故郷の鹿児島・出水で詩やエッセーを書き続ける詩人の岡田哲也さん(65)。 時々「体育会系詩人」を名乗る岡田哲也さんは根っからのスポーツ好きで野球少年を描いた長文の詩もある。子供のとき来日したヤンキースにあこがれて野球選手を目指し、中学校では念願の野球部に入った。
だが14番目の末っ子だった岡田さんは兄や姉たちから「これからは勉強の時代だ」と寄ってたかって説教される。学校でも尊敬する人物を巨人の「川上哲治」と書き、先生から「真面目に書け」と頭をたたかれた。泣く泣く野球を断念し、進学校から東大へ進んだ。・・・・
(出典:産経新聞 産経抄より 2013/1/13)
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┗■ ● 「南日本新聞」8月28日付読書面 ●
詩人岡田哲也は、今、還暦から古希への道を渡っている。最新刊書名の「憂しと見し世ぞ」は、百人一首の藤原清輔朝臣の短歌で、全文は「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」となる。「コラ、テツヤ、オマエは、今までナンバしとった」の問いに、青春の思い出と覚悟をかみしめた新聞連載などの随筆でこたえている。
1978(昭和53)年出版の岡田の第一詩集「白南風」に、桶谷秀昭は「岡田君がこの十年近く郷里にいてやったことは、青春を殺すことであった」と辞を寄せた。詩集所収の詩の二連が辞と対句になる。「ひそみよるとしつきの襞鞭打つ/黄泉濡れたいまわの遊行」(ものみなは薄明の汀で)
「今際(いまわ)」も「汀(みぎわ)」もこの世とあの世の境。青春の首を絞め不惑を葬り、今際の次の段階、今際の際(きわ)まで、どこに住もうが幾つになろうが、「オレはオレ」と宣言している。
出典:[編集長日記]図書出版 花乱社 http://karansha.exblog.jp/14519651)
*桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - )さんは、日本の文芸評論家。芸術選奨文部大臣賞等受章、紫綬褒章受章。
◆岡田哲也:詩人
1947年出水市生まれ、東京大学中退。詩集に「白南風」「にっぽん子守唄」等。エッセイ集「不知火紀行」「夢の続き」など多数。作詞として「夢のつづき」(南こうせつ作曲)や、組曲「かごしま」「川内」など。朗読のステージも百回を超える。趣味は近くの川での鮎とり。子どもの作詩作曲コンクール「かごしまグリーンクリーンサウンド」の作詩部門審査委員長。
憂しと見し世ぞ | |
「おさらば」 一九七一年秋、私は東京におさらばした。 蕩児の帰郷である。あるいはふるさとへ回る気の弱い六部というところだろうか。ふんぎりをつけようと都落ちした私だったが、故郷に帰っても、何も始まらなかった。武田鉄矢の「母に捧げるバラード」ではないが、どこへ行っても何をしても、「コラッ テツヤ 何バシトットカ」という幻聴を聞いた。 |
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