黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

新宿センター街~夜

2016-06-12 01:14:57 | 東京 URBEX
世界最大の歓楽街、新宿です。
その中に点在する小規模の歓楽街の中で、
もっともディープなスポット、新宿センター街。
前回は昼のセンター街をアップしましま。
今回は夜のセンター街です。
Google Map
ひとたび夜になると、その妖しさは一段と増し、
まさに魔窟の名に相応しい様相となります。



センター街があるエリアは、
ロボットレストランやギラギラガールズなどの店が並び、
夜ともなると、歌舞伎町の中でもひと際ギラギラした街となります。
そんなギラギラのド真ん中に、
まるで時間のエアポケットに吸い込まれたような形で、
異彩を放つのがセンター街です。







前回アップした構造のよくわからない建物の1階に店を構える、
「ダリカレー」のギラギラな装飾は、
日本のギラギラとは異なるアジア~ンな雰囲気を醸し出し、
ここは東南アジアか?と思いたくなるほど。







ダリカレー横の路地を入った奥にある「上海小吃」は、
その店構えもさることながら、
蛙から鳩、果ては牛の筋とペニスやサソリの唐揚げなど、
国内では滅多にお目にかかれない珍料理が堪能できます。
もちろん、人気の揚げパンをはじめとした一般的なメニューも充実。
いずれも“日本化”が弱く、本場に近い味を楽しめるのが魅力です。







前回の記事でアップした、周囲を囲むように建つバラックも、
夜ともなれば、その雰囲気は一変。
エリア中心部のアジア博覧会とはうって変わって、
戦後闇市を彷彿とさせる世界がジオラマのように広がります。







前回に記事でもとりあげた「かずこ」
画像はお休み日のものですが、
普段は屋号が書かれた赤提灯が下がります。







新宿二丁目の有名店「白い部屋」出身のかずこさん。
くったくない話が面白いママです。
お店は不定休なので、事前に確認が必要かと思います。







路地を曲がるとセンター街のブラックホール、
クラブ「竹千代」があります。
ブルートタン制の建家に、サランラップ貼りのエントランス、
カウンター4席という、なにをとっても類を見ない店です。







竹千代ママ(左)と店長のまさるくん。
東京一のクラブと豪語する竹千代ママの話は、
とにかく面白い。
まさるくんとの漫才的な掛け合いも楽しく、
話を聞いているうちに、いつしか夜はふけて。。。

普通の歓楽街や普通の歌舞伎町に飽きたという方は、
新宿センター街へ足を運ばれてはいかがでしょうか。

魔窟、新宿センター街~昼

2016-06-10 12:42:32 | 東京 URBEX
世界最大の都市、東京。
その中で最も巨大な歓楽街、それが新宿です。

特に新宿駅の東側一帯は、その全てが歓楽街を形成し、
駅から歓楽街の境界まで、徒歩で15分もかかるほど。
その中には、エリアを区切った小さな歓楽街が点在しています。
西口駅横の思い出横丁、歌舞伎町に隣接するゴールデン街など、
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
そんな新宿の中に点在する小規模の歓楽街の中でも、
もっともディープなスポット、それが今回紹介する新宿センター街です。

Google Map
歌舞伎町の核ともいえる風林会館ビルの麓に位置するセンター街は、
Google Mapで最大拡大してもその中に収まってしまうほど小さな歓楽街です。



新宿センター街の入口。
「since1951」すなわち戦後6年が経過した時にできたことになります。
無料案内所に隣接して口を開けるセンター街のゲートは、
新宿一の魔窟への入口です。







メインゲートに隣接するビルは複雑な構造で、
しかも看板や店舗の拡張により、
その全貌を把握することが困難です。







かつて馳星周のベストセラー小説『不夜城』の舞台となった場所で、
金城武主演の映画でも知られます。
センター街内にある中華料理店で働く中国人が、
青竜刀で惨殺された実際の事件をベースにした物語で、
バブル景気で諸国からの移住者が膨れ上がった時代の、
歌舞伎町の話でした。







