大阿蘇タロウの周辺ブログ

身近に起こった出来事の記録。

スバル、レガシィを改良とおもったら、オイル漏れでリコール。

2010-06-19 08:36:58 | Weblog
「富士重工業は、レガシィシリーズに一部改良を実施。本日より販売を開始した。
今回の改良では、ステレオカメラを使用した運転支援システム『EyeSight(アイサイト)』の機能をさらに強化。
新たに自動停止機能を備えた「プリクラッシュブレーキ」が追加された。
このシステムは、先行車などの障害物の手前で自動ブレーキを作動させ、追突事故を回避、あるいは衝突の被害を軽減するというもの。
対象物との速度差が30km/h以下の状況では、衝突を回避することが可能となった。」


 画期的な技術だと思って調べてみたが、速度差が30km/h以下なら衝突回避ということらしい。
追突事故は渋滞の時も結構起きるから、もしそれが回避できるならありがたい。
個人的にはスバル車に対するイメージはとても悪い。
新車で購入して10年程乗ったけど、とにかくオイル漏れに悩まされ続けた。
メーカーにも失望したが、オイル漏れの修理さえまともに出来ないディーラーにも失望し、
「あんな連中とは二度と関わりたくない。スバル車は、二度と買わない。」と誓ったものだが、
少し興味を感じていたが、スバル車の持病「オイル漏れ」は、未だに解消されていないようだ。

「富士重工業は17日、スバル『レガシィ』のオイルクーラーホースに不具合があるとして、国土交通省にリコール(回収・無償修理)を届け出た。
対象となるのは、2009年7月3日~同年10月5日に製作された7626台。
無段変速機(CVT)のオイルクーラーホースの製造過程の作業が不適切なため、ホースの内面にシワが発生し、シワを起点に亀裂が内面から外面に進展し、オイルが漏れて走行不能になるおそれがある。」

やっぱりスバル車はやめておこう。

慰安婦

2010-06-17 04:31:51 | Weblog
 慰安婦とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争及び韓米軍事合同訓練並びにアメリカ軍、連合国軍[10]及び国連軍[8]の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍や韓国軍やアメリカ軍や国連軍[8]の軍人に対して、性的サービスを行っていた女性の総称。

 韓国のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている。朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった[4]。さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[2]。少なくとも1980年代までは韓国人女性達はアメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた[25]。韓国人女性達への強制が終わると、ロシア人女性やフィリピン人女性達が代わりとなった[10]。1990年代以降の韓国では、アメリカ軍基地の近くで韓国人業者によりフィリピン人女性達が売春を強制されている[27][28]。 1990年代中ごろから2002年までに5000人のロシア人やフィリピン人女性達が密入国させられた上で売春を強制させられていた[27][29]。2000年代の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている[26]。2009年現在のアメリカ軍基地近接地で売春を強制させられている女性に占めるロシア人女性の比率は減少しているがフィリピン人女性の比率は増加している[28]。なお、韓国では売春は違法行為である[30]。

慰安所の管理・運営 [編集]

日本国

* 太平洋戦争の生き残りの兵士として有名になった小野田寛郎は1940年前後に、商事会社の漢口(現・武漢)支店に勤務していた時代に、朝鮮半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話をしばしば聞いたという。中国江西省南昌の「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業しており、軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒するため、鉄帽を被り、銃と剣を携えた歩哨らが、慰安所の内部まで巡察し、利用者数の記録を確認したという。[73]

* 安秉直ソウル大学教授によると営業者の半数が朝鮮人であるとしている[22]。

韓国(朝鮮戦争まで)

* 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた[1][2]。

* 韓国軍は部隊長の裁量で、周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[9]。

* 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用した[9]。

韓国(朝鮮戦争後)

* 1970年代初、アメリカ軍は韓国政府に基地村浄化事業を行うよう要求した。

* 朴正煕政権(1963年 - 1979年)は性病を規制をする目的として、慰安婦を自治会に所属させ、身元などを正確に把握させた上で相互監視を行わせる教育と管理システムを運営した[6]。自治会長は韓国警察や韓国公務員によって選定された[6]。

* 女性たちの写真や個人情報などはアメリカ軍も管理した[6]。

* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は性病の疑いをもたれると韓国警察によりモンキーハウスと呼ばれる窓に柵のされた施設に留置され強制的に薬を完治するまで飲まされることとなっていた[25]。また、性病に罹患した女性達は治るまでの間は強制的に拘置所に隔離されていたと在韓米軍の性病報告に記録されている[11]。また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された[26]。

* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は容易に行為の相手から見分けがつき易いように番号札をつけることを強制されていた[25]。

* 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は韓国政府から特別な講義をしばしば受け、「真の愛国者」や「ドルを稼ぐ妖精」と称賛されていた[26]。また、韓国政府は女性達に韓国を助けるために来た兵士達が満足するように清潔にしなさいと指導した[26]。

* 全斗煥大統領(1980年 - 1988年)による基地コミュニティー浄化キャンペーンが実施されると売春婦とアメリカ兵との関係の発展を目指して、エチケット講義が行われるとともに頻繁に薬物療法が行われるようになった[26]。医師免許を持たない医者達の前で脚を広げることを強制され、抗生物質を打たれて死にいたる女性もいた[26][6]。女性達が逆らうと彼らに暴力を振るわれて監禁されることとなっていた[26]。

 1992 年から、現代史家の秦郁彦(元日本大学教授)を初めとする歴史学者などが、吉田の証言やその経歴や著書において嘘や矛盾があると指摘していたが、1996年、吉田清治が自身の証言における「時」と「場所」はフィクションであることを明らかにしたことで、慰安婦の強制連行の大きな根拠とされて来た吉田証言への信憑性が揺らぐこととなる。そして、慰安婦の強制連行を認めない保守系の論客や、メデイアは、吉田証言を大きく取り上げて来た『朝日新聞』に対して、それまでの慰安婦報道において事実の歪曲があった[139]ということを含め、厳しい批判を浴びせた。このように軍が女性を強制的に連行していたことを裏付ける根拠が弱まった頃から、吉見義明が「強制連行」という「狭義の強制性」に対し、女性たちが甘言や詐欺、あるいは借金などのカタにより慰安婦にされたこと、旧日本軍による慰安婦の募集や慰安婦の慰安所での生活がきわめて不自由であったことなども問題であるとし、これらを「広義の強制性」問題だとして批判しはじめ、以降そのような観点からも慰安婦制度への批判がなされるようになった。同年6月に文部省(現:文部科学省)が検定結果を公表した中学校教科書では全ての歴史教科書に慰安婦に関する記述がなされていた。これらを問題とした有識者らが同年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」(略称・つくる会)を発足、それらの教科書を「自虐史観」であると批判し、それらに対抗する新しい歴史教科書をつくる運動を精力的に進めることとなり、慰安婦問題は「歴史認識問題」、「歴史教科書問題」にもなっていった。「自民党」においても、若手議員らが、「つくる会」と同様に現在の日本の歴史認識を「自虐的」として修正を求める運動を始めるようになる。翌1997年には、「河野談話」発表に至る調査に関わった政府関係者が、強制連行の証拠となる資料は一切なかったが、韓国政府の強硬な要請に押され、政治判断として強制性を認めたことなどを明かした[140][114][115]ことから、証拠もなく、日本を不利な立場に立たせたとして、「河野談話」への批判[141][142]もなされるようになり、強制連行の有無などをめぐり激しい議論がマスメディアで繰り広げられるようになる。「河野談話」で強制性を認めた政府ではあったが、ときおり、自民党の議員が強制連行を否定する発言をしたことが報じられ、中国、韓国からの強い反発を招くということが繰り返されている。




トヨタ、中国並み価格を部品各社に要請

2010-06-14 18:56:57 | Weblog
トヨタ、中国並み価格を部品各社に要請   2010年4月14日

 トヨタ自動車は13日、取引先の主要部品メーカーに2010年度の調達方針を提示。具体的な生産計画伝達は見送ったが、原価低減を進め新興国市場で競争力を高めるため、中国の部品メーカーに対抗できる調達価格を目指すと説明した。

 トヨタは一連のリコール(無料の回収・修理)問題の教訓を踏まえ、コスト減と品質確保を同時に進める方針で、各メーカーにも協力を求めた。トヨタは昨年末から進めている「RRCI」(良品廉価、コストイノベーションの略)で、部品価格を平均3割引き下げる目標を掲げている。



 コストの削減は品質の低下をもたらすだろう。
クルマを購入する際は、トヨタ車は最初から検討対象から外しておいて良さそうだ。


従軍慰安婦問題をでっち上げた国賊 吉田清治の証言

2010-06-12 04:45:26 | Weblog
吉田清治(本名・雄兎)という人物は、勇気をもって従軍慰安婦の強制連行を告白したという評価がある一方で、捏造作家、稀代の詐欺師と批判された謎多き両面がある。一九八三年に三一書房から「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」を発刊したことが、今日の従軍慰安婦問題の発端となっている。

