昼過ぎ、伴倉庫に足を運んだ。
公では仕事でつながり、プライベートではマイミクさんでありフォロワーさんである、占い師の高木さんに会いに行ったのだ。
かなり忙しい方なので、占いができるかどうか、ちょっと不安でもあった。
娘を実家に連れて行き、飯塚方面に車を走らせる。
年末の慌しさの中、いつもより混雑しているようにも感じる。
コスモスコモンの駐車場に車を停めて、商店街を歩いていく。
「ああ・・・寒い・・・」
師走の冷たい風が、頬を突き刺す。
本町商店街から永楽通りを抜け、わき道にある樽屋町に。
細く入り組んだわき道は、車すら通らないほど。
15時半、伴倉庫に。
キイ・・とドアを開ける。
「こんにちは~」
声をかけられるが、高木さんが眼鏡をかけていたため、私も高木さんも、お互いに気がつかないままだった。
しばらく、アートボックスに陳列してある作品を眺めていると、声をかけられる。
「あ、りあらちゃん??あ!!来てくれたの??」
「高木さん!!なんとか来ることができました。お会いしたかった。よかった・・・」
「うんうん」
お互いに手をとり、再会を喜ぶ。
しばらく話し込んだ後「高木さん、今日は占いはできますか?」と、切り出す。
「もちろん。今日はお客さんも少ないから大丈夫ですよ」
「じゃぁ、お願いします」
占いテーブルに移動し、向かい合って座る。
「りあらちゃん、生年月日は?」
「1970年7月14日です」
「あら?食神なんですね。今の仕事1本ではもったいないですよ。なにかほかにも活躍できますよ」
「ええ?」
ほかにもいろいろと見てもらった。
「40代半ばには、運気が向いてくるし、自分が喜ぶこと、楽しいと感じたことに目を向けてみたら、きっと花が咲きます」
「ええ?」
「うん。そこから12年後・・・ちょうど、今の仕事を退職した年からは、別のステージで大きな活躍ができるよ」
「そうなんですか」
「はい。・・・今まで、苦労が多かったでしょう?」
「・・・え・・はい」
「前、来られたとき、言えなかったんですよ」
どうやら私の持っている星は、20代~40代までは、苦労の連続でかなりきつい思いをするらしい。
次から次へと困難がやってきては、じっと耐える・・・そんな状態だった。
「今、何歳ですか?」
「41歳です」
「じゃあ、来年・・・あたりは、落ち着いてきますよ」
「そうなんですか?」
「打たれ強いでしょ?しなくてもいい苦労も多かったはず・・・」
「・・・」
「二つ物事があったら、絶対に面倒なほうを選んでしまうし」
「・・・」
「よく頑張りましたね。並大抵じゃなかったはずです。普通だったら投げ出しているよ」
「・・・」
正直、泣きそうになった。
ぐっと胸が詰まった。
ずいぶん前からこのブログを読んでいる人(まだいらっしゃるかな?)は、けっこう共感してくれるのではと思う。
次から次へと、自分が撒いたことがでなくて、いろんな困難が襲い掛かった。
そのたびに、泣くような思いをし、心身ともにすり減らして生きてきた。
楽しいことなんて、私が体感してはいけないんじゃなかろうかとか、そんなことまで思ったこともある。
「占い教室でも話をするんですけど、この星をもった人には、慎重に説明しないとって」
「え?」
「りあらちゃんは、もう苦しい時期から明けるけど、20代で持っている人が相談にくると、言葉を選ぶよ」
「そうなんですか」
今までのことを思い出し、ふっと・・・なんだか・・・・いろんなことが頭をよぎって、少し混乱する。
そうか・・・。
今までのこと、無駄じゃないんだな。
それは私も感じていたのだが、改めて言われると、妙に納得する。
「誕生日の数字の並びも、マスターナンバーだからね。これから期待できますよ」
「はい」
将来の私が、どんな私になっているのかは、まだまだ未知数だ。
ただ、占いの結果に甘んじることなく、日々、自分自身で努力していかなくてはならない。
それが、将来の私につながる。
大きな花を咲かせて、自分が、そして周囲が笑顔になれたら、すばらしいことじゃないか。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
会いたかった人に会えて、本当によかった。
