黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京ノスタルジア:本郷 #04

2011-12-11 14:48:38 | 東京 URBEX
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院した。
そのおかげというのもおかしいが、お茶の水を中心に、
本郷やら神田やらを散歩する事が多かったので、
その辺をアップしようと思います。
といっても画像ネタはかなり以前に訪れた時のものを中心に。

シリーズでお送りしている本郷界隈。
今回は鳳明館です。

前回アップした本郷館同様、
明治時代からあった下宿が、
昭和に入って下宿と旅館を兼ねる様になり、
戦後に、旅館建築に改築した建物だそうです。



東京では数少ない、
明治時代の登録有形文化財に指定されている本館は、
本郷の歴史を今に伝える、
老舗旅館の風格が漂います。







本館に隣接する台町別館は、
ただでさえ古い街並みの本郷にあって、
ひときわ目を引く台町別館の外観。







本館とは違って、当初から旅館として建てられたようですが、
こちらも本館に負けず劣らず、
デモクラシーの香りを今に残してくれています。







かつてあった本郷館に隣接した場所には、
森川別館もあります。
こちらは本館や台町別館よりはやや新しい印象ですが、
それでも純和風な建物は、
とても東京のど真ん中とは思えません。

ところで鳳明館のサイトを見ると、
一泊の料金はかなり安め。
しかも部屋ごとに意匠が違うという内装を見ると、
これまた垂涎の雰囲気をたたえているので、
機会があったら是非泊まってみたいと思います。

東京ノスタルジア:本郷 #03

2011-11-24 07:33:38 | 東京 URBEX
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院した。
そのおかげというのもおかしいが、お茶の水を中心に、
本郷やら神田やらを散歩する事が多かったので、
その辺をアップしようと思います。
といっても画像ネタはかなり以前に訪れた時のものを中心に。

シリーズでお送りしている本郷界隈。
今回は本郷館です。

前回アップした樋口一葉旧居跡から北へ進むと、
明治38年(1905)建築の巨大な学生寮「本郷館」がありました。
「ありました」というのは、
先日惜しくも解体されてしまったからです。

明治38年(1905)に建設され、関東大震災にも耐えて、
100年以上生き残った建物だった本郷館。

本郷にあったいくつかの大規模な木造アパートが、
時代の変遷とともに旅館などに姿を変える中、
最期まで学生寮として機能し、
現存する国内最古の木造三階建て、
とも言われた本郷館が解体されたのは、
とても残念です。



正面からの勇姿。
この部屋数の木造三階の壁は、
強烈な存在感を放っていました。







由緒ある学生寮だけあって、
使われていた時は管理が厳しく、
この時も、
玄関の奥で管理人さんが目を光らせていました。







普通、この時代の建物は、残っていたとしても、
窓枠のサッシュが鉄製やアルミ製に変えられている場合が殆どですが、
本郷館は、少なくとも見る限り、
窓枠も木製のままのようでした。
見学する人間にとっては驚きの光景ですが、
実際に住んでいた人にとっては、
それほどありがたいものではなかったかもしれません。







出窓部分も全て木製。







建物は緩やかに傾斜した土地に建てられていて、
土地が低い所は、レベルを合わせた基礎部分を、
煉瓦で囲っていました。
画像はだいぶ土地が低い所で、
煉瓦部分の高さは身長よりもありました。
中央の煉瓦で新しく埋めた様な跡は、
かつての汲取口でしょうか。







裏に回って見る事の出来る崖の上に立つ姿は、
一段と威圧感があります。
特にこちら側の壁面は歪みが激しく、
住む人の安全性を考えれば、
解体もやむなし、とも思えてします。







先日、久しぶりに訪れてみると、
やはり解体されたていました。
広大な敷地跡からもその規模が伺えます。
100年以上に渡ってここに住んでこられた方々にとっても、
特別なアパートだったんではないかと思いますが、
二度と見られないのは、やはり残念です。

