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篤姫-篤姫・和宮・幾島・絵島の略年表

2008-09-28 00:43:17 | 鹿児島ゆかりの人
 NHK大河ドラマ「篤姫」。ドラマは放送開始以来、視聴率20%以上を保ち、平均視聴率は関東地区で24%(関西は22.9%)、最高視聴率27.7%(関東)を記録するなど人気を集めている。
篤姫と和宮,おそばに仕えた幾島・絵島と3人の女性の一生を追ってみた。

▼篤姫 
 篤姫は薩摩・島津家の分家に生まれながら,江戸幕府の第13代将軍・徳川家定(いえさだ)の正室となった女性。しかし,病弱だった家定は嫁いでから約1年半後に亡くなり,篤姫はわずか23歳で落飾して「天璋院」と号す。
(略年表)
1836年 島津家一門の子として出生
1853年 島津斉彬の養女となる
1856年 徳川家定の正妻
1858年 家定死去
1867年 大政奉還
1883年 死去(上野寛永寺に葬られる)

▼皇女和宮
1846(弘化3)年- 1877(明治10)年は,仁孝天皇の第8皇女で,孝明天皇の異母妹。6歳の時,11歳年上の有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)と婚約した。が,和宮15歳の時,幕府から朝廷に対しての「十四代将軍徳川家茂へ降嫁を請う」(公武合体)との申し出を受け婚約を解消し,家茂の正室となる。墓所は東京都港区の増上寺。

▼瀧山(1805年- 1876年)
 松坂慶子が演じる幾島が篤姫のもとを去った後,大奥にあって存在感を示すのが稲森いずみ演じるところの瀧山(たきやま・文化2年(1805年)- 明治9年(1876年))。大奥御年寄り。家定、家茂、慶喜の3代にわたり、1000人を越える大奥女中の総取締り役をつとめた。井伊直弼の大老就任にも力を振るったと言われ,篤姫とは激しく対立した時期もあった。

明治9年(1876年)、72歳で没。法名は瀧音院殿響誉松月祐山法尼。墓は川口市真言宗智山派錫杖寺(川口市本町2-4-37)。

▼幾島(1808-1870) 
 篤姫付き老女。篤姫を、江戸の社交界にデビューさせるために「姫」としての教育をたたきこむ。幾島の厳しい躾に、篤姫は反発するが、江戸城に入ってからは篤姫の「無二の戦友」となる。幾島の招魂墓碑文によると,幾島は1808(文化5)年6月18日,薩摩藩士の娘として生まれた。父は薩摩藩で御側用人(おそばようにん)を務めた「朝倉景矩(孫十郎)」,母は秋田藩家臣「阿比留軍吾」の娘「民」。幾島は,1870(明治3)年4月26日,63歳で東京で没し,島津家の菩提寺大円寺(東京都)に葬られた。

・1808(文化5)年6月 薩摩藩士の娘として生まれる。
・1870(明治3)年4月63歳で東京で没する。島津家の菩提寺大円寺(東京都杉並区和泉3の52の18)に葬られる。

・鹿児島市唐湊2丁目の唐湊墓地に,幾島の招魂墓が朝倉家先祖代々の墓などと共に建つ。
・泉谷山大円寺 
 慶長八年(1603)赤坂溜池辺に徳川家康が建立、開山は武田信玄の弟、諦厳桂察和尚、明治41年杉並の現在地へ移転。上総飯野藩保科家,薩摩藩島津家の菩提寺となっている。


                        (2008-09-28 00:43:17追記)

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