黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京ノスタルジア:東上野

2008-04-25 03:17:13 | 東京 URBEX


昨日アップした建物のすぐ近くにあったコーヒーショップ。
ビルの形をしているものの、屋根は陸屋根ではなく、
銅張りの方形屋根(四角錐の形ですね)なので、
もう少し離れた所から撮影して、
屋根まで入れればよかったと思います。

Mapion


東京ノスタルジア:根津

2008-04-23 00:51:04 | 東京 URBEX


昨日アップした貸本屋さんから少し進んだ所にあった、
たぶんその昔、お茶屋さんの片隅でたばこも売っていたお店。

このお店もたばこの販売コーナーは出窓に造られ、
タイル貼りされています。
磨りガラスに印刷されたたばこの文字も、
右書文字のまま時は止まっていました。

Mapion

東京ノスタルジア:根津

2008-04-22 01:35:34 | 東京 URBEX


昨日に引き続き東京/根津のノスタルジア。
この物件はほぼ廃墟だと思うんですが、
なんとなく使っている気配もあるんで、
一応このカテゴリーにアップしておこうと思います。

1階左寄り以外全て木枠の窓。下半分がタイル張りの出窓。
ブリキの看板。そして貸本というお店の存在。
いい味だしています。

現在は根津とだけ呼ばれるこの界隈。
かつては付近を流れる川名にちなんで根津愛染町とよばれたそうですが、
なぜ藍染川かは、
巣鴨の染井を源流にしているから、
付近に染物屋が多く、川の色がいつも藍色だったから、
根津神社門前の遊女とはじめて逢う場所だからあいぞめ川、
と諸説あるそうです。

道ばたに立っていた由来板に書かれてあったのですが、
最近土地の由来を記した案内板をよくみかけます。
町のなりたちがわかって、とてもいいと思います。

Mapion


東京ノスタルジア:根津

2008-04-21 09:07:34 | 東京 URBEX


昨日から始めた東京ノスタルジア。
暫く飽きるまでアップしようと思います。

東京下町の北方、根津~千駄木~谷中といった地域には、
まだまだ沢山懐かしの風景が残っていています。
町の風景に限らず、
真ん中の家の雨戸の戸袋に施されたデザインなど、
目を楽しませてくれるものも沢山あります。

Mapion


東京ノスタルジア:浅草

2008-04-20 17:01:09 | 東京 URBEX
廃墟ではないけれど、懐かしい風景が残る場所。
撮りためた画像はいっぱいあるけど、ずっとHDの中においておくのも勿体ないし。。。
そうだ!新しいカテゴリーを作ってそこにアップしてしまおう。
とういうことで『東京ノスタルジア』
第1回は誰もが知ってる浅草。
画像が多いんで、はじめてのサムネ式。
なので画像はクリックすると拡大されます。

  

浅草演芸ホール(→Mapion
去年の10月に見に行った林家木久蔵、きくおのW襲名披露興行。
5年くらい前に林家一平ときくおのプリンス2人会を歓楽したことがあるが、
きくおはまだたどたどしく、頼りない感じだった。
あれから5年、その時の記憶しかなかったのでW襲名の話には驚いたが、
昼の部のトリを勤めたきくおは「いやぁ~ん、ばかぁ~ん」も板についた、
とても成長したきくお、いや木久蔵だった。



  

昼の部が終わって外に出ると、もう夕暮れ時。
初音小路の看板や花やしきのBeeタワーにも電気がともり、
いい感じに泥んで来ていた。
Beeタワーはいつからケーキのようなゴンドラになってしまったのか。
人工衛星塔時代の今にも落ちそうな球形の方が趣はあった。
そのまま浅草寺へ。お参りは忘れずに。



  

仲見世通りは相変わらずの人だかり。
この商店街は見るのは楽しいが、殆ど買い物をした記憶がない。
伝法院通りもいつのまにか綺麗になってしまっていた。



  