戦後、駅前の飲食街は付近に移転したのを受けて、
その流れ客をめあてに青線バーが建ち並んだそうです。
現在でも3階の「ちょんの間」が残る店も多いとか。







上の画像の中央の路地を進むと、
そこは昼なお仄暗い妖しげな雰囲気が漂います。







エリアの中央にある構造のよくわからない建物の周囲には、
闇市のバラックを彷彿とさせる店がひしめきます。
ひしゃげたトタンとベニヤ張りの建屋の上に、
様々なゴミが乗る光景は、
とても平成の世のものとは思えません。







きもかわいいギャルのイラストが壁面に描かれた店は、
かつて新宿2丁目の有名店「白い部屋」で働いていた、
かずこさんのお店、「かずこ」。







そして路地の曲がり角には20年以上営業を続ける、
おでんの美味しい「楓」
そして、おかまのママがきりもりする蒼いバラックの「竹千代」
隣接する黄色い麺処は、閉店して久しく経ちます。

エリア全体が戦後からの様々なダークサイドを体現して来たセンター街は、
ひとたび足を踏み入れた瞬間から異界へ彷徨いこんだかのような錯覚を覚えます。

恵比寿の道しるべ

2013-12-21 02:16:15 | 東京 URBEX
恵比寿の街を歩いていたら、
偶然「道しるべ」に出くわしました。



都内に残る道しるべとしては、
この他に三軒茶屋や参宮橋のものを見たことがありますが、
いずれも野ざらし。
このように祠状になっているのは初めてです。

説明板によると江戸中期に建てられたものだそうで、
勿論まわりを囲む風よけは、当時からのものではないけど、
その風化具合や道しるべの石との同化具合から、
あたかも江戸からこの姿だったような錯覚を覚えます。







中央には「南無阿弥陀仏」、
石の右面には「ゆうてんじ道」、
左面には「不動尊道」と彫られています。
解説板によると、
台座には「道中講」と彫られているそうです。
「富士講」や「庚申講」と同様、
道に関しても「講」があったんですね。







道しるべの向かって左側に、
半レリーフの、これまた年季の入った彫像があります。
その姿形から、よく庚申塚でみかける猿の形をしていますが、
説明板はなにも触れていないのでわかりません。
もし庚申塚だとすれば道中と庚申の、
講のコラボということになるんでしょうか。

この時は時間がなく、サラッと撮影しただけでしたが
次回訪れたら、この彫り物をもう少し調べてみようと想います。
※郷土史とかみればあっさり出てるかな。。。







青梅 #09 昭和幻燈館~後編

2013-12-09 00:08:22 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
異空間の街をずっと見て来ましたが、
最後はそんな青梅を凝縮したような場所、
『昭和幻燈館』の後編です。

青梅

『濹東の色街 東京 向島』と題されたジオラマは、
拙ブログで以前アップした『鳩の街私娼窟跡』に隣接して、
鳩の街より古い玉ノ井の花街。





青梅

二階の部屋を見ると、
仕事が終わったのかそれとこれから仕事なのか、
髪を整える全裸の女性がいます。





青梅

花街の中でたまたま出くわしたのは、
親父と息子か、それとも会社の上司と部下か、
あるいは女性の旦那が右のメガネの人でしょうか。
「ぬけられます」とは、
警察の手入れ対策でわざと迷路状に造った道の案内。
芸が細かいですね。





