最近まで日本人の多くが、日本が植民地時代に悪いことをしたので韓国人が怒り続けるのも無理はないと思っていた。 左派メディアもこの基本線で報道をしていた。どうも違うようだ、とようやく気づき始めたのが今である。
韓国の反日は、日本が何をしようがしまいが激化していく。
領土問題では奪われた方が騒ぐのが普通だが、奪った方が大騒ぎしている。
李明博前大統領は「聖地」に降り立ち、日本を侮辱する大見得を切った。
いくら謝罪しても無駄なことは、
朴槿恵大統領が「被害者と加害者の関係は千年変わらない」と宣言し明らかになった。
盗んだ仏像の返還拒否、条約破りの高裁判決、慰安婦像設置など米国での反日活動、靖国神社に対する狼藉と放火未遂、「原爆は神の罰」の新聞報道、東京五輪開催決定間際の汚染水問題に伴う日本水産物禁輸処置と、挙げればきりがない。
問題の核心はどこにあるのか。日本の贖罪や償いとは一切関係ない。
それはひとえに韓国が独立戦争で勝ち取った国でないという韓国人自らの「脛の大傷」にある。
米軍進駐により棚ぼた式に独立を得た韓国には、そもそも国家の正当性というものがないのである。
その正当性をひねり出し、脛の傷に絆創膏を貼る必要があった。
韓国の歴史認識という「正しさ」の捏造である。韓国のいわゆる民族主義観は次の4点から成る。
(1)高度な文明国だった朝鮮が野蛮人とみなされていた日本人に侵略され侮辱された
(2)朝鮮統治における「改善」は、朝鮮人を効率的に搾取し支配し同化するため日本が朝鮮近代化を必要としたにすぎない
(3)統治時代、朝鮮人民による解放闘争が継続的に行われた
(4)日本人が朝鮮人に対する非人道的方策を推し進め一方的かつ高圧的に臨んだため、抵抗運動は活発化し同化政策は失敗したである。
今日では、韓国の経済史学者、修正主義史観の米学者、日本の地道な少数の学者たちの努力によって、
韓国の民族主義史観は韓国以外の地ではすでに崩れている。
まず李氏朝鮮に高度な文明などなかった。李朝五百年は中国から学んだ朱子学の儒礼の実践、消化に費やされ、経世済民を思わぬ李朝政権により朝鮮は貧窮に閉ざされていた。
日韓の保護条約は高宗王が大臣5人に丸投げして生まれた。
「そちたち良きにはからえ」と王が言った史料が3カ所から出ている。
よって不法ではない。不法なら時の列強がそれを盾にたちまち襲いかかったことだろう。
収奪史観は日本のマルクス主義者たちが教えた方法である。が、貧窮の朝鮮には収奪するものがそもそもなかった。インカ帝国のように金でも採れれば収奪しようもあったろうが、何もなかったので他の植民地支配のように過酷にはなり得なかった。労働を知らない彼らにその価値や意義から教えなければならなかったことが日本による「改善」其の一であった。
別に私は韓国が憎くて書いているのではない。このままでは日本の植民地統治が世界一残酷だったと教えられ、テロリストや爆弾魔を解放運動の雄だと刷り込まれた韓国の若者が、海を渡り過激な行動に走る危険性があると指摘せざるを得ないから書くのである。
植民地統治は一応の成功を収めた。巨額の投資が行われ、朝鮮は年々経済成長し、近代教育は一般化し、
1945年以降の教育制度の前提を成した。コメを収奪する必要もさらさらなかった。年々豊かにとれるコメは、
民法で保証された農民の土地で収穫され、経済原理により日本に輸出された。
軍が直接、暴力的に農村から女性を連行した事実を裏づける公文書は発見されていない。
都市では戦後の企業を立ち上げる有能な経営者が総督府や銀行と協力し、民族資本家として育っていった。
これらが実証されたからといって韓国の民族主義史観が放棄される兆しは残念ながらない。
それを認めれば、国家の正当性が崩れてしまうからである。したがって韓国人の考えは変わらない。
それどころか、目や耳をふさぐ集団催眠状態が続いて、日本人が怒っていることにも気づくまい。
解決策はない。植民地統治が合法的に自然に始まり、独立戦争のないまま米軍の進駐で自然に終わったという、朝鮮近代化の真実を韓国人が認めることはあり得ない。近代国家が国家理性に傷を持つとは、かくも大きな結果をもたらすのである。
一国の指導者が国内に行けない所があるという、わが国の靖国神社問題も国家理性の傷であり、韓国をもって他山の石となすべきだろう。