黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #05 丸山遊郭跡3

2009-04-13 05:06:19 | 長崎さるく
かつて日本三大遊郭のひとつとも言われた長崎の丸山遊郭。
昨日の記事で、遊郭エリアのほぼ南端まで行ったので、
今日は折り返して、北へくだることにします。
2つ前の記事で丸山がただ「山」と呼ばれたことはアップしましたが、
これは丸山の土地が南へ向かって緩やかな上り坂になっているからだそうです。
2つ前の記事にアップした二重門は北の端の一番低い所にあるので「山の口」。
そして南の端は「山頭」と呼ばれたそです。



その地名の名残を今に伝える「山頭温泉」> Mapion
温泉と言っても銭湯のようですが、
ウェブ上で見る限り現役の様子。
しかも店内は木製のロッカーがあるなど、
とてもレトロな雰囲気なので、
次回は是非営業時間に訪れてみたいものです。



山頭温泉から少し下ると、
遊郭の建物を今に伝える数少ない「三島屋」があります。
このへんかな
いまではアパート的に使われているようですが、
周囲から浮いて、圧倒的な存在感があります。



玄関の破風下の装飾を見るだけでも、
ランプの取り付け金具や奥の細かい欄間など、
かなり凝っているのがわかります。





2階を見ても、濡れ縁の手摺の端の処理や、
丸窓の装飾、ガラス窓の細工等、
相当手がこんでますね。
かつて多くの人がこの手摺に肩肘をかけて、
団扇をあおぎながら道行く花魁などを眺めていたんでしょうか。
ちなみに前回の記事で最後にアップしたかつての塀の跡は、
この三島屋の裏手にあたります。



三島屋からまた少し下ると、よこづな屋跡があります。
これは何屋さんだったんでしょうか。
軍配とまわしのデザインがたしかに相撲ではあるけど。

知識と教養を持ち合わせた太夫や花魁などが、
裕福な町人、武家や公家などを客にとって発展しながら、
数多くの文化を発信した遊郭。
さらに丸山では、その土地柄オランダ人や唐人の客も多く、
相当国際色豊かな場所だったことが想像出来ます。
沢山の言語が飛交う場所は、
結局今の日本のどこにもありません。
それだけ丸山や長崎が、
特殊な場所だったということかもしれませんね。

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長崎さるく #04 丸山遊郭跡2

2009-04-11 22:24:23 | 長崎さるく
昨日アップした料亭花月。
その正面の道を挟んだ向かいに、
「えご」と呼ばれる排水路とも小川ともいえる小さな水流があります。
道からはよく見えないのですが、
石底を打つ水の音は、道からも聴こえます。
Mapion



画像の手前側はすでに川底が壊れていますが、
奥の方を見ると台形に作られた人口の川底がわかります。
長崎には三角溝など人工的に作られた水流がありますが、
これもまたそういった昔ながらの開渠ですね。
この場所に限らず、丸山には何カ所か、
開渠になっているところがあります。



花月のすぐ近くには、
「長崎検番」と呼ばれた、花街の取締所が残っています。> Mapion
いまでも公民館的に使われているのでしょうか。
ところどころ修築はされているものの、
当時の雰囲気を今に伝える貴重な建物じゃないでしょうか。



検番の路地を入ると緩やかな坂が続き、
道の片側には当時の面影を残す建物が並んでいます。
画像の建物は待ち合いの施設とかだったんでしょうか。
現在では一般の民家として使用されている様ですが、
この格子窓はどうみてもただものじゃないですね。



遊郭は「郭」というだけあって、塀で囲われていたんですね。
今でも数カ所、その塀が残っているところがあります。
Mapion
画像はとても奇麗なんで、後年相当修復されたものかと思いますが、
こうして実際に囲われていた塀を見ると、
やはり特別な場所だったんだな~と思います。



こちらの塀は年季が入っているので、
当時の姿をけっこうとどめているんじゃないでしょうか。
Mapion
かつてこの塀の中に沢山の花魁や大夫が闊歩していたのかと思うと、
くらくらします。

◆追記◆ FEB.14, 2009
上記「長崎検番」ですが、かつて呼ばれたのではなく、
現在も「長崎検番」として機能していました。
もともとは妓樓・松月楼だった建物。
花街の取締所ではなく、芸妓さんの手配所のような所だったようです。
昭和33年 (1958) の売春禁止法の成立で、
花街の衰退とともに芸妓さんも少なくなりますが、
それでも炭鉱の好景気の時期には賑わったそうです。

