文政10(1827)年,鹿児島城下で西郷九郎隆盛・母マサの長男として生まれる。幼名は小吉。藩主・島津斉彬(なりあきら)に見いだされ,藩政改革や国事に奔走した。西郷隆盛は1858年,「安政の大獄」で追われた京都の僧・月照とともに,錦江湾へ身を投げた。月照はなくなったが,一命を取り留めた西郷は,幕府から身を隠すため奄美大島へ流された。
西郷は幕末の混乱期に重用され薩摩藩の中心人物になった。尊王攘夷を推進して薩長同盟を締約。討幕,王政復古でも中心的な役割を果たした。戊辰戦争では東征大総督府下参謀として,幕臣・勝海舟との交渉で江戸無血開城を成功させた。明治4(1871)年,明治政府の参議筆頭になり,廃藩置県などを断行したが,征韓論が政府に受け入れられずに野に下る。敗れるとわかっていても立たざるを得ず,西南戦争を起こし,敗れて城山で自刃した。享年50。
9月24日は,明治維新の立役者である西郷隆盛の命日にあたる。例年,鹿児島の 南洲公園では,西郷隆盛を偲ぶ例祭「南洲神社例祭」が執り行われている。 前日23日は,西郷隆盛にまつわる遺跡(誕生地・私学校跡・西郷洞窟等)めぐり,「セゴドンのエンコ」が行われている。
◆鹿児島の西郷隆盛銅像 (鹿児島市城山町4-36)
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┗┛ 「南洲墓地」「南洲神社」のある南州公園-
┗┛ 「南洲墓地」「南洲神社」のある南州公園-
「南洲墓地」「南洲神社」が建つ南州公園は,鹿児島駅から徒歩で10分程の山の手にあります。 南洲公園の園内にある墓地には,中央の西郷隆盛の墓を守るかのように,西南の役で犠牲となった桐野利明,篠原国幹, 村田新八,辺見十郎太,別府晋介,桂久武などの墓が749基並んでいる。墓地の入口には,西南の役の戦死者の遺体を丁寧に埋葬した岩村縣令の記念碑が立つ。