東京ノスタルジア:本郷 #02

2011-11-22 23:47:46 | 東京 URBEX
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院した。
そのおかげというのもおかしいが、お茶の水を中心に、
本郷やら神田やらを散歩する事が多かったので、
その辺をアップしようと思います。
といっても画像ネタはかなり以前に訪れた時のものを中心に。

前回に続いての本郷界隈。
今回は樋口一葉ゆかりの街角です。

その名前と『にごりえ』『たけくらべ』の作者、
くらいしか知らない自分にとっては、
それほど思い入れを持てる光景でもありませんが、
実際に訪れると、
明治の香りが残る、趣のある街角でした。



本郷には坂が多く、
しかもその名前がどれもいかしています。
そのうちの一つ「鐙坂(あぶみざか)」を下ると、
道の横に小さな木の門があありますが、
その中へ入ったとたん、時計は急速に逆回転し、
一気にタイムスリップ。→木戸のある入口(Mapion)
地図にも表記がある「鐙坂學問所」の横を通り少し進む頃には、
完全に時空を超えてしまっています。
画像はその奥にある第二の木の門。







第二の門をくぐり階段を下りると、
そこがかつての樋口一葉の旧居跡。→Mapion
執筆に行き詰まったときに水を被ったと伝わる、
ゆかりの井戸も残っているようです。
奥の階段の上に見えるのが第二の木の門。







階段の両側には、掛崖の造りながら、
現役の木造三階建ての家屋。







一葉の旧居跡の近くには、
苦しい家計をやりくりした伊勢屋質店跡もあります。
たぶんこの辺→Mapion







樋口一葉をはじめ、明治から昭和にかけて、
夏目漱石、坪内逍遥、二葉亭四迷、正岡子規、
宮沢賢治、川端康成、石川啄木と、
日本文学界の錚々たる面子が住んだ本郷は、
今もその雰囲気を静かに伝えています。







こんな光景もならでは、ですね。
それにしても、じっちゃん、渋過ぎ!

東京ノスタルジア:本郷 #01

2011-11-20 02:39:24 | 東京 URBEX
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院した。
そのおかげというか流れで、お茶の水を中心に、
本郷やら神田やらを散歩する事が多かったので、
その辺をアップしようと思います。
といっても画像ネタはかなり以前に訪れた時のものを中心に。

まずは本郷から。

本郷には、
オープロジェクトのDVDを数多く発売して頂いている日活さんがあるので、
打ち合わせ前に時間のある時等はたまにぶらぶらしていますが、
東大本部キャンパスを中心に、
文京の香り漂う、レトロな町並みが印象的です。



まずは腹ごしらえということで、
東大赤門の向かいにある
大正3年創業の老舗「万定フルーツパーラー」
建物は昭和3年築というだけあって、
看板建築の使用にアールデコの影響が感じられます。







現在はカレーがメインメニューのカフェになっています。
おすすめの黒カレー。
この時は、軍艦島で沢山お世話になった小島隆行氏が、
たまたま東京に来ていた時で、
東京の下町を見学したいということだったので、
一緒に散策したのを思い出します。







昭和初期からずっと使い続けているというレジ機は、
もはや昭和遺産級の趣です。









もう一軒は、やはり赤門の向かいにある、
「COFFEE こゝろ」
店が入居する建物も、鉄筋の長屋風で趣がありますが、
これは実際に行ってご覧になってください。
最初に本郷を訪れたときに、
本当は万定へ行きたかったのですが、閉まっていたので、
店の名前に惹かれてこの入りました。







入ってよかったと思ったのはこのメニューです。
「ウインナーライス」と品書きにあったので、
お店の人に一応どんなものか尋ねてから頼みましたが、
要はソースで炒めたウインナーとキャベツがけご飯です。
出てきた時は驚きましたが、
食べてみると、これがB級でイケます。
ウインナーが赤いのがいいですね。







店内は西東京で多く見かける、
昭和レトロを意識した内装ではなく、
正真正銘昭和のままです。
唯一有線から流れる小室奈美恵が、
平成の時を感じさせてくれるだけです。
かなり昭和へタイムスリップできますので、
是非いってみて下さい。