青梅

カフェーの壁面下部のタイル貼りまで、
しっかりと造り込まれています。





青梅

ハート型の窓がみえる花街の裏側では、
ひとときの癒しを求めて、
ノラ猫に餌をあげている様子まで造られていて、
涙を誘います。





青梅

『本郷 樋口一葉と井戸』は、
以前、拙ブログでもアップした記事、
東京ノスタルジア:本郷 #02』の、
上から2番目の画像の場所ですね。





青梅

その他、バラックの用に積み上げられた、
戦後の雰囲気を残す『浦安 川べりの家々』や、





青梅

今では大寅興行だけになってしまった見世物小屋など、





青梅

また覗き込む作りになっているストリップ小屋の中など、
どれもこれも昭和の原風景を切り取った秀逸なジオラマです。



映画の看板で街興しをしているだけだろうと、
たかをくくって出向いた青梅でしたが、
実際に見た青梅は、他のどの街にもない、
唯一無二の異空間っぷりをいかんなく発揮した街でした。
ただの昭和レトロというだけに留まらず、
独自の発展を遂げた街は、もはやレトロというより、
新手のテーマパークのようにも感じました。

青梅 #08 昭和幻燈館~前編

2013-12-08 22:07:33 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
異空間の街をずっと見て来ましたが、
最後はそんな青梅を凝縮したような場所、
『昭和幻燈館』です。

青梅

『哀愁』の看板と、怪人二十面相の体に書かれた
「映画看板とジオラマの迷宮、ようこそ『昭和幻燈館へ』」
にさそわれてふらふらと入ってみました。
実はこの幻燈館、町屋の記事で触れた昭和レトロ博物館の別館です。





青梅

「映画看板と~」とうたっている様に、
館内には板観氏の映画看板が沢山展示されています。





青梅

浅草十二階~凌雲閣の模型は、
東京江戸博物館のそれほどではありませんが、
かなり大きいです。
昭和幻燈館なのになぜ凌雲閣?と想うも、
まあそれはいいとして、
世界各国の物産店的だったと聞く凌雲閣は、
一度訪れてみたかったものです。





青梅

看板も凌雲閣もいいのですが、
なんといってもジオラマです!
ここのジオラマ、半端ないです!






青梅

『青梅猫町通り』と題されたジオラマは、
とある旅人が青梅の町にふらりと辿り着くと、
町の人も、お店の主人も、みな猫で、
客を呼ぶ声も猫なで声だったという架空の町の話。
妖しげなる灯りの使い方も素晴らしいですね。。





青梅

架空ながら本当にあるかのような商店街。
カフェマタタビ、清酒猫正宗、
とにかく猫づくしです。





青梅

つまみも雀、トカゲ、ネズミ料理。。。





青梅

カフェマタタビは客引きをしているところをみると、
いわゆる「カフェー」ですね。





青梅

ジオラマは全てミニチュアですが、
それでも街全体を造り込んだ大きなサイズのものから、
その一角や店だけが造られた中規模のもの、
そして覘き窓からみる小さなものまで様々です。
これは昭和の青梅を再現したジオラマ。





青梅

板壁に板塀、膝丈スカートのセーラー服。
すべてが昭和へタイムスリップです。

青梅 #07 猫の街

2013-12-07 00:55:51 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
映画の看板や看板建築、そして花街跡と、
様々な異空間を見せる青梅は、
猫の街でもあるようです。

青梅

前回の記事の最後にアップした、
ガチャ萬商会の敷地には猫のオブジェがありました。
一見アライグマとかにも見えますが、
おそらく猫でしょう。





青梅

ガチャ萬商会の敷地には、
こんな絵の描かれたゴミ箱も。
街頭のゴミ箱。。。懐かしいですね。
まだ分別とか必要なかった時代の、
街角には必ずあったゴミ箱。





青梅

そういえばシリーズの最初の頃にアップした、
全然似てないローマの休日の看板はバス停でしたが、
そのバス停を見るとご覧の様に猫だらけ。





青梅

そして駅のすぐ近くには、
『昭和の猫街 にゃにゃ曲がり』と入口に書かれた路地も。





青梅

極めて細い路地の両側には、
これでもかってなくらい猫のレリーフ(というかオブジェというか)





