今月3日に生誕500年を迎えた信玄公。
お生まれは、現在展示中の多賀大社に厄除けを祈った願文によると、辛巳の年、
つまり大永元年(1521)とわかります。
また、『甲陽日記』によると、大永元年には今川勢が大軍で甲府へ侵攻を開始し、
9月16日に富田城(南アルプス市)が落城したことを受け、翌日には大井夫人は避難したようです。
10月16日には甲府の入口に当たる飯田河原で合戦となり、武田方が勝利しました。
その勝ち戦の後、11月3日に信玄公が誕生したと記録されています。
二つの資料により、大永元年11月3日誕生が確認されるわけです。
さらに『甲陽日記』の記述から、避難先の甲府市北部の積翠寺丸山の城(現要害山)
で誕生された可能性が高いと考えられています。
大井夫人は出産間近の身重の身でしたので、輿に乗っての登城だったのでしょうか?
また、その山麓の積翠寺という説もあります。
積翠寺には産湯の井戸と伝わる古井戸が残されていますので、出産環境も考えると、
こちらの可能性も否定はできません。
いずれにせよ、500年前の本日、11月27日に生後間もない信玄公は、
初めて府中に下った、と『甲陽日記』では記録されています。
数日前の11月23日に行われた、上条河原の合戦で今川方の大将福嶋氏を打ち取り、
武田方の勝利が決定的となったため、これ以上の侵攻はないと判断したのでしょう。
(手前が要害山、左上の躑躅が崎の尾根先端部の長方形の区画が武田氏館)
そんなミニ500年記念日ではありますが、生誕500年記念で3日から配布を開始しました
限定デザインの御城印2021枚は、ちょうど本日午後をもちまして
すべて配布を終了いたしました。
期間中、多くの方にご来館をいただき、誠にありがとうございました。
以後は、通常デザインの御城印となっていますので、ご承知おきください。
なお、12月20日は信虎公の館移転と甲府開府記念日があり、
信虎公の虎朱印版の御城印に切り替わる期間があります。
近くなりましたら、改めてご案内しますので、よろしくお願いいたします。
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