黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

河口をゆく 6

2007-05-21 10:33:37 | 東京 URBEX


河口に広がるブルー・ヴィレッジ。
河口の緑地帯は大きく分けて、開けたグランドと木立が茂る林に分かれていますが、
小屋は、その林の中に一定の間隔を保ってはじからはじまで建っています。
周囲の植え込みはほとんどが自然のままだと思いますが、
下手に手を入れた庭より遥かに気の効いた造りです。






環境と共生する、自分で造った自分の住む家。
ホームレスという生き方や土地の無断使用の善し悪しは別にして、
人が住む、ひとつの原点をみました。

◆ 河口をゆく ◆
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河口をゆく 5

2007-05-20 00:33:53 | 東京 URBEX


河口にあったブルー・ヴィレッジ。
この家なんかはかなり気合いが入っています。
屋根が膨らんでいるのはエアーでも入っているのでしょうか。
少なくとも雨水が天井に溜まる事はなさそうです。
リヤカーは仕事用でしょうか。
外にはゴミ箱まで設置されています。





この小屋は画像右に切れている小屋の離れのようです。
2軒が木でつながれ、洗濯干しがかけてあります。

戦後のバラックはこんな感じだったのでしょうか?
当時は生きる為に全てが許された時代。
今は土地から何から隅々まで管理されている時代。
きっと気苦労も多いんだと思います。

◆ 河口をゆく ◆
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河口をゆく 4

2007-05-19 00:13:39 | 東京 URBEX


河口には、地図に載っていない村があります。
ブルーヴィレッジとでも呼べそうな村。
一般的にはカードボードですが、
この河口村の家々は板張りで本格的な造りです。







代々木公園にはブルーハウスを造るための、
鉄のパイプが設置されていて、
そのエリアならブルーハウスを造っていいことになっていますが、
この河口には鉄パイプ等は設置されていないようです。

それにしても緑に囲まれた抜群の環境です。

◆ 河口をゆく ◆
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河口をゆく 2

2007-05-17 00:11:12 | 東京 URBEX


古い堤防でしょうか。煉瓦造りです。
今は手前に道ができ、その先にコンクリで固めた、
小さな船舶係留所があります。








かつて鉄梯子がついていたなごりでしょうか。
他の場所にはまだ梯子が残っている所もあります。

◆ 河口をゆく ◆
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河口をゆく 1

2007-05-16 01:03:26 | 東京 URBEX

昨日までアップして来た海辺同様、
河口もまた廃なテイストにあふれてる場所が多くあります。



必要に迫られて作らざるおえなかった心地よい殺風景。
あるいは、
人に見られることを意識しないで作られた空間が作り出すほころび。








水位の計算の結果の堤防と、
コストと安全性だけを考えた末に作られた橋がつくりだす、
独特の雰囲気は、
なかなか街中では感じる事ができません。
 
◆ 河口をゆく ◆
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深川江戸資料館 #05

2007-02-23 13:34:19 | 東京 URBEX
シリーズでアップしている、
江東区にある江戸時代のテーマ館深川江戸資料館の話。

最後は資料館の近辺の話です。
資料館の目の前の通りは、ちらほらと江戸の風情を感じられる店が並び、
公衆トイレも江戸を意識した造りになっていたります。







資料館の前の通りで一番目立つのは、
深川丼というのぼりを出したお店です。
深川丼とは、飯の上に、アサリやハマグリとねぎなどの野菜を煮込んだ味噌汁をかけた丼で、
名産のアサリを生かした漁師達のまかない料理が発祥のようです。
そんな深川丼をだすお店の一つ。資料館の目の前にある深川宿



メニューはシンプルで、
アサリの味噌汁をかけた深川丼と、醤油味の炊き込みご飯の2種、
あとはそのバリエーションです。





一番人気の、深川丼を中心にした深川めし



青さのお吸い物やネギぬた等がついた定食仕立て。
ちょっと高いですが、おすすめです。

店内には新内が流れていました。
新内は浄瑠璃から発展した江戸情緒を代表する庶民的な音楽で、
テレビの時代劇などでたまに耳にはしますが、
現在の生活の中で聞く新内は、単に古い物にしか感じられません。
しかしこの店内で聞く新内は、凄くマッチしていて、
しかも古く感じらず、妙に染み込むのは、下町深川という土地柄でしょうか。