青梅

レリーフ以外にも、
こういいた絵画も掲げられてます。





青梅

とにかく猫づくしの極細路地。



これだけ手作りの猫を見かける割に、
実際の猫には全くお目にかかりませんでした。
じゃあなぜこんなに猫なのかと調べてみると、
かつて映画の看板描きしていたことのある、
漫画家の赤塚不二夫氏(青梅市出身ではない)が、
映画で街興しをする青梅に共感を持ち応援していた。
彼の愛猫「菊千代」はかつてCMにも出演して有名だが、
赤塚不二夫氏の応援する青梅で、
赤塚氏の愛猫にあやかり、猫の街としたそうな。。。


めっちゃ回りくどーい (T.T)


青梅 #06 点描

2013-12-06 01:13:55 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
映画の看板、看板建築、町屋、そして花街跡と見て来た青梅ですが、
青梅の異空間っぷりはまだまだ続きます。

青梅

前回の記事の最後にアップした、
とんかつやさんの前の坂を下ると、
なにやら風格のオーラを放つ日本家屋が。
昭和初期に当時の代議士である津雲國利氏が建てた、
700坪にも及ぶ広大な日本家屋の『
津雲邸』です。
京の宮大工を呼んでまで造った日本庭園を含む邸宅は、
青梅きっての名建築だそうです。
見学出来ないのが残念。。。





青梅

津雲邸の向かいには延命寺というお寺。
境内にある高さ8mの小さな五重塔は、
愛児を亡くした父が建てた個人の菩提だそうです。
画像では分かりにくいですが、実際に見ると、
精巧に出来た8mという高さの五重塔は、
不思議な印象を受けます。





青梅

津雲邸や延命寺からさらに南へ進むと、
こういった時代を感じさせる建物がちらほらと残っています。





青梅

これまで見て来たのは全て青梅線の南側のエリアですが、
三業通りから北へ向かい、跨線道路を越えた所には、
これまで見て来た青梅の雰囲気にマッチする、
カフェ『夏への扉』があります。
手前の白い壁のところがカフェですが、
「空あり」とは奥の建物が賃貸なのでしょうか。
道沿いは二階建てで、奥に段差があるので、
真ん中が三階建て、奥が一階分低い二階建てと、
変形した建物です。





青梅

駅の近くに戻って、
前回アップした三業通りと青梅街道の間の仲通りには、
かつてのビリヤード場がありました。
なんと外周の道\沿いには木製のドブ板が。





青梅

残念ながらもう台は残っていませんが、
弓道場のようにも想える木製の店内からは、
玉を付くキューの音が、今でも聴こえて来そうです。





青梅

さらに駅の界隈を散策すると、
こういった近代建築風の建物も。





青梅

ビリヤード場のあった仲通りを東へ進むと、
『ガチャ萬商会』という、なにやら不思議な名前のお店も。
店名の由来はこちらに
だそうです。





青梅 青梅

ガチャ萬商会壁面のオブジェ。

月に一度の営業とその取り扱い商品は、
これまで見て来た不思議都市-青梅を
象徴するかのようなお店です。

青梅 #05 三業通り

2013-12-05 03:12:16 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
映画の看板、看板建築、そして町屋と見て来た青梅ですが、
元来宿場町として発展した街。
となれば三業エリアもあるはずです。
ご存知の方も多いと思いますが、
三業とはすなわち料理屋,芸妓屋,待合の、
三つの業種が集まった場所、すなわち花街です。

青梅

これまで見て来た町屋は、
おもに駅の西側に多く点在していますが、
三業エリアは駅のすぐ近くの東側に広がっていました。
前回アップしたレトロ博物館の対面にある大きな案内看板を見ると、
確かに三業通りと書かれています。
現在では殆どの建物が新しく作り替えられた民家になっていますが、