鳩の街私娼窟跡 #04

2010-07-16 09:06:32 | 東京 URBEX
シリーズでお送りしている、
東京の下町、向島に残る鳩の街の私娼窟跡です。
前回までいろいろなカフェをアップしてきましたが、
珍しいのでもう少し。



この建物は壁面が改修されてしまっているのは残念ですが、
竜宮城を連想させる青いタイルの柱と屋根付きの木戸の、
キッチュなミスマッチがいい味を出しています。





これまで見てきた円柱のようにタイルばりではなく、
下部の塗りを変えただけのコンクリ柱ですが、
その建物の大きさに比べてやけに太いですね。
そして、主張の強い円柱に反して、
申し訳け程度に弧を描く庇のアンバランスさ。
特にこの建物は、かつての姿を見てみたいと思います。





江戸時代には、家族の口減らしとして、
働かなくてはならなかった人も多かった遊郭、
そして戦後までは社会的な事情で、
働かなくてはならなかった人が多かった赤線。
高度経済成長の始まりとともに終焉を迎え、
日本は花街の必要なくなった国になったのかもしれません。
けれど海外へ目を向けると、
春をひさぐことは多くの国で今でも法律で認められています。
ヨーロッパ等は移民という問題を大きく抱えているものの、
日本が希有な国なんだということを改めて知ります。



鳩の街は向島5丁目ですが、
隣接して南に広がる向島2丁目は花柳界の街です。
バブル崩壊以降、
赤坂等の花柳界が軒並み店じまいをした今でも、
伝統を守る店が沢山営業しています。



この向島花柳界をはじめ、
鳩の街のすぐ北にあたる東向島には、
鳩の街同様赤線だった玉ノ井が、そして
隅田川の対岸には大遊郭だった吉原があったこの一帯は、
特殊な地場を持った土地だと思います。



最後に向島のはずれにあった、
お店の名前より取り扱いアイテムの方が目立つ看板の、
「カド」というお店。



花模様の色褪せた看板、ひしゃげた窓枠、
最高ですね!
立ち寄ればよかった。。。orz


鳩の街私娼窟跡 #03

2010-07-15 18:29:31 | 東京 URBEX
東京の下町、向島に残る鳩の街の私娼窟跡。
前回アップした路地以外にも、
そこかそこに花街の名残が残っています。



この建物は1階の表部分だけカフェ風の造りで、
残りの部分は紛れもない木造家屋。
既に玄関や1階の窓枠も改修されているので、
それと知らなければ見過ごしてしまいがちです。





しかしよく見ると2階には丸い飾り窓。





上の建物同様、タイルばりの円柱がなければ、
一般の家屋とみまがってもおかしくない建物。
鳩の街のカフェ造りにはあまり積極的な印象を受けませんが、
警察の指導によって行なわれたという話を聞けば、
これらカフェ建築が、単に基準をクリアするための、
免罪符的なものだったのか?とも思います。





1階と2階の間には、
雨樋の集水器のようなものがありますが、
鳩の街を後にして国道6号線を歩いていると、
同じ形をした集水器のある建物があったので、
これは特にカフェ建築特有のものではなさそうですね。





弧を描く庇がなければ、普通のモルタル(たぶん)アパート。
しかし窓ガラスの粋な細工はどっぷりと和の世界。
幾多の徒花が咲いたことだろうと思います。





遊郭、そして赤線といった花街が、
なぜ、文人墨客が集い文化発祥の地とまで言われたのか、
それを実際に体感してみたかったものです。


鳩の街私娼窟跡 #02

2010-07-14 10:55:47 | 東京 URBEX
東京の下町、向島に残る鳩の街の私娼窟跡。
前回アップした商店街通りを一筋中へ入ると、
そこにかつての花街の跡が残っています。
Mapion



吉行淳之介の『原色の街』の舞台として、
そして、女優木の実ナナの出身地としても知られる鳩の街は、
今では褪色の街として、濃密な静けさが漂い、
かつて「どぎつい色あくどい色が氾濫している」と
『原色の街』で表現された様子は全くありません。






