【怒ったけん、PCから動かんど!】
【…はぁ。怒り疲れたの】
もともとエネルギーが溜まりにくい私は、自分のエネルギーが減る方に向かっては行動しない。
だから一緒にいると疲れるような人とは友人にもならない。
友人の社会的なステータスなどはどうでもいいし、「自分の為に何かしてくれる、してくれない」なども関係ない。
また友人の性格が良くても悪くても、ネガティブであろうがポジティブであろうがどちらでもいい。
一番重要なことは「一緒にいる時にお互い疲れない」ことだと思っている。
一緒にいて私のエネルギーが減らないこと(相手のエネルギーも減らないこと)が、私にとっての基準である。
(…ずいぶん勝手な話だが。)
エネルギーのチャージの方法は人それぞれである。
スポーツをしたり、人と大騒ぎすることでチャージする人もいるだろう。
私の場合はひとりでボーっとしていることで、エネルギーが溜まっていくタイプである。
思うに、自分のエネルギーが減る…というのは相手のせいではなく「場と組み合わせ」の問題なのだ。
分かりやすい例えが思い浮かばないが、例えば自分が巨人ファンだと仮定する。
ある事情で、東京ドーム(阪神戦)で外野ビジターチーム応援席に座ることになったとする。
周囲には阪神ファンばかりいる。
(逆もしかり。阪神ファンなのに、レフト側巨人応援席に座っている場合)
そういう時、自分がファンのチームに点が入っても大っぴらに喜べないものである。
たとえ観戦という「好きなこと」をしていても、妙な疲れ方をするのだ。
場の「気」との組み合わせが悪くて「合わない」のだ。
プライベートでは「疲れる」ものから遠ざかっている私だが、仕事では「疲れている」ものに向かっている。
自分が接していて「疲れる人」という意味ではなく、相手が「疲れている人」なのである。
常に日常的に「エネルギーが枯渇しかかっている人」に接しているということだ。
私は目が悪くなってから、主治医から東洋医学の道に進むように強く勧められていた。
情報系の国家資格を持っていても、その世界から何年も離れていると、あっという間に化石になってしまう。
資格名が変わることもあるし、何よりも猛スピードで変化している世界だからだ。
情報系から遠ざかったら二度とその世界には「戻れない」気がしていた。
けれどもディスプレイの光をずっと見つめていることに困難を感じていた。
そして、とうとう鍼灸あん摩マッサージ指圧の学校に3年間行く決心をした。
もちろん、リラクゼーションや整体などで働きながらである。
私が勉強している間に「下垂体腺腫」の仲間たちは次々と死んでいった。
飼っていた猫も死んだ。
人は病気を抱えているから早く死ぬとは限らないのだ。
病気とは生きている人間が生きる為にするものである。
病気でも人は寿命まで死ねない。
ヒマがあれば学校の図書館で借りた東洋医学の本を読みふけった。
その時の私の心境は『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり』である。
この道に答えはあるのか?…まぁ答えなど見つからないから、目の前のことに取り組むしかないのだが。
私は鍼・灸・あん摩マッサージ指圧師(通称、あはき、という)の国家資格を取得した。
国家資格の中では比較的難易度の低い方だが、それでも解剖・生理・病理・リハビリ医学・東洋医学・関係法規…覚えることはたくさんある。
(死体の解剖という「実習」もあった)
今でも最後の力を振り絞って必死で取った資格という感が拭えない。
資格取得後は、病院(整形外科・精神科)、治療院、接骨院、デイサービス、ホスピス(ターミナルケア)などで働いた。
つまり私が以前書いていた「ブラック企業」というのは、ブラック企業化した病院、或いはブラック化したチェーン展開企業型接骨院のことである。
(そんなのがゴロゴロあるみたいなので、そろそろ書くことにした。)
私がゴリラのいる治療院で働いていた頃のことだ。
(ゴリラの話は後日書く予定)
今から、約10年前の話である。
『愛・ピンポンサービス(仮名)』という訪問マッサージ会社の営業が治療院に訪ねてきた。
訪問マッサージとは、病気などで身体介護が必要な人が(医師の同意書があれば)健康保険の自己負担割合のみで利用できるサービスである。
「どうか、先生方(※1)、空いているお時間を利用して(業務委託で)お仕事をされてみませんか」
営業の小林さんは、どこまでも食らいついてくるタイプだった。
門前払いの場数は山のように踏んでいるようで、すごく押しが強かった。
(アクが強くマイペースな人間の多い)この業界の「先生」方を確保することも、小林さんの重要な業務の一つのようである。
当時、治療院の誰もが乗り気ではなかった。
「やってみたいです。治療院との兼業になるので多くの方を担当することはできませんが」
私だけがそう言った。
「いや~、先生!是非ともお願いします。ちょうどお一人待っている方がいるんですよ。
無料体験なしで、すぐにでもお願いしたいとおっしゃっているんで…」
小林さんは、10回ぐらい「先生」を連発した。
(※1)「先生」とは呼ばれることもあるが、本当に「先生」だと思って使っている人はほぼいない。
その時の私は「訪問マッサージ」の経験が全くなかったので、やってみたかったのだ。
訪問場所は、個人宅だったり、施設だったりする。
顧客は資産家から生活保護まで様々である。
顧客の確保や、医師の同意書や、保険の手続きや、その他の面倒な「計算」は、「愛・ピンポンサービス」がやってくれる。
(ただし、手数料として施術収入から4割取られる)
「愛・ピンポンサービス」から初めて紹介された人が川田愛子(仮名)さんだった。
「息子さんが早期退職されて、ずっと介護されているみたいですよ。
裏庭側のドアのカギはいつも開けているので、そこから入ってくださいとのことです。
ヘルパーさんや、ケアマネさんも、いつもそこから入っているんで」
門を開く暗証番号を教えるから勝手に入ってください、という家もあれば、インターフォンを鳴らしてもなかなか開けてくれない家もある。
川田さんの家は裏口開けっ放しタイプだった。