青梅

それでも画像の様な、
カフェ建築を彷彿とさせる写真館や、





青梅

同じくカフェ建築の美容室など、
三業地の名残を感じさせる建物を見ることができます。





青梅

三業通りをさらに東へ進むと、
宿場町の記憶を今に伝える唯一の旅館、
『橋本屋旅館』があります。
明治3年創業というからかなりのものですね。





青梅

橋本屋さんの道向かいからちょっと入った所には、
明らかにかつて料亭だった建物があります。
看板を見ると、現在はとんかつ屋さんのようですが、





青梅

ゴージャスな玄関灯や赤提灯等、
かつての宿場町青梅の賑わいを感じさせてくれます。

青梅 #04 町屋

2013-12-04 03:24:47 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
映画の看板、そして看板建築とアップして来ましたが、
さらに町屋建築も数多く残されています。

青梅

メインの商店街の中心に位置する
『昭和レトロ商品博物館』。
懐かしの昭和グッズが所狭しとひしめくテーマショップです。
一見ショップ建造が目的で建てられた様にみえますが、
以前は家具屋として使われていた、
れっきとした町屋だそうです。





青梅

上記のレトロ博物館のように、
再生して別の用途として使われている町屋もありますが、
殆どの町屋はそのままの姿で残っています。
壁の板葺きの形状からみて、
大正から昭和初期の頃のものでしょうか。





青梅

一見平屋に見えながら奥が二階構造になっている町屋造り。
引き戸や窓の全てが木製枠。
塀囲いの形もレトロですね!





青梅

こちらは現役の『柳屋米店』
なんと明治時代の建造だそうです。
右寄りにある通し土間、
現在は砂糖等が入れられているお茶の販売棚など、
どれもこれもタイムスリップ。





青梅

町屋の他に、倉を改装した屋敷も沢山あります。
近年、町屋のリノベーションが流行って、
小奇麗になってしまった町屋を良く見かけますが、
青梅の町屋はどれもこれも当時のまま。





青梅

住む人にとってはリノベーション下した方がいいでしょうが、
見る側からすると、当時の姿を今に伝えてくれているのは、
とっても嬉しいかぎりです。





青梅

煙草の看板も年季の入った一品。





青梅

こちらはそのまま倉の様ですが、
壁の剥げ具合や庇の朽ち具合等、
まさに街の記憶です。

青梅 #03 看板建築

2013-12-03 00:23:12 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
前回までは街興こしを兼ねた、
映画の看板が並ぶ青梅をアップして来ました。

しかし青梅の魅力は映画の看板だけじゃありません。
建物の看板も凄いんです。
そう、看板建築です。

青梅

東京の下町に残る看板建築は、
その多くが銅板張りや地味な壁面を垂直に立てたものですが、
青梅の看板建築は本当に看板然としています。
傘の文字と店名のフォントは涙ものですが、
なんとこのお店、創業130年以上というから驚きです。





青梅

こちらは二軒のふりをしてますが、
奥は繋がっているので一軒です。
どちらも看板然とした造りは、
1つ前のものと同じですね。





青梅

金物屋さんでしょうか。
シンプルながら絶妙なバランスで、
いい味を出しています。





青梅

『柏倉洋品店』さんは、
そのフォント、壁面の色合い、ともに抜群です。
「KA」は柏倉アパレルの頭文字でしょうか。





青梅

『ほていや玩具店』さんの看板建築もまた見物です。
人造石で造ったアーチを描くバルコニーの中に、
木製サッシュの窓。
緑青に色づいた銅板との色合いが絶妙です。





青梅

こちらは石造りの重厚な看板建築ですが、
窓に施された装飾がニクい演出です。





青梅

こういった仕舞屋も含めて、
青梅の街には至る所に、
ヴァラエティに富んだ看板建築を見ることができます。
看板建築に興味のある方は、
是非足を運ばれることをお勧めします。