資料などを見る限り、新内は、江戸時代にかなり人気があったそうですが、
今ではその唄に込められた感情や感覚を手放しに楽しめないと思います。

喜怒哀楽は人間の基本的な感情だとよく言われますが、
はたして本当にそうかと疑いたくなります。
新内に託された喜怒哀楽は、たとえ喜怒哀楽であっても、
今のそれとは全然違う感覚のものだったんではないかと思わされます。

音楽が時代の感覚をダイレクトに代弁するものだとすれば、
もしかしたら、江戸の人が怒ったり喜んだりしているのを、
今の人間は手放しに共感できないんではないかと、
そんなことを思いました。
 
◆ 江戸探訪 其の弐 深川江戸資料館 ◆
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深川江戸資料館 #04

2007-02-22 07:11:24 | 東京 URBEX
シリーズでアップしている、
江東区にある江戸時代のテーマ館深川江戸資料館の話。

深川の再現町へ入る時に、最初に出迎えてくれる、
猫の実助(まめすけ)



けっこう豪快な顔してます。





館内は20分で一日が始まって終わるような照明設定になっていて、
とくに夕方から夜にかけての演出は秀逸。
日が落ちると深川の運河沿いの船宿に灯がはいります。







夜の帳が降りると、運河の空は真っ青になり、
晴れている日は月が見えます。



冬の夜空には雪が降る事もあります。

◆ 江戸探訪 其の弐 深川江戸資料館 ◆
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深川江戸資料館 #03

2007-02-21 01:54:05 | 東京 URBEX
シリーズでアップしている、
江東区にある江戸時代のテーマ館深川江戸資料館の話。

手習い、読み書き、三味線を近所の子に教えている、
於し津(おしづ)さんの家。



江戸時代では「お」という発音を「於」と書くのをよくみかけます。
例えば四谷怪談の主人公のお岩さんも、
もともとは「於岩」と書いていたようです。
資料館のサイトを見ると、於し津さんは、
家業が左前になったのと旦那が急死するという、
大変な苦労をした36歳の才女らしいです。
そう思ってみると、
部屋は小さいながら、他の家の中よりも、
こぎれいにセンス良くまとまっています。





於し津さんの家の向かいには、
むきみと入り口に書かれた政助さんの家があります。



むきみ、というのは、
深川の海岸線でよく採れる、あさりの身のことで、
おそらく政助さんは、あさり売りなんでしょう。
木更津出身の22歳の青年だそうです。
玄関の横には黒柴の子犬がいます。





長屋の路地もよく出来ています。


奥の家は船宿で、2階に灯が点っているのをみると、
誰かお客さんが泊まっているんでしょう。

◆ 江戸探訪 其の弐 深川江戸資料館 ◆
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深川江戸資料館 #02

2007-02-20 01:54:55 | 東京 URBEX
昨日からアップしている、
江東区にある江戸時代のテーマ館深川江戸資料館の話。

基本的には商店が中心の再現町並です。
八百屋の八百新。



この深川江戸資料館の面白いところは、
季節によって町並みがちゃんと変化するところです。
例えば川沿いの柳は、夏には葉がありますが、冬は枯れていたり、
この八百屋の品揃えも、冬は少なく夏は沢山陳列されます。





米製造所の舂米屋(つきまいや)



横に渡したバーを握って下の角柱を踏んでは、
手前の臼に入った玄米を精製して白米を造っていた装置。
地方では粟(あわ)や稗(ひえ)が主流だった当時、
江戸の人は白米を食べていたそうです。





また屋敷の中にある店舗だけではなく、
町角にはいわゆる屋台的な店舗も展示されていて、
端布屋もそのひとつです。



最初見た時には手拭屋かと思いましたが、
館内に沢山常駐する解説員(というのかな)の方のお話で、
端布屋と知りました。

この他にも、いなり寿司の屋台や天麩羅の屋台等、
いまではすでになくなった屋台もあったようです。

◆ 江戸探訪 其の弐 深川江戸資料館 ◆
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深川江戸資料館 #01