今半本店。浅草今半、今半別館へは行ったことがあるが、本店へ行くのははじめて。
老舗の貫禄は充分過ぎるくらい溢れているが、
蛍光灯の下でみる牛肉は青光りして、いささかおいしさ半減。
その後浅草をぶらぶら。
西東京では殆どお目にかかれなくなった、演歌レコード専門店。
たぶんCDよりカセットの方が沢山売っているんだろう。



  

雷門の前も沢山の人であふれかえっている。
最後は、学生時代から浅草へ来たら必ず行く神谷バーへ(→Mapion
煮こごりとシュウマイをつまみに、電気ブランのビール割りで。
浅草の夜は早く終わる。10時の閉店で店をでる。

(こんな日記風の記事がアップしてみたかった 


元町公園 #04

2008-04-15 21:40:06 | 東京 URBEX
コメントを頂くアナログさんから教えて頂いた、
文京区の元町公園→Mapion



公園南西の角には鷲の彫像がそびえています。
高さ30cmくらいなので聳えているというのも変ですが、
前回アップした構成主義っぽい壁面と同様の造りの柱の上に乗って、
毅然とした眼差しで睥睨している姿、
ともすればグリフィンとも見えるような堂々とした佇まいは、
聳えているという印象を受けます。







鷲は公園の外側を睥睨しているので、
公園の内部から見えるのは背中の部分です。
それから考えると、どうやらこの彫像は、
公園内から鑑賞する為に造られたものではなさそうです。
それよりは公園に入ろうとする外敵を見張っているような、
あるいは公園の南に広がる土地を眺めているような印象を受けます。
鷲の素性を知ろうと文京区役所に問い合わせましたが、
造園当時の資料がなく、その素性は不明だそうです。
区の説明では、推測の範囲をでないとしながら、
神田地区を見張っているのではないかということでした。
完成度が高いだけに、気になる鷲の彫像でした。







この日公園の桜は満開で、
昼過ぎから花見の席取りをする新人のサラリーマンがひとり、
巨大なブルーシートの隅でパソコンを叩いていました。

元町公園 #03

2008-04-13 14:23:48 | 東京 URBEX
コメントを頂くアナログさんから教えて頂いた、
文京区にある元町公園。
今日はパーゴラ(つる棚)です。



公園の正面入口から入って階段を登り、
つきあたった壁泉のところから両側にシンメトリーに分かれる階段を登ると、
そのどちら側にもつる棚があります。
それほど規模は大きくありませんが、
棚をささえる柱の上部には、
やはり厚みと丸みのあるシンプルでポッテリとした装飾がほどこされています。







つる棚のあるスペースの下部は、画像のような感じになっています。
全体的な壁面は、最初にアップした門柱や昨日アップしたカスケードなどと、
同様の素材で作られているようですが、
その上から薄く切り分けた大谷石っぽい石を貼付けています。
ところどころ剥落してしまっているようですが、
ランダムな長方形の板を縦横に幾何学的に貼付けたデザインは、
ロシアの構成主義を彷彿とし、
やはり1930年代らしさを強く感じます。
パーゴラはこの入口付近の2カ所とは別に、
奥の方にもう少し規模の大きいものが1つあります。







公園の奥には奇妙な形の滑り台もあります。
滑りが2つついた双頭の滑り台は、過去にも何度か記事でアップして来ましたが、
この滑り台のように滑りが左右に対象に開いている形ははじめてみます。
太く丸みのある縁取りは、他の施設と同じデザインで、
公園の統一性をより強調しています。

元町公園 #02

2008-04-12 02:38:14 | 東京 URBEX
コメントを頂いくアナログさんから教えて頂いた、
文京区にある元町公園。
今日は公園内で最も目を惹くカスケード(落水段)です。



公園のほぼ中央、左寄り(西寄り)にだけある4段カスケード。
曲線と直線だけで構成し、全体を滝状にすることなく、
中央部分だけに落水の溝を切って、周囲をツツジの花壇で囲んでいます。