この本の中で、吉田氏は斉州島で「慰安婦強制連行」にかかわり、それは一週間にわたって10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊により行った。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいたと書いた。

記憶の中で最も心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だったという。吉田と部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張。総督府の五十人あるいは百人の警官といっしょになって、斉州島の村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。一つの村から三人、十人と連行して警察の留置場に入れておき、予定の百人二百人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手にわたり、前線におくられていった。吉田氏らが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた。(朝日新聞一九九二年一月十三日付夕刊)・・・と、かなり具体的である。

「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」は、一九八九年に韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)がでたが、「済州新聞」の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いている。一九八九年八月十四日付の記事。

<解放四四周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。

しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で一五~一六人を強制挑発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。

島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

郷土史家の金奉玉は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。>

韓国の現地報道で否定されたことについて、吉田氏は「儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のり出ないのは当然」と抗弁して、水かけ論になった。しかし、やがて韓国内から済州島以外の強制連行の被害者が名乗りをあげた。最初の証言者は金学順という朝鮮人慰安婦で、日本軍に強制連行されたと大々的に報道されている。

ところが金学順は日本に来て証言した時には、十四歳の時に家が貧しかったのでキーセンハウスに売られ、十七歳になった時に、キーセンハウスの経営者である義父に日本軍の慰安所につれて行かれたと告白している。

日本でも東北の貧しい農家が娘売りをして、その悲惨な状況が二・二六事件で青年将校が決起した一因となった。死語となったが女衒(ぜげん)と称する娘買いが戦前には跋扈している。貧しい朝鮮半島でも同じか、それ以上の娘売り、娘買いが横行していた。これが戦地で行われたピー屋(慰安所)であった。

吉田の経歴にも嘘が多い。山口県生まれと称していたが、戸籍でみれば福岡県芦屋町西生まれ、中華航空上海支店に勤務していたというが、その事実はない。済州島の慰安婦狩りについて、妻が日記で「一九四三年五月の西部軍動員命令で済州島に行った」と書いてあるというが、結婚は一九九四年であった。朝日新聞は吉田氏が法政大学卒と報じたが、在籍記録はない。

これらの怪しい点はあるが、告白の「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」によって、一時期には時代の寵児として講演旅行などで人気があった。強制連行した謝罪碑を韓国に建てるとも言っている。話も大きくなり、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したとか、訪米して米マスコミ、在米朝鮮人(約100万人)に働きかけ、国連事務総長に慰安婦問題をアピールすると言ったりしている。その度にマスコミで大きく扱われた。

その反面、証言の不確かさを突かれて「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」(週刊新潮一九九五年一月五日号)、「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」(週刊新潮一九九六年二月九日号)と開き直った。奇怪なのは吉田とともに徴発隊として行った部下十人か十五人(吉田証言による)が、遂に現れなかった。

吉田は何故この様な捏造本を書いたのか?吉田は根っからの共産主義者であり、国家転覆を企んでおり生まれつきの「利己的主義者」であったからなのです。 後の1998年にこの現地調査をした教授とのやり取りで、日本国内の「人権屋」に依頼されたと、暴露もしている。

*人権屋*(光市母子殺害事件を担当した弁護士のような歪んだ正義感の持ち主、 その大多数がサヨクであり、日々平和、反戦、平等と叫んでおり、現在アイヌ問題なども人権屋が入り込み事を大きくしている)

日本政府の対応もまずかった。この捏造本により火のついた朝鮮人の世論をなだめる意味で安易に朝鮮人に謝罪をしてしまったに留まらず、朝鮮政府から「金銭補償は求めないから強制連行があった事実は認めて欲しい」との通達があり、安易な形で強制連行を国が認めてしまったのです。

この様な経緯があり、日本国家は日本国民に対し恥をかかせ、世界から性犯罪国家の汚名を着せたのです。
この様な「汚名」は簡単には消し去ることは出来ないと思いますが、未来の為、日本国家の威信の為に真の日本人で一日も早くこの汚名を消し去る努力をしなければいけません。

当時朝鮮には慰安婦は存在しましたが、強制的な従軍慰安婦は存在しなかったのです。そもそも従軍慰安婦なる言葉さえ当時はありませんでした。 従軍看護婦と言う言葉が混同された物なんでしょう。 従軍と聞きますとあたかも強制と言う響きに取れますが、強制連行は在りませんでした。