2007-02-19 01:15:21 | 東京 URBEX
先週玉川上水という江戸の遺構の話をアップしたので、
ついでに江戸の話をもう一つ。

江東区にある江戸時代のテーマ館深川江戸資料館は、
あまたある江戸時代のテーマ館のなかでも、
こつぶながら充実した資料館です。

展示は地下のスペースが使われています。



再現された深川の町へおりようとすると、
屋根の上で寝ていた猫が起き上がって、ニャぁ~と出迎えてくれます。
この猫、実助(まめすけ)という名前のようです。





ドブ板が並ぶ路地を入ると、長屋が軒を連ねます。



この並びの部屋はみんな狭く、小さな土間に6畳一間。
そこに基本的な日用品をおいて生活していたんですね。
2番目の秀二さんの家には赤ん坊がいるみたいです。
部屋の角のつい立てで囲った中から時々泣き声が聞こえます。





路地の中程にある、ゴミ捨て場と便所。



ゴミ捨て場の中には割れた陶器が捨てられていますが、
どうやらリサイクル用のゴミ収集箱のようです。

◆ 江戸探訪 其の弐 深川江戸資料館 ◆
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渦中のビル、忘却の彼方へ

2007-01-28 05:29:54 | 東京 URBEX
ここのところTDRの記事のアップにうつつを抜かしているうちに、
世界はずいぶん回っていました。

まずは渦中の(→だった)ビルから。
代々木/富ヶ谷の「高級マンション」



阿部定事件から80年。
今も語り継がれるその事件に比べて、
似たような部分もありながら、
あまりにも早いフェードアウト。
渦中のビルも、既に忘却の彼方へ、
といった感じでしょうか。

暇が有るから様々な妄想が浮かんで、
そしてそれを実現してしまう。
教育ということを改めて見直す時期に来ているのかもしれないと、
思ったりします。

■この事件に関して、現場の跡を追いながら考察している記事。
富ヶ谷バラバラ殺人現場(えいはち@十二社の行動)


船橋ミルクホール

2007-01-03 03:28:03 | 東京 URBEX


昔の写真を整理していたら、こんな写真が出てきました。

千葉県の船橋、京成電鉄の船橋駅の裏路地(だったと思います)
にあったミルクホールという名のカフェです。

ミルクホールと右書き文字で彫られた木の看板、
緑青が噴きまくった銅板の壁面、
色ガラスが埋め込まれた窓、
入口の上には日彰をデザイン化した紅白の色ガラス、
2つの入口の上に設置された、
今ではアンティーク・ショップでしかおめにかかれないランプシェード、
そして店内から漏れ出す淡い白熱灯の灯り。

まるで映画のセットのように完璧な造りですが、
普通の路地で普通の営業をしていました。
今思えば、何故店内へ入らなかったのが悔やまれるばかりです。

この写真は約25年位前のもので、
おそらくもうとっくになくなっていると思いますが、
どなたかこのお店を詳しくご存じの方がいらっしゃたら、
教えて頂ければと思います。


故郷が廃墟・中野徘徊4

2006-12-06 13:14:51 | 東京 URBEX
軍艦島にかかわるようになってから時々気にかかる、
「故郷が廃墟」ということはどういうことか?
その答えがあるはずもないと思いながら、
去年の暮れに訪れた自分の故郷-東京・中野の話です。

夕方に訪れたので、昨日アップした
実際に住んでいた場所の近辺をゆっくり見る間もなく、
早々に引き上げましたが、
最後に北口の商店街の終点近辺に広がる、
路地飲屋街がどうなっているかも見ておこうと思い、
ちょっと立ち寄りました。

中野駅の北口は、
正面にサンモールというアーケード街と、
それに続くようにブロードウェイというショッピングビルがあって、
その通りに普通の商店が軒を連ねていますが、
その一本東寄りに平行した道があって、
この道は端から端までが殆ど飲食店です。
駅の近辺は通常の飲食店が多く、
北に行けば行くほど飲み屋からスナックと、
ディープな店になっていきますが、
その最北にあるのが45番街という、
新宿ゴールデン街の小型版のような路地飲屋街です。



