進行性筋ジストロフィーという難病によって、首から下の運動機能をすべて失った春山満氏は、絶望のふちから起業を志した。「なくしたものは数えない」「足や手が動かなくなっても、話すことも考えることもできるじゃないか。だったら、首から上を使って銭を稼げばいい」。独自の哲学で福祉ビジネスに参入し、見事に成功に導いた“車椅子の社長、の信念とは-。
||| 来年2月に還暦を迎えます
「普通の人間なら、長い時間をかけて体力が衰えて老人になっていくところを僕の場合は、短時間に猛スピードで衰えていきました。正直、ここまで命が持つとは思いませんでした。長男・哲朗と次男・龍二にビジネスのイロハを教えてあげたいという夢はかないました。今後は若い世代に会社を任せて、ささやかですが〝生きた証し〟を世に残していきたい。
6月に出版した『僕はそれでも生き抜いた』もそのひとつ。『明るく元気に、賢くたくましく、どんな時代も、どんな環境でも、何としても生き抜く』というメッセージが伝えられたら、と思っています」。
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僕はそれでも生き抜いた | |
ジェットコースターのような半生と春山哲学 が綴られている。 |
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実業之日本社 |
||| 福祉ビジネスを志したきっかけは
「26歳のとき、進行性筋ジストロフィーという難病の宣告を受けました。徐々に筋肉が萎縮する病気です。患者の立場から福祉・介護のマーケットを見たとき、患者の求めるサービスがこれほど提供されていない業界もなかったですね」。
『高齢化社会にシルバー・ビジネスは可能性がある』と言われていたのに、商品もサースも旧態依然のまま。僕は怒りと同時に『医寮や福祉の世界には非常識がまかり通っている。健全などジネスを展開するだけで、ドでかい商売になる』と思いましたね。病院から帰って、『難病になって多くの機能をなくしたが、一方でとんでもないビジネスチャンスを発見したかもしれんぞ』と女房に言ったことを今でも鮮明に覚えています」
出典:「夕刊フジ」 2013/7/30
◆春山満氏(はるやま・みつる)
1954年,兵庫県出身。
首から下が全く動かない難病に目されながらも、医療・介護ビジネスのトップリーダーとして活躍。その注目は日本だけにとどまらず、米国ビジネスウィーク誌は『アジアの星25人』(アジアの代表的な指導者25人)に選ばれる。07年 公益(財)「国家基本問題研究所」評議員。