さあ、踏み出そう・・・。
公では仕事でつながり、プライベートではマイミクさんでありフォロワーさんである、占い師の高木さんに会いに行ったのだ。
かなり忙しい方なので、占いができるかどうか、ちょっと不安でもあった。
娘を実家に連れて行き、飯塚方面に車を走らせる。
年末の慌しさの中、いつもより混雑しているようにも感じる。
コスモスコモンの駐車場に車を停めて、商店街を歩いていく。
「ああ・・・寒い・・・」
師走の冷たい風が、頬を突き刺す。
本町商店街から永楽通りを抜け、わき道にある樽屋町に。
細く入り組んだわき道は、車すら通らないほど。
15時半、伴倉庫に。
キイ・・とドアを開ける。
「こんにちは~」
声をかけられるが、高木さんが眼鏡をかけていたため、私も高木さんも、お互いに気がつかないままだった。
しばらく、アートボックスに陳列してある作品を眺めていると、声をかけられる。
「あ、りあらちゃん??あ!!来てくれたの??」
「高木さん!!なんとか来ることができました。お会いしたかった。よかった・・・」
「うんうん」
お互いに手をとり、再会を喜ぶ。
しばらく話し込んだ後「高木さん、今日は占いはできますか?」と、切り出す。
「もちろん。今日はお客さんも少ないから大丈夫ですよ」
「じゃぁ、お願いします」
占いテーブルに移動し、向かい合って座る。
「りあらちゃん、生年月日は?」
「1970年7月14日です」
「あら?食神なんですね。今の仕事1本ではもったいないですよ。なにかほかにも活躍できますよ」
「ええ?」
ほかにもいろいろと見てもらった。
「40代半ばには、運気が向いてくるし、自分が喜ぶこと、楽しいと感じたことに目を向けてみたら、きっと花が咲きます」
「ええ?」
「うん。そこから12年後・・・ちょうど、今の仕事を退職した年からは、別のステージで大きな活躍ができるよ」
「そうなんですか」
「はい。・・・今まで、苦労が多かったでしょう?」
「・・・え・・はい」
「前、来られたとき、言えなかったんですよ」
どうやら私の持っている星は、20代~40代までは、苦労の連続でかなりきつい思いをするらしい。
次から次へと困難がやってきては、じっと耐える・・・そんな状態だった。
「今、何歳ですか?」
「41歳です」
「じゃあ、来年・・・あたりは、落ち着いてきますよ」
「そうなんですか?」
「打たれ強いでしょ?しなくてもいい苦労も多かったはず・・・」
「・・・」
「二つ物事があったら、絶対に面倒なほうを選んでしまうし」
「・・・」
「よく頑張りましたね。並大抵じゃなかったはずです。普通だったら投げ出しているよ」
「・・・」
正直、泣きそうになった。
ぐっと胸が詰まった。
ずいぶん前からこのブログを読んでいる人(まだいらっしゃるかな?)は、けっこう共感してくれるのではと思う。
次から次へと、自分が撒いたことがでなくて、いろんな困難が襲い掛かった。
そのたびに、泣くような思いをし、心身ともにすり減らして生きてきた。
楽しいことなんて、私が体感してはいけないんじゃなかろうかとか、そんなことまで思ったこともある。
「占い教室でも話をするんですけど、この星をもった人には、慎重に説明しないとって」
「え?」
「りあらちゃんは、もう苦しい時期から明けるけど、20代で持っている人が相談にくると、言葉を選ぶよ」
「そうなんですか」
今までのことを思い出し、ふっと・・・なんだか・・・・いろんなことが頭をよぎって、少し混乱する。
そうか・・・。
今までのこと、無駄じゃないんだな。
それは私も感じていたのだが、改めて言われると、妙に納得する。
「誕生日の数字の並びも、マスターナンバーだからね。これから期待できますよ」
「はい」
将来の私が、どんな私になっているのかは、まだまだ未知数だ。
ただ、占いの結果に甘んじることなく、日々、自分自身で努力していかなくてはならない。
それが、将来の私につながる。
大きな花を咲かせて、自分が、そして周囲が笑顔になれたら、すばらしいことじゃないか。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
会いたかった人に会えて、本当によかった。
さあ、踏み出そう・・・。