信玄公もとても頼りにした、軍神・諏訪明神ですが、
そのご守護は「広大無辺」、不可思議さもお持ちの諏訪の神さま。
信玄公がどんな神さまをお信じになったか知りたくて調べていくと、
どうしても避けては通れないご存在がありました。それが「大祝」(おおほうり)。
「大祝」とは、諏訪大社の神職のトップ。
世襲する諏訪氏は、諏訪郡を治める武家であると同時に神官。出自は諸説ありますが、
家伝によれば、諏訪明神に選ばれた童男から始まった・・とか。
その即位の儀式が、諏訪明神をちょっとでも理解するヒントになるかも・・しれません。
大祝に即位するにあたり、諏訪家の童男(8歳頃)は30日余りかけて身を清め、
諏訪明神の神原より神霊をご神木、その下の神石へとお招きします。
その石を内側に幕を張って、神殿を設け・・・
神官・神長官(じんちょうかん)が、石上の童男に、諏訪明神の姿と伝わる烏帽子、狩衣、指貫などを身に着けさせ・・・
一連の儀式を経て、童男に神霊が宿り、大祝に即位、現人神に✨
だから諏訪大社には本殿がありません。ご神体は守屋山であり、ご神木であり、大祝✨。
ちなみに、儀式を主導したのが、建御名方神に屈した洩矢(もりや)神の子孫と言われている守矢氏。
神社の事務長格「神長官」を代々受け継ぎました。
武田家はその祖をたどれば清和天皇につながる血筋。こうした例はそれなりにあるようですが、
諏訪氏のように祭神をその祖とする家はとても珍しいそう。
だからこそ、諏訪御料人を母に持った勝頼公が大祝となられていたら、
どんな存在になられていただろうかと・・、想像せずにはいられません。
・・・
ただいまの特別展示室のテーマは「信玄公の信仰」(後期)です。
*「不動明王画像」伝逍遥軒信綱作(大泉寺所蔵)
*「武田信玄像」(個人所蔵)
*「武田信玄願文曰」(神長官守矢史料館管理・個人所蔵)
神職「大祝」は、明治維新以降、神官の世襲制が廃止され、途絶えます。
神長官も同様で、その一子相伝の秘伝もほとんど失われたと言われています。
ですが、今日、守矢家で継承してきた文書を保管・公開する「神長官守矢史料館」があり、
中世の古文書、諏訪大社の祭礼を伝える貴重な史料が展示されています。
神長官守矢史料館の情報はこちら↓からどうぞ。
今回のテーマ展示では、こちらの史料館より、信玄公が諏訪大社に奉納した願文をお借りしております。
「信玄公の信仰」(後期)の展示は12月26日(日)まで。
師も走る忙しい時期ではございますが、ぜひご見学にお越しください。
皆さまのご来館をお待ちしております🙇
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