松ひとり言

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70回目の終戦の日に思う事

2015年08月15日 14時02分37秒 | 日記

 

《1952年(昭和27年)8月6日、広島原爆投下より7年後の全国公開となった【原爆の子】乙羽信子と劇団民芸中心の映画》

  

《宇野重吉に嫁いでゆく奈良岡朋子も、当たり前だが二人とも若い、製作の段階だと原爆投下5年後ぐらいかな~

この映画、以前に一度だけ観ている、ナント63年ほど前と言う事になる

当時鳳徳小学校の3年生か4年生・・・たしか学校の近くの映画館に

と言っても、歩いて、10分以上掛かったと記憶している大宮東宝という映画館

それを、ナントナント63年ぶりに観る機会に恵まれました

我々の小学校当時は、何故か原爆の真実を隠そうとする傾向にありました。

そんな中の製作、大変勇気がいったと思う、改めて新藤兼人監督に拍手です

それに、昭和27年当時に我々の鳳徳小学校よくぞ映画鑑賞に行かせた・・・これにも拍手

今こそ、日本中いや世界中で上映させるべきだと思う、世界でただ一つの被爆国として

この映画、被爆から5・6年目の広島での撮影である、映る物総てがリアルであった

スタッフも監督・脚本が新藤兼人、製作に吉村公三郎、のご両人

キャストも主演の乙羽信子、劇団民芸総出演、滝沢修、清水将夫、宇野重吉、山内明

そのほか、多々良純、下元勉、芦田伸介、大滝秀治、東野英治郎、殿山泰司など

女優陣も、乙羽をはじめ、北林谷榮、細川ちか子、奈良岡朋子、佐々木すみ江など

今日は70回目を迎えた終戦の日、二度と起こしてはならない戦争は、忘れてはならない

小説≪人間革命≫の冒頭を池田大作先生はこの様に綴っている

  戦争ほど、残酷なものはない。

  戦争ほど、悲惨なものはない。

  だが、その戦争はまだ、つづいていた。

  愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

  人々は、八年におよぶ戦火に、親を失い、子を失っても、その苦しみに堪えてきた。

  しかし、昭和二十年七月ごろには、いつ米軍が本土に上陸するかもしれないという

  重苦しい空気が、人々の心をしめつけていた。

断固、戦争は反対だ、如何なる理由があるとも、絶対に戦争を起こしてはならない

最後に太刀掛呂山先生の名詩でもあり、私の得意とする詩吟である

名詩の後に私の作譜した譜面も載せておきます

                   太刀掛呂山作   ≪原爆の孤児≫

 家を亡い母を喪いて 当年を憶う       (いえをうしない、ははをうしないて、とうねんをおもう)

 原爆の孤児 名も亦憐れなり        (げんばくのこじ、なもまたあわれなり)

 人類侵すなかれ 前度の過ちを      (じんるいおかすなかれ、ぜんどのあやまちを)

 平和の鐘は響く 広陵の天            (へいわのかねはひびく、こうりょうのへん)