階段を登り上から眺めてみると、
下からとはまた違った光景が広がります。
ふちを極度に厚くとり、角も過度に丸く仕上げ、
全体的にポッテリとした印象に仕上げているのが特徴的です。







落水段の頂上部を見てみると、
どうやら水飲み場の残り水が落ちる造りになっているようです。
今では園内の一部にホームレスの方が棲み、
水道も汚れ物を洗ったりに使われたりするのかと思いますが、
開園当時はそういったことは想像すべくもなく、
水飲場の水は水を飲むだけに使用するというモラルがあった時代だと思うので、
こういった造りも可能だったのかと思います。

元町公園 #01

2008-04-11 02:14:46 | 東京 URBEX
以前にアップした記事『戸山ヶ原逍遙 都立豊多摩病院跡』に、
沢山のコメントを頂いたアナログさんから教えて頂いた、
文京区の元町公園→Mapionをアップしようと思います。



関東大震災後の復興事業の一つとして考えられた、
学校と公園の一体型構想。
公園の北側には、現在は使われていない元町小学校が建ちます。
JR水道橋の駅前、外堀通り沿い、東京ドームのすぐ横にあるとは思えないくらい、
ある意味時空を超越した、凛とした空間が広がっています。







入口の門柱を見ると、開園昭和五年と書いてあります。
アナログさんに教えて頂いて、初めて元町公園の存在は知ったのですが、
調べてみると、
関東大震災後、この公園と学校の一体型の構想は、
都内各地で造られたようです。
先日別用があって訪れた錬成中学校と隣接する錬成公園も同じ造りで、
錬成公園の場合は昭和30年代に改修されてしまっているものの、
門柱には昭和五年築園とかいてあったので、
おそらく元町公園と同じ時に、同じ構想で造られたんだと思います。







正面入口の階段を登ると、突き当たりには壁泉があります。
壁から水が湧き出る構造ですね。
文京区のサイトにアップされている公園の説明には、
至る所に「イタリア・ルネサンス式庭園を模した」と解説されているものの、
入口や壁泉をはじめ、園内のどこを見てもルネサンスのルの字も感じませんが、
それはさておき、
ポスト大正デモクラシーの時代を反映するような、まさに1930年どっぷりのデザインは、
とても美しいと思います。
この時代のデザインには、例えば漆塗りのような日本的な美しさを感じることがありますが、
この公園も、その間の取り方やバランスに、
そういった日本的な感覚を凄く感じます。


配送センター

2008-01-22 14:29:10 | 東京 URBEX
以前アップした記事『戸山ヶ原逍遙 都立豊多摩病院跡』に、
沢山の書き込みを頂く筆無精さんのコメントの中に、
西新宿にある百貨店の配送センターが解体されたというお話があったので、
以前撮影した、北新宿界隈にあった配送センターをアップしようと思いました。



これが筆無精さんのおっしゃる配送センターかどうかはわかりませんが、
右奥の建物の屋上を見れば、
この建物が西新宿の百貨店関連の建物だということはわかります。



配送センターといえば、
かつて学生の頃、月島にある発送代行センター、
通称<発代>で仕事したのを思い出します。
ひがな一日、回ってくる伝票に書かれた商品を棚からとって来て、
梱包し、伝票を貼って、レーンへ流し込むだけの繰り返し。
単純作業なので、だんだん麻痺してくるんですが、
それが落とし穴。
気がつくと香典返しの包装も、通常と同じ向きで包装してしまいます。
ちなみに香典返しの場合、包装する紙の向きが、
通常の包装と逆になるのも、この時知りました。
おかげで今でも、全包装と呼ばれる、
キャラメル包みではない包装ができます。
(だからといってなんの役にもたたないんですが)



当然上司は社員でしたが、
普通じゃない労働環境や、
埋め立て地の果てという印象がオーバーラップして、
なんかいわくありげで島流しになった人たちのような、
そんな感じで受け止めていたのを思い出します。