当時朝鮮には「キーセン」と言う売春宿が各地に数多くあり、それを仕切る朝鮮人と日本軍は取引をし軍専用の売春宿にしたことは当時の資料からも事実として伺えます。 キーセンを仕切っていた朝鮮人も日本軍を相手にしたほうが当然儲かりますので競って日本軍の専属売春宿に名乗りを上げたそうです。

北朝鮮、核をミサイルに搭載する段階には至っていないようだ。

2010-06-07 20:49:59 | Weblog
「戦争の導火線に火」…北朝鮮、提起を非難  読売新聞2010年6月7日

【ソウル=竹腰雅彦】朝鮮中央通信によると、北朝鮮の対韓国窓口機関・祖国平和統一委員会は6日、韓国が哨戒艦沈没事件を国連安全保障理事会に提起したことについて、「許し難い重大な挑発であり、軍事的緊張を激化させ、戦争の導火線に火を付ける危険な犯罪行為だ」と非難した。

 同委員会は、「(韓国の李明博政権の)反民族的犯罪行為を傍観しない」と警告。国連が、米国や韓国の「謀略策動に悪用されてはならない」などと主張した。



 あれっ?いつも威勢の良い戦争する気満々の声明を出す北朝鮮にしては大人しいというか、ビビリが入っているというか。こんな主張をするという事は、北朝鮮はまだ核をミサイルに搭載する段階には至っていない様だ。通常兵器では全く勝ち目が無い事は北朝鮮にも分かっているだろうし。

ただし孫子の兵法には、
「攻めて来る様に見える時は、退こうとしている時で、退こうとしている様に見える時は、本当は攻めようとしている時だ」
というのが有ったような気がするが。
ただ北朝鮮の場合は本当に嫌がっているように見える。何も無いのに戦争出来るとは思えない。



中国海軍の犯罪の証拠、チュオンサ諸島における惨殺。

2010-06-05 09:13:19 | Weblog
 確定された歴史的な証拠と連続的な領有をもって、ベトナムは東ベトナム海、国際的には南シナ海とよばれるところにあるチュオンサ諸島に主権を実施してきた。しかし、天然資源と海運交通を支配しようとする野心のもとに、中国はベトナムを凶暴に、非人間的に攻撃し、ベトナム主権と国際ルールを踏みにじった。このドキュメンタリーは1988年3月14日にチュオンサ諸島への侵入の間、中国海軍によって撮影された。中国海軍の反駁できない犯罪の証明である。

圧倒的な武装をした中国海軍はほとんど非武装のベトナム海兵64人を殺害し、ベトナムの輸送船3艘を破壊し、難を受けた人たちを救助しようとする船を妨害した。良心と正義のために、このフィルムは小平の指導する当時の中国政府の犯罪の責任を告発している。この防衛戦は、チュオンサ諸島の最大の島であるシントン島の3つの岩礁のあたりでの数時間の衝突であった。チュオンサ諸島は中国の海南島の最南端から1,000kmも離れており、長い歴史の中でベトナムが実効支配をしてきた地域である。

1988年の初めの頃、中国海軍はチュオンサ諸島の5つの岩礁と環礁を占領しようとした。このうちの3つはベトナムが領有している大きな島に非常に近い所にある。ベトナム海軍は急遽物資と機材を6つの岩礁と環礁に運んだ。ベトナム海軍は成功裏にことを進め、中国海軍が他の島を占領するのを食い止めた。3月の初め、ベトナム海軍の最高司令官は他の3つの岩礁がベトナム管理下のシントン島のまわりを取り囲んでいるので、それらを防衛する決定をした。

3月13日の午後ベトナムの輸送船3艘は予定通り岩礁に行き、主権を主張して旗を掲げた。しかしその数時間後、4艘の中国の武装戦艦が近づいてきて、拡声器で声高に警告を発した。中国の軍艦からの挑発と威嚇にも拘らず、ベトナムの輸送船は根気よく岩礁のそばに錨をおろし続けた。ベトナムの輸送船は軽装備でとても中国の武装戦艦と戦う力は無く戦意は無かったが、中国兵はベトナム人を挑発して重装備の海兵隊員とモーターボートを海に浮かべた。中国兵はチュオンサ諸島200の島とその周辺の岩礁、環礁は全て中国のものであると教え込まれていた。