青梅 #02 映画看板の街

2013-12-01 16:12:37 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている青梅。
前回、駅の構内に沢山ある映画の看板を見ましたが、
駅を降りて街に出ても、そこかしこに映画の看板があります。

青梅

フェリーニの『道』にヒッチコックの『鳥』
色、フォント、表情、すべてが、
懐かしの映画館版そのものです。





青梅

実はこれらの看板は全て、
看板絵師、久保板観氏の作品。
90年代初頭に青梅で開催されたアートフェスティバルで描いて以来、
街興しも兼ねて書き続けては掲示されているのだそうです。





青梅

今では映画の看板は、チラシなどに使われる、
メインビジュアルを引き延ばしたものが殆どで、
たまーに手描きの看板もみますが、
それもあまり手描き感が少ないものばかり。
板観氏の絵の様な、
手描きならではの看板はとても懐かしいですね。





青梅

寅さんシリーズ第三作のフーテンの寅。
本当に現在進行形で公開されているかのような佇まい。





青梅

板観氏の看板はどでもこれもみな素晴らしいのですが、
街角にはこんな看板も。
舟木一夫主演の『花咲く乙女たち』
みんな怖すぎだろ。。。





青梅

『ローマの休日』
二人とも全然、似てないだろ。。。
せめて時計塔くらい描いて欲しかった。。。orz





青梅

フリッツ・ラング『メトロポリス』
おっ、これはかなりイけてる!
と行った具合に、
街に散りばめられた看板を見て歩くだけでも、
かなり楽しめます。

しかし現在、青梅に映画館はありません。
映画が最も輝いていた時代の看板が建ち並び、
その記憶だけが封印された街の様です。

青梅 #01 昭和レトロな青梅

2013-11-30 22:05:20 | 東京 URBEX
気がついたらテンプレートが変わっていた。
60日間更新しないとデフォルトに戻ってしまうらしい。
無料だから文句は言えないけど、
わざわざ手間かけて戻る様にしているあたりが小賢しいですね。

しかも、もうすぐ完全有料化。
しかし2005年から膨大にアップして来た記事を、
いまさら全部棄てるのも勿体ないし。。。

ともあれ、それは別として、未アップのネタでも。
かねてより行きたいと思いながら、
なかなか行けなかった<青梅>を、
去年の春に訪れた時の話です。

青梅

青梅は、東京駅からJR中央快速線で立川まで行き、
青梅線に乗り換えて青梅駅で下車。
青梅は、新宿追分で甲州街道と分かれる青梅街道の宿場街で、
関所がないことから、庶民に親しまれた街道だったそうです。





青梅

駅のホームには、懐かしい昭和を彷彿とさせる蕎麦屋の看板。
レトロな電灯の傘もまたいい味を出してます。
1つ前の駅名表示も、周囲にレトロな装飾が施されてました。





青梅

蕎麦屋の全貌。
ウインドウの中にはブリキのアトムの人形。
券売機が錆び付いているのは、
自然なのかわざとなのかはわからないものの、
朽ちかけた立ち食い蕎麦の外観にはぴったりです。





青梅

出口へ向かうためにホームの下をくぐると、
壁一面に往年の名作映画の看板が張られています。
『旅路』、『終着駅』、




青梅

『怪傑黒頭巾』に『鉄道員(ぽっぽや)』、





青梅

こちらはイタリア版の鉄道員、
それに『ティファニーで朝食を』
洋画邦画ないまぜ、
時代もまったくまちまちに並べられた映画の看板群は、
摩訶不思議な空間を造り出しています。

初めての青梅。
これからどんな世界が待ち受けているのでしょうか。

酉の市

2012-11-14 14:53:06 | 東京 URBEX
学生時代から毎年足を運んでいる、
花園神社@新宿の酉の市。
毎年、たいがい三の酉あるいは二の酉に行くが、
今年はスケジュールの都合上一の酉へ行くことにした。



