63年(1988)の「武田信玄」、
平成19年(2007)の「風林火山」ではご存知(!)山本勘助を主人公に。
そして、武田信玄公生誕500年を記念して製作されたのが、
信玄公の父であり、甲府の礎を築き上げた武田信虎を主役とした、映画「信虎」。
ポスター、もちろん、飾らせていただいてます😉
新型コロナウイルス感染拡大防止をしながらも、
生誕500年を記念するイベントも企画されています。
つい先日も、「武田氏館跡を巡る!春風亭昇太の私の地域歴史探訪」が開催されたばかり。
非公開の天守台見学を含めた歴史ウォーク、当館見学、トークイベントに落語(!)など盛りだくさんなイベントでした。
忙しいスケジュールの合間に、当館もご見学いただきました。
師匠の色紙、うれしいです💛 ありがとうございました🙇
当日の様子はこちらで・・・
そしてそして、生誕500年の当日、11月3日は、
信玄ミュージアム主催の特別ガイドツアーでミュージアムと史跡をご案内。
普段はちょっと見られない(!?)エリア込みの館跡ツアー、
メインエントランス前での武者パフォーマンスなども予定しています😃
各種イベントのご案内は、近日中にお知らせいたしますので、お楽しみに。
後は良いお天気を願うばかり🌞
多くの皆さまのご来館をお待ちしております🙇
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