鳩の街は戦後の花街。
カフェ風の建築にして営業することを、
警察から指導されていたそうで、
通りには木造の日本家屋の一部を洋風に改築した、
他では滅多に見ることができない、
不思議な建物が並んでいます。






もう遊郭の時代ではないので、
いわゆる「張見世(はりみせ)」も必要なかったのか、
窓などは至って普通の造りのように見えます。






お隣にはタイル張りの円柱をあしらった建物もあります。
小さなタイルを張り込んだ円柱は
このお宅以外にもたくさんあって、
カフェ建築の一つの特徴のようですね。
弧を描く雨よけにそこはかとないパラダイスを感じます。





こちらのお宅も同様にタイルばりの円柱です。
おそらく当時は画像正面が入口だったんではないかと思いますが、
今では左側に玄関が造られています。
上部を囲うトタン板も後年のものかと思いますが、
看板建築のようなトタン板の奥、2階部分には、
瓦屋根の木造住宅が見えます。





思えば鳩の街は吉原同様赤線なので、
私娼窟には違いないんでしょうが、
一応黙認的な合法だったので、
私娼窟という言葉が当てはまるかどうかは、
疑問ですね。
私娼窟という言葉を使いたかっただけなんですけど。。。


鳩の街私娼窟跡 #01

2010-07-10 06:52:45 | 東京 URBEX
かつて都内各地にあった娼窟。
現在ではその殆どが解体されていますが、
幾つかの地域にはまだ当時の名残が残っています。
その中の一つが、今回シリーズでお送りする、
鳩の街の私娼窟跡です。



隅田川沿いの向島インターからほど近い路地を入ったところに、
鳩の街はあります。
Mapion
「鳩の街」という町名は既になく、
地図上では東向島1丁目になっていますが、
それでも商店街の名称等にその名残を見ることができます。






Mapion のマークの位置から南南東に延びる道が、
鳩の街商店街ですが、
この商店街通りの東側の地域がかつての鳩の街私娼街です。
そのせいか、通りの東側に趣のある建物が多い印象ですが、
まずは、私娼窟跡を見学する前に、
向島という地域自体もとても興味深いので、
商店街やその近辺を見学することにします。






商店街の西面。
商店街は活気があるとは言えず、
画像の様に仕舞屋も多く散見しますが、
それでも、ひとつ上の画像の長屋の一番奥に写る、
「カフェこぐま」などを中心に、
地域活性化の糸口が模索されているようです。






商店街から一筋入ると、そこかしこに
昭和ノスタルな街角が広がっています。
夕陽を浴びる二階のベランダ。
木製サッシュの窓に囲まれた町工場のような建物。
中からはアナログな機械の駆動音が聴こえてくるようです。






木造長屋も健在です。
木造のベランダ、道に面した木製の窓、引き戸の玄関、
東東京にはまだまだ木造長屋がたくさん残っていますが、
あと10年もすれば、
殆どみることは出来なくなるんではないでしょうか。






トタンアートの建物も至る所にあります。

次回からはそんなノスタルな街に残る、
私娼窟の跡を見て行きたいと思います。


東京ノスタルジア:中野

2010-02-27 00:37:53 | 東京 URBEX
最近よく書き込みを頂くさっちゃんさんのお話から、
わが故郷、中野の事をいろいろと思い出しました。
確か去年の春頃、駅の高架下で行なわれていた、
「中野駅開業120年 写真にみる中野駅の変遷」
を撮影した画像があったのでご覧下さい。

(著作権は中野区とかが管理してるのかもしれないけど、
まあ撮禁表示無しのものをガラス越しに撮影した物だからいっか)




展示されていた写真の中で一番古かったもの。
明治40(1907)年の中野駅南口。なんと百年以上前!
これだけ見る分には全く面影なーし。
古すぎて感慨もなーし。
それもそのはず。
この当時は今の位置とは別の位置で、
西に100mのところにあったということなんで、
現在の駐輪場の横あたりになるんでしょうか。