熊手の飾り物を買って、主に商売繁盛を祈願する酉の市。
境内には100を越える熊手屋が軒を連ね、
購入者に贈られる、拍子木による三三七拍子が、
そこかしこから聴こえてくる。
場所柄客層は歌舞伎町界隈での店の経営者や従業員が多く、
境内は野外のホストクラブとキャバクラといった様相になる。







熊手を買わず、お祭り気分だけを味わいに来た客も、
参拝だけはしていくので、拝殿の前はいつも長蛇の列。
奉納金に応じて掲げられた行灯には、
伊勢丹や花園饅頭など、新宿で知られた店舗のものが並ぶ。







ごったがえす参拝客とせめぎあう様に、
露天も半端ない数が軒を連ねる。
焼きゾバやお好み焼きなどの定番の露天も多いが、
中にはここでしかお目にかかれない不思議な露天も出る。
20年以上ずっと同じ場所で営業する「フライ」と書かれた暖簾の店。
フライ…果たしてなんのフライなのだろうか?
一本100円の串カツの様なものだが、
100円で提供出来るフライの肉とは…
と、よからぬ想像を張り巡らせてしまう。







着席して飲食出来る居酒屋仕様の店も、
これまた沢山の数がひしめきあう。
ご祝儀の千円札を簪状に刺した粋な姉ちゃんがいる店など、
日常ではなかなか味わえない体験ができるのも、
また酉の市の魅力。







様々な出店が並ぶ花園神社の酉の市の中で、
ひときわ異彩を放つのは見世物小屋だ。
現在、国内で唯一定期興行をしている「大寅興行社」
こびとの方が太鼓を叩く呼び込みから、
鏡を使ったトリックによる首だけの生きた犬の展示、
そして大蛇や牛女の演目。
80年代の初頭に、初めて見た見世物小屋に、
それまで味わったことのない衝撃を受けたのを覚えている。
特に牛女と呼ばれる、膝の関節が逆に曲がる病気の方が、
舞台を徘徊する出し物の記憶は、
しばらくの間トラウマになっていた。







いつの頃からか牛女は出演しなくなった。
身体障害者の出演に規制がかかったのか、
また亡くなったのかはわからないが、
その後、ヘビ女と呼ばれるお峰さんがメインを勤めていた。
「好きで食べるのか病で食べるのか」のナレとともに、
生きたヘビを食べる演目は前座で、
本命は束ねた蝋燭の蝋を口にためて一気に火炎噴射する、
「口中火炎のうつし」
近年では、小雪さんという若い方が後継者として活躍されている。
また、牛女の時代からいて、当時は黒子的な役割をし、
牛女亡き後、ヘビの鼻通しの芸を一生懸命マスターし、
小雪さんが登場するまでの時代を繋いだ、
はるちゃんも重要なキャストだ。(今もいいるのかな)

かつて唐十郎の赤テントが掛かったことで知られる花園神社。
今では酉の市の時だけだが、大寅興行の見世物小屋が掛かる。
国内で唯一の異空間を、是非体験して欲しい。

大寅興行社の見世物小屋は、
毎年11月の酉の市@新宿花園神社で掛かる。
今年は11/20が二の酉。

東京ノスタルジア:三軒茶屋 #01

2012-04-11 04:22:23 | 東京 URBEX
忙しさにかまけて随分更新してない事に気がつく。
とりあえず、時々アップしている東京ノスタルシリーズでも…

三軒茶屋
東急三軒茶屋駅

都内では数少ない路面電車の一つ、東急世田谷線。
路面といっても殆ど道の上を走る事がなく、殆ど電車。





三軒茶屋
東急三軒茶屋駅

終点の三軒茶屋駅は、ちゃんと終着駅の造りになっていて、
しかもこじんまりとしているので、
ほんのちょっとお伽の国の駅感がある。





三軒茶屋
三軒茶屋シネマ

駅を出て世田谷通りを渡ると昭和レトロな街角。
今でもやってるいわゆる名画座の「三軒茶屋シネマ」
色タイルの壁、丸いドアノブが付いたアルミの扉。
看板の横に付いた黄色い電球にシビれる。