大勝軒、その後

2007-12-11 03:36:27 | 東京 URBEX


画像は今年のはじめ頃撮影した東池袋です。
建物一階の左は、今年の3月20日に閉店した、
つけ麺の元祖ともいわれる大勝軒東池袋店。
閉店の一週間後くらいに訪れた時のものですが、
ラ~メン好きの人たちの間ではカリスマ的人気があったと言うお店が、
閉店して1週間とはとても思えない光景。
どうみても5年10年放置系です。

新宿のような大規模なものではないにせよ、
東池袋も現在再開発のまっただ中のようです。
大勝軒に限らず周囲に建つ木造アパートは、
軒並み最後の時を待つように、静かに佇んでいました。
それは新宿同様、サンシャインシティの麓とは思えない、
やはり時が止まった一角でしたが、
恐らくここを最後に訪れた時にはすでに解体用の足場が組まれ始まっていたので、
今頃は綺麗な更地になっているのではないでしょうか。


日比谷公園 2

2007-07-15 00:12:27 | 東京 URBEX
皇居の南に隣接する日比谷公園。
日本初の洋式庭園というだけあって、
園内には時間の時間の堆積からこぼれ落ちたほころびが、
随所に見られます。



馬の水飲み。
明治三十六年 (1903) 、公園開設当時に設置された鋳造製の水飲み。

馬がまだ交通手段の主力だった時代、
街の至る所に馬用の水飲み場があったようで、
新宿駅の駅前にも、
イギリスから贈られた馬の水飲み場が今でも残って、
馬や犬猫用と人用の、2ヶ所の飲み口が付いています。







木立の奥には、人用の水飲み場もあります。
これも開園当時のものでしょうか。
土台の上に載る、バウムクーヘンを切ったようなモノは、
子供用の台座だと思います。

馬用、人用、いずれも既に水はでません。







日比谷公園といえば松本楼のカレー。
9月25日の10円カレーは有名ですが、
特別美味しいわけではないのに、
ここへ行くと何故か頼んでしまいます。

日比谷公園 1

2007-07-14 05:19:44 | 東京 URBEX
めったに行かない東東京。
ここのところ三信ビルからアップアップしはじめたので、
しばらく東東京、というより皇居周りをアップしようと思います。
先一昨日にアップした三信ビルは、
国内初の洋式庭園~日比谷公園~の真横にありますが、
日比谷公園もなかなか味のある公園です。



日比谷見附跡。
江戸城外郭門の一つの遺構。
石垣の右側はかつて濠があったそうですが、
今は池があります。
日比谷公園造園の際に面影を残す為に作った池だそうです。







ペリカン池とか名前がついてるんでしょうか。
新宿御苑の熱帯植物園にある池もそうですが、
年季の入った公園にある池は、
やわらかくささくれだったような、
独特な気を発している気がします。







旧日比谷公園事務所。
明治四十三年 (1910) 竣工。
内部は資料館として改装されているものの、
外観はほぼ当時のままだそうです。
といわれてもただのペンションにしか見えませんが、
三信ビルや昨日アップした片倉工業より古い、
「貴重な」近代建築には違いないんでしょう。


河口をゆく 7

2007-05-22 05:07:24 | 東京 URBEX


昨日までアップして来たブルー・ヴィレッジの木立ちを、
上流方面へ抜けると、一面の原っぱが広がります。
すぐ隣り合わせなのに、
ブルー・ヴィレッジの雰囲気とは全く違う、
抜けのいい世界が広がります。






以前、別の川の河口を散策した時、干上がった両岸に、
沢山のポリバケツやライターや空き缶、空き瓶など、
都市生活の残骸が流れ着いて、
散乱している光景を見た事があります。

この川の河口もまた、都市生活から流れ出した人が、
最後に行き着く場所なのかもしれません。

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