大正12(1923)年。この当時もまだ開業時の位置ですが、
駅舎の形が少し変わった様にみえます。
それにしてもボヤ~っとした駅前ですね。



そして昭和4(1929)年、現在の位置に移転して、
新しい駅舎が完成したそうです。
南口ですが、これなら中野駅だと納得です。
タクシーの形もさることながら、人力車が並んでますね!
ちょこんと乗っかった駅名プレートも、サッポロビールの旗も、
全部右書き文字です。



昭和5(1930)年の中野駅前。
解説には中野北口仲通りと書かれていましたが、
現在の北口サンモール商店街。
奥の方の右側に、辻屋ハキモノ店の看板が見えますが、
このお店は現在もサンモールの中で営業しています。
新しい中野駅の開業の翌年。
やはり人力車が写ってるし、
奥にうつる女性は着物姿のよですが、
真ん中に写る子供が妙に戦後っぽいのが気になります。



昭和7(1932)年の中野駅前。
今度は中野北口商店街と書かれていましたが、
これも現在のサンモール。
現在のブロードウェイ付近から駅方面を眺めた光景です。
視点の高さから言って、3階建て位の建物からでしょうか。
道行く人を見る限り、
一つ前の写真よりは昭和初期に納得です。



昭和22 (1947) 年。北口駅前。
戦後の光景ですね。
商店街はまだアーケードになっていないようです。
おそらく闇市の臭いを十分に漂わせていた時代ではないでしょうか。



昭和34 (1959) 年の南口。
ボンネットバス、三輪自動車、
観音開きクラウンのタクシーなど、
オールウェイズど真ん中の光景ですね。
まだ歩道にガードレールがありません。



昭和41 (1966) 年の北口駅前。
商店街はアーケードになっているようですが、
サンモール以前の美観街の時代ですね。
この年ブロードウェイが完成しています。



昭和41 (1966) 年の北口美観街。
右上に、昭和5年の写真にも写っていた、
辻屋はきもの店が写っています。
美観街……漢字で見ればよくわかりますが、
当時は「ビカンガイ」という発音でしか聞いてなかったので、
ずいぶん妙な名前だな~、などと思っていました。



昭和47 (1972) 年
最後は新しく建て変わった中野駅。
後ろには間もなく完成する中野サンプラザが写っています。
サンプラザの開幕式の時には、
当時の総理大臣、田中角栄氏が訪れましたが、
テープカットのテープを切らずにくぐろうとして、
周囲から失笑を買っていました。
「お金で買えない物が一つある。それは品格だ」
という角栄氏の言葉が思い出されます。


東京ノスタルジア:荻窪

2009-06-15 03:16:44 | 東京 URBEX
以前の記事にコメントを頂いた墓ビルさんから教えて頂いた、
荻窪駅北口の昭和ノスタルジア。



コメントでは「新宿の小便横町界隈の雰囲気が残る一角」と聞いたのですが、
実際にはそこまででもない印象の、荻窪北口駅前通商店街。
しかしその商店街は、
小便横丁(たぶん「思い出横丁」のことだと思いますが)とは違う、
もっと昭和に特化した時代感覚を残したまま、
けっこう活気にあふれて稼働していました。

 

商店街の中央には向かい合う様に、
「珈琲の名店 邪宗門」と「食堂 富士」があり、
この付近は特に昭和を色濃く残した店並びですね。





食堂富士の建物を裏から見ると、なんと木造3階建てです。
商店街の建物は基本的に木造3階建てのようです。
もともと荻窪駅一帯は、戦後の闇市から発展した街。
おそらくその名残が今も残っているのでしょう。



商店街より更に駅に近い場所には、
昭和27年創業の焼き鳥の「鳥もと」が。
ビールケースを積んだオープンテラス(?)や、
電灯に照らされたカウンターの立ち呑みが、
戦後の雰囲気を今に伝えてくれている。
その隣に見える不動産屋の看板も凄い年期のはいり様だが、
現在では「金魚」という立ち呑み屋になっているようですね。