三軒茶屋
三軒茶屋シネマ

壁面に丸みをつけてくり抜かれた券売所。
おつりに500円札が混じっていそう。





三軒茶屋
三軒茶屋中央劇場

と思いきや、隣にはもっとノスタルな劇場。
「三軒茶屋中央劇場 特選映画封切館」の看板文字が、
全部右書き!
黄桜のCMを連想させる河童のイラスト。
丸みを帯びて張り出した券売ブース。
今は亡き黄金町の日劇とまではいかずとも、
かなりいい感じ。





三軒茶屋
三軒茶屋

映画館の前には手書きか手切り貼りの「スナック」
なにもかもが昭和ノスタルでくらくら。

Google Map


東京ノスタルジア:神田

2011-12-24 06:16:02 | 東京 URBEX
前回、前々回の記事で、
御茶ノ水の煉瓦高架に残る駅跡を見て来たので、
今回もその流れで神田まで足を延ばしてみようと思います。

ヨーロッパ等の大都市の地図を見ていつも思う事は、
鉄道の始発駅がはっきりとわかること。
南方へ行く鉄道の始発駅は都市の南寄りに、
また北方へ行く始発駅は都市の北寄りにあって、
何処から乗ればどこへ行けるのかが一目でわかります。
ところが東京の地図を見ると、
上野や東京の存在を知らない限り、
何処から乗ればどこへ行けるのかが地図を見ても分かりません。

かつて東北方面は上野、東海道は新橋、中部方面へは万世橋と、
それぞれあった始発駅を、
明治末期から大正にかけて、全てくっつけてしまったからですね。
そしてその跡が、新橋から上野、そして神田から御茶ノ水にかけて、
赤煉瓦高架橋として現在も残っています。



御茶ノ水~神田の赤煉瓦高架。
新橋~有楽町の赤煉瓦高架に比べると、
ちょっと造りに手抜き感が感じられるものの、
それでも延々と続くかまぼこアーチの赤煉瓦は壮観です。







神田駅下の赤煉瓦に張られたビラに、
赤尾敏 (あかお びん) という名前が見えます。

赤尾敏…
もともと共産思想を強く持ち、自らも実践していたものの、
天皇制批判で投獄されている間に転向。
戦後大日本愛国党を結成し、
街宣車に乗って、常に辻説法をしていた、
いわば昭和の怪人物ですね。

すでにご存知ない方も沢山いるかと思いますが、
かつて数寄屋橋の交差点へ行くと、
必ずこの人が演説をしていたのを思い出します。







煉瓦高架のアーチの下には様々な店舗が入居していますが、
この神田駅からほど近い一つのアーチの下には、
看板を見る限る8軒の店がひしめいているようですね。
Mapion







さらに南へ進むと、煉瓦高架の途切れたガード下に、
今川小路と書かれた看板を発見。→Mapion
ノスタルな匂いを感じて、路地を入って見ると…







素晴らしきノスタルなガードした呑み屋街。
その名も「があどした」というお店から、
「大松」や「耕」など、
ノスタル度満点の店が軒を連ねています。







店先をうろつく猫の様子をみると、
どうやら生活は苦しそうではないので、
結構賑わう飲屋街なんだと思います。
この時は時間もなくすぐに移動しなくてはならず、
日が暮れる迄いられなかったのは残念ですが、
次回は上記の雑居飲食店アーチとともに、
是非とも訪れてみたいと思います。







赤煉瓦高架もさることながら、
神田駅は駅下を通るガードが数多くあり、
その鉄脚もまた趣があります。
Mapion

こうして断片的に集めた神田を改めて見直してみると、
神田って奥深いんですね。
改めて神田を散策してみようと思いました。