「身の丈」経営,「身の程」人生

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元東洋太平洋チャンピオン坂本博之さん,熊本の児童養護施設を訪問し子供らを励ます

2014-12-25 00:04:05 | 「身の程」人生
 幼少時に両親が離婚。児童養護施設で過ごしたボクシングの元東洋太平洋チャンピオン坂本博之さん。20日,熊本市の児童養護施設、「菊水学園」を訪れ,,「夢は行動することで必ずかなう」と,自らの信念を子どもたちに話しました。 坂本さんは,幼いころ過ごした福岡県の児童養護施設のテレビでボクシングの試合を見てプロボクサーを目指した,自らの体験から夢を持つことの大切さを伝えようと全国の施設を訪れています。

 坂本さんは子どもたちに,「自分の気持ちを表に出すのは難しいけれども必ずそれを受け止める大人がいることを知ってほしい」と話しました。そして他人と関わりを持つ中で夢はきっと見つかることや,遠くに見える夢も今すぐに行動することで少しずつ実現に近づく」と自らの思いをことを語りかけると,子どもたちは真剣に耳を傾けていました。 
 坂本さんは「生きるためのヒントを得ようと真剣に聞いてくれました。伝えたことが日々の会話のなかで飛び交うようになってほしい」と語っていました。

                                                             (出所:NHKテレビニュース)

幼少時に両親が離婚。親類に預けられたがそこでの生活は極貧を極め、弟と一緒にザリガニを捕まえ食したこともあると語っている。その後預けられた福岡市東区の養護施設『和白青松園』のテレビでボクシングの試合を見たことがきっかけで、プロボクサーを志すようになる。

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┗━★ 「明日ママ」 ドラマでは見えない現実・・・児童養護施設の実態

>>> 元・東洋太平洋ライト級チャンピオン!「SRSボクシングジム」会長の坂本博之さん。

 文化放送,「サルバドール」にゲスト出演の,元・東洋太平洋ライト級チャンピオン!「SRSボクシングジム」会長の坂本博之(さかもと ひろゆき)さん。
 幼少時に両親が離婚。親類に預けられたがそこでの生活は極貧を極め、弟と一緒にザリガニを捕まえ食したこともあると語っている。その後預けられた福岡市東区の養護施設『和白青松園』のテレビでボクシングの試合を見たことがきっかけで,プロボクサーを志すようになる。
 番組では,児童養護施設に入った経験もある坂本さんが,その実態と「明日ママ」の感想を語る。

●坂本さんが児童養護施設で暮らしていた期間は・・・

乳児院に1年半入ったあと、3歳で児童養護施設に移りました。その後、お母さんや親戚に引き取られましたが、色々あって食事をさせてもらえなかったなんてこともあったとか。

●気になる児童養護施設での暮らしを振り返ると?

 水もご飯もおかわり自由。衣食住もある。生活の安定があって、ボクシングという夢を見られるようになった。楽しかったのは、ピンクレディの映画を観に行ったりしたことで、その帰りに食べた天ぷらそばの味は、忘れられない味だそうです。
 
●いま全国でおよそ3万人の子供たちが児童養護施設で暮らしています。子供たちが、施設に入る事情は?

6割以上の理由が「児童虐待」。日本は少子化になっているけど、児童養護施設の数が増えているのが現実だとか。


「明日ママ」は,フィクションなので誇張や現実との違いがあっても良い,という意見もあるが・・・

 小さな子ども達(小学1~2年生)には「フィクション」という意味が理解できない。ドラマの内容をストレートに受けとってしまう。制作者はこの辺の事情を頭に置いて,ドラマを作って欲しかった。(意訳)

坂本博之さん
 1970年12月30日 - )は,日本の元プロボクサー。福岡県 田川市出身。パワーのあるパンチで、「平成のKOキング」「和製デュラン」とも呼ばれた。 日本ならびに東洋太平洋ライト級王座を獲得。世界ランキングの最高位はWBCライト級1位。
 クラシック音楽が好きで,現役時代は自身の入場曲にもクラシック音楽を使っていた。主な入場曲はドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」第4楽章。

僕は運命を信じない―不滅のボクサー坂本博之物語
坂本博之著
西日本新聞社

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