当館、ただいま臨時休館中ではありますが、、、
2021年度は、信玄公ご生誕500年を記念して、
普段、なかなか展示されないゆかりの品々を、テーマ毎、月代わりに展示しております。
2月までは「信玄公のくらし」をテーマに、茶入れや寄進や遺品と伝えられる茶道具を・・・
と思っておりましたが、あいにく開催期間が確保できず、後期展示は中止といたしました。
信玄公といえば、中国へのあこがれ強く、武将としての嗜み以上に、漢詩や和歌を愛好し、
その一方で、「甲陽軍鑑」などの史料には、信玄公と茶道との関係を記すものは、ほとんどなく・・・
でも、論より証拠。
茶入、茶臼などの品々が伝世され、茶臼や天目茶碗などが出土していますので、
それなりに茶を嗜んでいたことは確かかと。
そして、茶道とともに、室町時代から戦国時代にかけて
理論が確立し、大成したとされるのが「いけばな」。
茶道同様、信玄公との関係はよくわかっていないながらも、
館跡の調査でも花瓶の破片が出土しています。
室町時代の座敷飾りの秘伝の書「君台観左右帳記」には、
床の間の前身、押し板を飾る茶道具、香炉とともに花瓶も描かれていることから、
お茶とお花には深い関係がありそうで、
今回は、そのいけばなにクローズアップしていきます。
・・・
いけばなの源流はどこにあったのかといえば、
それは神の「依代」として見立てられ、供えられた草木にあったのではと考えられていて、
諸説ありつつ、今でも神棚に欠かせない榊(サカキ)なんかは、
そこに降り立つ神と人との境界に供えられた「堺目の木」だからサカキ、だとか。
「依代」というのは、神霊が寄り付く場所。
あらゆるところに神が宿るとする、日本独自の考え方が反映されていますが、
いけばなにも、それに通ずる世界観があって、
例えば、今でも、基本の枝3本を「天・地・人」とし、この世の3つの力が調和した、
ある意味「祭壇」的要素が受け継がれています。
6世紀になると、大陸から仏教が伝来され、仏前に花を供える風習が生まれます。
華厳経や法華経など、その名に華(花)という字が含まれる経典が存在するように、
仏教と花もまた、深い関係にありました。
でも、「供える花」から、人の手によって活けられた「鑑賞の花」、
「いけばな」の誕生は嵯峨天皇(位809〜823)の時まで待たなければなりませんでした。
都の中心よりも少し離れた、現在の嵯峨野の地を愛した帝が嵯峨院を建立。
その庭に咲く野菊を手折り、殿上の花瓶に挿したという寺伝から、
京都嵯峨大覚寺は、いけばな発祥の花の寺とされています。
いけばなのお話、まだまだ続きます!
どうぞお付き合いください🙇
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