幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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東アジア情勢から見た日本神話と『奇跡の法』

2017-10-07 01:54:42 | 古代文明

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日本は今、「大きな判断」を求められていると思うのです。

北朝鮮がミサイルを日本上空に飛ばしているからです。

心ならずも、衆議院は解散しました。

政府は、解散などせず、国防の充実を図るべきでした。

北の金正恩は高笑いでありましょうよ。

日本では、国民は主権者です。

政府は、主権者である国民の、雇われ経営者であり、召使でしかありません。

主権者である日本国民は、「このような有事に対応しない政府など、容認するべきではない」と判断するべきだと思います。

日本は、自信がなさ過ぎると思います。

先の大戦で負けたからといって、なぜ、今を生きる国民の生命と安全と財産を護ることを、躊躇しないといけないのでしょうか?

「宗教が何を言う」と言われるかも知れませんが、「国防の充実」というと、「侵略国家への道」と条件反射的に思ってしまうのならば、それは何か、悪い思想の洗脳が効いているのではと思うのですが。

さて一般的に習う教科書的な古代日本の姿は、東アジアの遅れた島国的な扱いだろうと思います。

しかしこれには、重大な知識が欠落しています。

・主食の栗のクッキーを焼けるだけの、高性能万能調理器具だった縄文土器の存在。

・南樺太・千島列島~沖縄本島、そして朝鮮半島を含む、広大な文明圏(縄文・古墳時代)の存在。

・縄文時代は、万年単位で武具が出土しない、完全平和社会であったこと。

などです。

つまり、東アジアの遺跡等を分析する限り、縄文や古墳時代の古代日本は、当時の東アジアの広い地域に、豊かで平和な文明圏を有していた可能性が高いわけです。

これらを総括すると、東アジアが、匈奴(モンゴルなどの北方民族)などの侵攻に備え、国家という組織システムを形成したことで、東アジアの広範囲に、武力による古代日本文明圏の縮小が行われたと言えると思うのですね。

ですから、韓国などがうるさいからか、「古代朝鮮半島に任那(みまな)という日本府があった」という記述が言われなくなっているようですが、歴史の流れから言うと、「もっと以前は、もっと広い地域が任那だったのが、じりじりと韓半島南端まで、勢力が追いやられていった。」というのが真相だろうと思います。

つまり、「1万年も戦いのない古代日本は、東アジアの戦国化の波に抗し切れず、任那と九州から武装化せざるを得なかった」というのが、日本の国家の始まりだと思うのです。

左翼的歴史観では、日本の大和朝廷を侵略国家的な扱いをしているとも取れる表現をしていますが、私はそうは思いません。

侵略的な意思での武装ならば、当時の日本国内では、九州のみが、唯一の、そして突出した軍事大国化となった理由が説明できません。

侵略的な意図ならば、全国各地に武具が出土しておかしくないはずですが、古代では、九州以外の地域で、戦闘を意味する遺跡が発見されません。

これは、九州を要塞化している陣形であると思います。

何が言いたいかと申しますと、「現代のような、朝鮮半島がらみの国防の危機は、今に始まったことではない。」ということです。

そして日本は、「平和を基軸とする日本の歴史において、その歴史の合間に度々訪れる、厄介な隣人(朝鮮半島国家)からの災厄を、国家のイノベーションをすることで乗り切ってきたのだ。」ということです。

さあ今日本は、どう自己改革するべきなのでしょうか?

それは、「自分の国は、自分で守る!」という決意以外ないと思います。

ですから私は、幸福実現党を応援します。

経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)の一部抜粋をご覧ください。

             (ばく)

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大川隆法総裁 大講演会2016 「信仰と繁栄」(大阪城ホール)より

 

 

「美し国の旅人」~恍多-Koutaが英霊に歌う

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=146

(前略)霊的な眼で観て、「先の戦争は悪魔が指導していたのかどうか」という点をチェックする必要があると思います。これが分かるのは、いま地上では私しかいません。

霊的な眼で観るかぎり、日本神道の神々の七、八割ぐらいは、先の戦争に賛成していました。地上の軍人の独走ではなかったのです。
当時の日本は、「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」など、さまざまなことを言っていましたが、その思想自体は日本の民族神からストレートに出ていたものであり、地上にいる人たちはそれを受け取っていたのです。これは間違いありません。

いま日本全国に、社(やしろ)、神社が、八、九万ぐらい建っています。明治時代には十数万ありました。

日本神道の神々とは、そこで祀られている神々のことです。これが、「八百万(やおろず)の神々」といわれる日本の民族神です。

日本神道の神々のうち、二、三割ぐらいは戦争に反対していましたが、反対といっても消極的で、「負けるのではないか」という程度の意見だったため、主戦論に押しきられてしまいました。

したがって、日本神道の神々にも、当然、先の戦争に関する責任があるのです。

その結果、日本が満州や朝鮮などに建てた神社等は、第二次大戦後、焼き払われてしまいました。

指導している国が戦争で負けた場合、当然、その国の神々は責任を問われ、格が落ちます。なぜなら、人々の信仰心が薄れるからです。

ただ、日本の神々は、明治維新で神道にもとづいた王政復古に成功し、日清戦争と日露戦争に勝ち、第一次世界大戦にも勝っているので、四つほど勝ち点があります。

まだ一回負けただけなので、その勝ち点が全部消えてしまったわけではありません。

あと一、二回負けると、人々の信仰心がゼロになり、勝ち点が完全に消えてしまうと思いますが、まだ四勝一敗なので、ゼロにはなっていないのです。

そのかわり、当然ながら、日本人の心には非常に深い傷が残りました。

これが、戦後の日本人に意識調査をして、「あなたは信仰を持っていますか」「あなたの宗教は何ですか」という質問をすると、「無宗教です」という答えが数多く返ってくる理由です。

この無宗教論と戦わなければいけません。

これは日本の国家神道が背負っている負の遺産なのです。

『奇跡の法』幸福の科学出版)P90~92

 

幸福実現党 JR宇都宮駅にて街宣 成田さん(2017/9/26)


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