信玄公も頼みに!諏訪の神のふしぎ✨(その1)

2021-12-12 18:22:12 | イベント
旧堀田古城園の冬の庭✨
雲が多いですが、写真中央奥の富士山🗻が見えますか?
すっかり雪に覆われて見慣れた冬の富士です。


冬晴で風も穏やかな一日でした。
そんな陽気もあってか、いつもより混雑の日曜日となりました。

信玄公生誕500年記念で展示中の信玄公が諏訪大社上社に捧げた「武田信玄願状曰」。
信玄公も崇敬した諏訪大社について、少々ご紹介してみたいと思います。

武田軍の軍旗と言えば「風林火山」が有名ですが、本陣にはほかにも
「勝軍地蔵大菩薩」・「八幡大菩薩」と「諏訪明神」の旗を掲げました。
氏神様などと共に頼りにされた諏訪明神って、どんな神さまだったのでしょうか。
諏訪大社のHPによると・・・
「諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。
また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として
御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。」

主な祭神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)とその妻・八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)。

「古事記」が記す諏訪大社の創建は、
国譲りをかけた、武御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)、
相撲の元祖にもなった2柱の”力くらべ”のてん末として語られています。

武御雷神に負け、この地から出ないことを約束したのは建御名方神なのですが・・
諏訪に鎮座されてからは諏訪明神として祀られ、朝廷も認める軍神として信仰されるように。

そこに隠されているのは、もともとこの土地を治めていた豪族(守矢氏)が、
別の氏族(神(みわ)氏・諏訪氏の祖)に制圧された末の、祭政権交代の物語。

しかし、人はそんな簡単に、かつて頼りにした神さまを忘れられるものではありません。
結果として、諏訪明神は、この地の守屋山という御神山同様、雨や水、そして風をも治めることも期待され。
また、日本では、水の神さまが蛇や龍の姿に重ねられ、
さらに蛇が脱皮する姿から、”死と再生”という生命の循環、豊穣が想起されることがよくありますが、
諏訪明神も、諏訪湖の御神渡りの神事では、蛇神、龍神のお姿でとらえられたとか。

諏訪の地は、「ミシャクジ」信仰発祥の地とも言われています。
聞きなれない言葉ですが、”石神井”(しゃくじい)など関連する地名も各地に。
この「ミシャクジ」、神さまというよりも、命を呼び起こす精霊に近いものなのかもしれません。
卜占で使用する石棒に宿ることもあれば、稲を守護する耕作の神になることも。

異国の者や、帝に従わない者から国を護る神として、早い段階から朝廷より評価された諏訪明神ですが、
狩猟の神としても信仰を集めたのはどのようないきさつだったのか。
野生の鳥獣もまた自然の恩恵で、作物と同じく生活の糧として関連付けられたのでしょうか。
いずれにせよ、諏訪では肉食を禁忌した時代においても、狩猟が許され、
その大社では「御頭祭」(おんとうさい)という、「御柱祭」同様、非常に特徴ある神事が執り行われてきました。
余談ですが、そういえば、来年は御柱祭が開催予定です。
・・・
諏訪明神という神さまをひとつのイメージに集約するのは無理がある?
けれども、諏訪大社を特徴づけているといって過言ではない、諏訪明神の現人神「大祝」(おおほうり)。
その即位の儀式が、諏訪明神やその信仰のヒントになるかもしれません。


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