緊張関係は海兵隊員が上陸用舟艇に乗り、ミサイル装備の駆逐艦を集結し続けた翌朝まで続いた。彼らはベトナム兵を挑発し続けた。ハノイ時間の朝 6時、彼らは50人の武装海兵隊員を乗せた3艘のアルミボートを出して、岩礁に向かって突進してきた。彼らはベトナム兵の面前で軍隊を上陸させ、昨晩から岩礁のプラットフォームに掲げられたベトナムの旗を引き降ろそうとした。

ベトナム人海兵は水位が体の半分まで浸かった岩礁に立って、防衛の帯を作って敵の侵入を防ごうとした。中国兵は狂ったようにベトナム兵が旗を降ろして岩礁から退くよう脅かした。ベトナム兵は岩礁にしがみついて、国旗をいかなる犠牲を払っても翻らせ続けると決心した。ベトナム兵に岩礁から撤退させることができなくて、中国の海兵隊員は戦艦に戻らざるをえなかった。そしてついに・・・。

ベトナム海兵が岩礁から撤退することを拒否したため、中国兵は37mm対空砲で粗末な装備のベトナム兵に戦艦から直接発砲した。中国の駆逐艦は 3艘のベトナムの輸送船に100mm砲で激しく発砲して2艘は完全に沈んだ。その事件後、現在まで2つの岩礁を守り続け、その他は中国が占領し続けている。ベトナム海兵隊員64名が犠牲になり、後に3名だけが遺体で見つかったが、61名は遺体すら見つからなかった。

2008年夏、ベトナム海軍の代表派遣団は、20年前の中国の侵略からベトナムの神聖な海と土地を守った英雄たちに心からの敬意を捧げるために、式典を行った。犠牲になった水兵と仕官を思い出すために、タバコ、チューインガム、水兵の過去の日用品と花輪を海に流した。式典は1988年の中国の侵略以来、毎年実施されてきた。犠牲になった人たちを思い出す中で、彼らが祖国防衛のために手をつないで壁を作ったあの時の戦友のイメージが甦ってくる。

今日、中国の脅迫と挑発の中で生きていかなければならないが、ベトナムはチュオンサ諸島に主権を再確認して、断固として地域の平和な状況を維持し続けることを主張する。歴史の過程において、中国からの度重なる侵略からベトナム海兵たちは、中国の攻撃と占領を画策する陰謀に対して高度な警戒を喚起させている。

毎日繰り返される緊張にもかかわらず、ベトナムの海兵と民間の人々は楽しい生活を送り、彼らの生活も改善されてきている。海兵と住民のそれぞれの世代がベトナムの祖国の海と島の主権を守っている。本土から400km離れた広い海と空のの中で、祖国の領海を守る砲台のように断固として団結している。

菅直人、首相就任。拉致実行犯辛光洙(シンガンス)元死刑囚もごきげん?

2010-06-05 02:19:55 | Weblog
 菅直人が首相に就任した。
菅直人といえば、拉致事件の拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙(シンガンス)元死刑囚らの助命釈放嘆願書に署名した人物。

 菅氏はホームページで「私の不注意。おわびしたい」と謝罪しているが、
こんな軽率な人物が首相になって大丈夫だろうか。
致命的な結果をもたらさないか心配だ。

南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?

2010-06-03 05:13:05 | Weblog
【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?

 南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって虐殺されたと主張している。このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、中国の軍隊は何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。以下はそのブログより。

米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。

 「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。この大虐殺は2―3カ月もの間続いたと言っているが、その間中国の軍人はどこにいたのか?2カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」

 以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった。私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。

 米国人の友人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが、外国人たちは、これについて、「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。私はこれに対して、それはあまりにも誇張された考え方だと反論したが、確かに良い質問だと感じ、帰って調べ、後でメールすると答えた。

 資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと、南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。また、私はGoogleで検索したのだが、何の資料も見つけることができなかった。当時、中国軍が何処で何をしていたのか、一切の記述が無いのである。私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?(編集担当:畠山栄)

鳩山辞任。これ自体は良い事だけど、もうどうでもいい。  

2010-06-02 21:14:09 | Weblog
 鳩山さんは就任早々二酸化炭素の排出を25パーセント減らすと言ってみたり、
日本人にカネをばら撒くならまだマシだが外人や外国にカネをばら撒いてみたり、
そのくせ自分はママから毎月1千万以上のおこずかいをもらっていたり、とんでもない人物だった。
気になるのは後任が誰かと言う事。
鳩山さんを上回る売国的な人物だったら日本は終わる。
公明党と連立を組んだりしたら、永住外国人への地方参政権の付与も決まるだろう。
勘弁して欲しい。

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