戦後を彷彿とさせる立ち呑みもよかったんですが、
荻窪に来たら常に行く店があるので、
そちらに行くことにしました。
ラーメンの春木屋です。



普段一人でラーメン屋へ行くことはめったにありませんが、
この店だけは別です。
子供の頃食べた味が忘れられず、
今でもラーメンと言えば、
春木屋のラーメンを基準に考えてしまいます。



しかし久しぶりに食べた春木屋の味は、
記憶の味と違っていました。
確かに魚介だしの効いた味の方向は同じですが、
なんか凄くしつこい味になっったなぁ~とか思いながら、
店内に吊るされた「春木屋物語」を読んでみると、
「ずっと同じ味を出していると飽きられる。
時代に合わせてすこしずつ気がつかれない様に
味を改良して行くことが秘訣」
と書いてあります。
なるほどそれで味が違っていたんですね。

でも当時の味を食べたい人は?と思ってメニューを見返すと、
60周年特別メニューとして、
昔味というラーメンがあるじゃないですか。
しまった、こっちにすればよかった。
きっとこっちの方が記憶に残る味に近かったかも。

ラーメンは大変な商売だと思います。


東京ノスタルジア:雑司が谷

2008-08-26 04:05:57 | 東京 URBEX
池袋へ仕事で行く事が多くなり、さてどうやって行こうかと考えたあげく、
クライアントがサンシャインシティの近くなので、
最近開通した地下鉄副都心線で雑司ヶ谷まで行き、都営荒川線に乗り継いで、
東池袋4丁目からサンシャインシティへ行くコースを思いつきました。
打ち合わせ前の小1時間、見知らぬ街のぶらり旅。
画像が多いんでサムネ式です。クリックすると拡大します。

副都心線の雑司が谷を降りて地上に出ると、
目の前は東京で唯一の路面電車<都電荒川線>の駅ですが、
駅名は雑司が谷ではなく鬼子母神。
ちなみに馴染みのない人にはどちらも読み違えてしまいそうな駅名ですね。
「ぞーしがや」と「きしもじん」です。

  

路面電車と言っても一般車道と並走する箇所があまりないんで、
路面電車感は少ないながら、それでもJRや地下鉄よりは遥かにノスタルです。
鬼子母神駅に停まる荒川線越しに見えるサンシャインシティ(画像上左)
駅前駐車場の一角に残る町神さま。祠横の木が凄いですね!(画像上右)

  

駅から程なく歩くと、鬼子母神の参道商店街が見えて来ます。
大きく育ったケヤキ並木に囲まれる石畳の参道は、
短い距離ながらとても雰囲気があります(画像上左)
参道の途中には凝った看板建築の長屋などもあり、
徐々にノスタルな世界へ惹き込まれて行きます(画像上右)

  

鬼子母神さまへ到着です。正式には「法明寺鬼子母神堂」
詳しくはオフィシャルサイトをご覧下さい。
「鬼」の上の点がないのが正式な表記だそうです。
江戸時代の姿に復元する昭和の大修理の功あってか、
境内には古刹の風格が漂い、一気にタイムトリップさせてくれます。
本殿鬼子母神堂も厳かな雰囲気で(画像左)
また本堂の両側にある防火用水槽は、
水桶が全部鉄製のレプリカで、これまた不思議(画像右)



そしてこの境内を訪れたかった最大の理由は、
なんといっても駄菓子屋「上川口屋」さんです。
創業1781年!
飴売りから始まって14代目のおかみさんが静かに営む駄菓子屋は、
それだけでも風格です。
店先には今風の駄菓子から懐かしの駄菓子までよりどりみどり。
木箱に入った串カステラが懐かしく1本貰いました。
子供の頃の駄菓子を買う時のクセで右はじの一番奥からとりましたが、
案の定<あたり>!
ここで買う子供達、ごめんなさいね、
せっかくの楽しみを当ててしまって(^.^ゞ)
串カステラは記憶通りの味でした。

  

