戦国の館に稲荷(その2)

2021-06-12 09:01:00 | 紹介
お稲荷さん。
江戸時代以降、いわば流行神として爆発的に増え、現在に至ってもお社の数が全国屈指。
期待されるご利益は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などなど。

けれど、戦国武将たちが、お稲荷さんに願ったのは、そういうのではなく、、
どうやらそれは、「城の鎮守」だったようなのです。

こうした城鎮守メインの稲荷社、現存のほとんどが戦国時代のものだとか。
鬼門除け、そして稲荷神と習合した荼枳尼天(だきにてん)の一切法成就の神通力が期待されたようです。

荼枳尼天!?
荼枳尼天とは、左手に剣(=武神)、右手に宝珠(=福)を持ち、白狐に乗る天女姿の神。

人の死期を半年前に知り、死ぬまでその人を守護し、死の直後にその心臓を食べる。
これが荼枳尼天の呪力の源となり、人間を自由自在に支配してしまうとか。
その恐ろしい力に、「戦勝」の力まで与えたのは、大黒天。
七福神の一柱であり、財福をご専門とするいかにも縁起の良い神さまの大黒天です。
だから、とっても意外なのですが、本来は、マハー(=大)カーラ(=黒)、ヒンドゥー教ではシヴァ神。
その黒は暗闇を意味し、全ての色を飲み込み、全てを内に宿す色。
墓場に住み、血肉を食べ、冥界にあっては閻魔大王と重なる存在。
もともとヒンドゥー教の神でありながら、ヒンドゥー教を打ち負かし、仏教の護法神になった神さまです。
そのためでしょうか。財の神さまでありながら、軍神。

そして、大黒天をバックに控えた(!?)荼枳尼天が、
さらに日本のお稲荷さんと習合したのは、キツネによるご縁。

キツネは、田んぼの益獣である反面、墓を掘り、死体も食べるとされ、
また一方で、諸国を駆け回り、様々な情報を集める力もあると考えられたようです。

戦国大名たちは、そんな荼枳尼天と重なった稲荷神を祀ることで、
敵を降伏させる荒々しい力を求めたのかもしれません。
城を守ることは、家、家臣、そして自らのの命を守ることに直結しますから。
欲しかったのは、怨敵退散。他を寄せ付けないブラックパワー!

・・・
館にお祀りされた稲荷神。
それはもちろん、屋敷神、地神でもあったわけですが、
一度、加護を求めた以上、稲荷神は丁重にお祀りし続けなければならない。
さもなくば、すさまじい祟りがある😨と考えられました。
そのため、城主が変わっても、稲荷神は引き続きお祀りされたとか。

武田氏館跡のお稲荷さんも、そんな稲荷神の一柱として、
これからも、ずーっと、こちらにいらっしゃるのかも・・しれません。

稲荷曲輪の場所は赤い↓の指し示す場所。
主郭の北側、整備された「お館様の散歩道」からの方が入りやすいかもしれません。
また、付近を散策される際は、お足下にお気をつけください。


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