入口の上の雨よけシートが落ちたまま、
植木置き場になって、終わっている店や、
ドアにグラフィティがかかれまっくって、
そのまま放置されている店、
ところどころ、
歯が抜けたように解体されて更地になっている所もあります。

この路地は中学校へ行く時の通り道でした。
朝、狭い路地を通過する際、
半開きになっていた扉越しに店内を盗み見た時の、
3人の女性が道側に足を向け、パンツ丸出しで爆睡していた光景は、
今でも脳裏にしっかり焼き付いています。

この45番街の直ぐ近くにある、
ワールド会館という、当時から気になっていたビルも、
まだそのまま残っていました。



要は幾つかのスナックがテナントで入っているビルなんですが、
子供心にはもっとも強烈に印象に残っている場所の1つです。



「故郷が廃墟」とはどういう事だろう?
その答えがあるはずもないと思いながら訪れた故郷、中野は、
意外と廃な街に変貌していました。
住んでいた場所の近辺の商店街は、
当時の記憶からすれば明らかに活気が無く、
寒々とした、どんよりした街になったな、というのが実感です。

それとは裏腹に、
どんよりしながらもそこにある建物や道などが、
30年以上前の記憶と殆ど変わっていなかったのも事実です。
高度経済成長期に幼少時代を過ごし、
東京は全て作り替えられて行くモノだという感覚が抜けない自分にとって、
このあまりのかわらなさは驚きでした。

そして、
なんの面影もないくらい変わってしまった方が、
いっそよかったんではないかという感情が、
自分の中にあることにも気が付きつつ、
どんよりとしながらも殆ど当時のまま残っていることが、
いろいろなことを思い出させてくれるのか
とも思ったりしました。

当時の感じでないなら、なくなってしまった方がいいのか、
当時と違っていても、形が残っていることの方がいいのか、
それはわかりませんが、
少なくとも幼少を過ごした場所というのは、
好き嫌いを別にして、
強烈に感情に訴えかけてくるものなんだということはわかりました。

廃墟ではないにせよ、
何十年も前と形は同じながらその空気感が全然違うという条件は、
軍艦島のそれともだぶらないわけでもないと思います。
残っていながら変わり過ぎた形の故郷への想いを語る、
軍艦島出身の方々の気持ちの一端に触れたような気がしました。



最後にブロードウェイの地下にある、
デイリーチコへ行ってみました。
巨大ソフトクリームとして、一時はメディアを賑わした店ですが、
その昔この店のソフトクリームはそんなに大きくなく、
メニューもバニラとオレンジとモカだけでした。
しかも単品注文だけだったので、
学校の帰りに友達と寄っては、
モカとオレンジの二段重ねをよく作ってもらっていましたが、
それがいつのまにか定番メニューになったのを思い出します。
いまで言うダブルですね。
しかし久しぶりに食べたモカオレンジは、
当時の味はしませんでした。


 
◆ 故郷が廃墟 中野徘徊 ◆
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故郷が廃墟・中野徘徊3

2006-12-05 08:10:24 | 東京 URBEX
軍艦島にかかわるようになってから時々気にかかる、
「故郷が廃墟」ということはどういうことか?
その答えがあるはずもないと思いながら、
去年の暮れに訪れた自分の故郷-東京・中野の話です。

住んでいた家の近くにあった公園。
幼少の頃、毎日の殆どの時間を過ごした、
神社の境内と一体化した小さな公園です。

夏は手打ち野球や水遊び、
冬にはビー玉やメンコをやって遊び、
時々くる飴細工や型抜きが楽しみだった場所です。



今思えば罰当たりな話ですが、
公園の中央にある神社の柵の中に入って、
よく遊びました。
ひどいときは屋根まで登ったり、
床下に入って遊んでもいました。
かろうじて神社は守られているようです。



公園エリアの端にある花壇。
嘗ては綺麗に手入れされ、
四季に色とりどりの花が咲いていた花壇は、
今は恐らく放置されているのでしょう。



公園のすぐ近くにある廃屋。
この建物は30年以上前にもあり、
そしてその時から既に廃墟然としていましたが、
今では完全に廃屋となっているようです。
そのあまりの変わらなさに、逆に驚きます。
 
◆ 故郷が廃墟 中野徘徊 ◆
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