境内にある樹齢600年の大銀杏(画像上左)
鎌倉八幡宮の大銀杏のような老醜がなく、
600年とは思えない元気さにびっくり。
その周りを囲む様に赤い鳥居がずら~と並んでいますが、
寺の境内になんで赤鳥居?と思うも、
この一帯が稲荷の森と呼ばれていた頃の名残だそうです。

  

小一時間はあっという間に過ぎ鬼子母神駅へ向かいます。
途中通りかかったひなびた商店街の一角に残る路地(画像上左)や、
駅前商店街のふとん屋(画像上右)など、
街全体が醸し出すノスタルは、
下町のような派手さはないものの、
他の地域では感じない独特のものがあった雑司が谷。



ノシタルな街を歩いていつも感じるのは、街が暗いことです。
一番の原因は建物の外壁に板壁が多いだからだと思いますが、
その昔赤や紫などの派手な色は神社仏閣のみが使う事を許された、特別な色でした。
それ以外の場所で見える色は、
茶色い建物に緑の植物、そして道砂利の灰色だけだったと思います。
そんなノスタルな町中を歩いていると、
気持ちの色合いが落ち着いて行くのを感じます。

今は街に色々な色が溢れていますが、
果たしてこれが気持ちの欲求からそうなったのか、
それとも街がそうなったから気持ちが変化したのかは、
鶏が先か卵が先か、と同じかもしれない
などと思いながらクライアント先へ向かいました。

■追記■ AUG. 27, 2008
副都心線の「ぞーしがや」は「雑司ヶ谷」ではなく「雑司が谷」なので訂正。
荒川線鬼子母神駅の隣も「そーしがや」だけど、こちらは「雑司ヶ谷」
ちなみに副都心線の完成で「都電雑司ヶ谷」に駅名が変わったとか。。。


東京ノスタルジア:渋谷初台

2008-06-05 16:37:17 | 東京 URBEX


新宿オペラシティのふもとにある初台商店街(正式には『初台商盛会』)。

オペラシティのなかった時代のこの商店街はしりませんが、
今はオペラシティがあることが、面白い景観を作り出しています。

画像に写る家屋は、奥にもう一棟あって、
2階がコンクリートの渡り廊下で連結されています。

今週アップして来た物件のほかにも、
画像的には説得力がないながら、脱力系の物件がちらほら見つかる、
ほっこりした商店街です。


東京ノスタルジア:渋谷初台

2008-06-04 03:55:24 | 東京 URBEX


新宿オペラシティのふもとにある、
初台商店街(正式には『初台商盛会』)の話。

お酒はお酒専門のディスカウントショップかスーパー、
お米はもっぱらスーパーで買う様になって久しいですが、
初台商店街には酒屋さん、米屋さんがまだあります。
酒屋さんの店内は
整然と一升瓶が並ぶ木造の棚がしつらえられ、
ワインも赤玉ポートワインのデカ瓶が、
最も目立つ所におかれているのが似合いそうな店です。

Mapion


東京ノスタルジア:渋谷初台

2008-06-03 03:32:21 | 東京 URBEX


新宿オペラシティのふもとにある、
初台商店街(正式には『初台商盛会』)の話。

昨日アップした魚屋さんの近くには、
こういった店もあります。
やっているのを見た事がないので、
すでに仕舞屋かと思いますが、
日に焼けた看板の
Kambaraの「m」がいいですね。

ちなみに昨日アプした魚屋、そしてこの店は、
リンクしている初台商盛会には載っていません。

■追記 JUNE 4, 2008
初台商盛会のサイトを見ると、
添付紹介のページには載ってませんが、
トップページの地図には記載されていました。
実はまだ営業してるのかな?

Mapion


東京ノスタルジア:渋谷初台

2008-06-02 04:20:54 | 東京 URBEX


昨日からアップしている、新宿オペラシティのふもとにある、
初台商店街(正式には『初台商盛会』)の話。

商店街にはこんな魚屋さんがあります。
極めて猛暑の夏の日。
陽に焼けまくった幌布。
そして真っ暗な店内。
そういえば外の日差しが強烈な時に、
店内が真っ暗に見える店って、
最近なくなってしまいました。

Mapion