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長崎さるく #03 丸山遊郭跡1

2009-04-10 03:07:41 | 長崎さるく
日本三大遊郭だった丸山へ
行こうか行くまいか迷った場所に由来する長崎の思案橋。
長崎に宿泊する時は、たいがい新地界隈(→Mapion)が多いので、
この思案橋まではよく行ってましたが、
その先の丸山は今回初めて行きました。

江戸の吉原、京の島原とともに、
日本三大遊郭のひとつと言われた丸山。
市内に散在していた遊郭を1600年代の中頃に一カ所に集めたのが
丸山花街のはじまり。
全盛期の元禄時代には1,443人の遊女がいたそうです。



遊郭は塀で囲われ、入口には「二重門」と呼ばれる門があったそうです。
その位置に建つ現在のモニュメント。





門の正面には「思切橋」という橋の欄干の名残が残っています。→Mapion
思案橋で迷いを断ち切り、更に思切橋で最後に思い切って、
丸山へ行った場所、ということにちなんで付けられた名だそうです。
丸山へ行く、ということは、相当勇気がいることだったんでしょうかね。




画像はその思切橋の近くにあった解説板の写真。
明治に入ってからのものだそうですが、
丸山の遊女御用達の店が軒を連ねていたそうです。
左に写るたび屋さんの軒先に「山ノ口たび」と書いてあります。
丸山は「山」と呼ばれたそうです。
その入口にあるので山ノ口なんですね。



史跡にもなっている料亭「花月」→Mapion
最も古い遊郭「引田屋」の庭園にあった茶室を料亭とし、
現在でも営業している珍しい建物。
明治の大火や原爆にも壊れる事なく、
現在まで当時の姿を伝えているそうです。

門柱に日の丸模様の提灯が下げられていますが、
この日花月では婚礼が執り行われているため、
普段とはちがう装飾になっていたそうです。
おかげで予約もできず中へ入れなかったのは残念。
次回は是非事前に予約して行こうと思います。



花月の玄関。見るからに老舗のオーラが出てますね。
幕末には勝海舟や坂本龍馬、高杉晋作なども通ったという花月。
大広間の柱には坂本龍馬の刀傷が残るなど、
つかみも欠かさない、鉄壁な観光料亭ですね。



門をくぐって玄関までの中庭にあった、
「竜吐水」(りゅうどすい)と呼ばれる消防ポンプの元祖。
1700年代にオランダから輸入されたとも、
またオランダ人技師の指導のもと、長崎で造られたとも言われる、
この手動ポンプは、しかし殆ど消火能力がなく、
纏持ちを守るのが主な用途だったようです。

画像のものは慶応年間に造られたオリジナルだそうなんで、
百年は造り続けられたことになりますね。
全く役に立たないものだったら、百年も造り続けないと思うので、
消火は別としても、結構活躍したんじゃないかと思ったり。

次回も丸山です。

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長崎さるく #02 思案橋

2009-04-08 22:54:49 | 長崎さるく
昨日からアップしている、長崎ひとりさるく。
今日は、前回の記事の最後にアップした、
船大工町から右に曲がって、思案橋界隈です。

思案橋とは『軍艦島全景』にも書きましたが、
その北側一帯に広がっていた日本三大遊郭のひとつ、
丸山遊郭へ行こうか行くまいか思案した橋、
ということから名付けられた橋だそうです。



今では川は暗渠になり、
欄干のレプリカが、かつて橋があった事を物語るだけです。

思案橋界隈は歓楽街を形成しているので、
四方を飲食店が取り囲んでますが、
中でも気になるのは路面電車の思案橋駅から、
国道324号線沿いに東へ進んだ通り沿いです。
Mapion



この通り沿いの建物は、その殆どが木造3階建てで、
しかもその3階の造りが、
しっかりと1階分の高さをとって造られた3階建てでない事です。







商店街の組合の建物でしょうか。
1階は共同トイレなものの、
この建物なんかは完全に3階建てです。







Mapionをご覧になるとわかると思いますが、
324号線に沿って一本入った路地にも、
同様に、ニセ3階建ての建物がひしめきます。

さて、この建物の形。
多くの方が似た様な建物をご存知かと思いますが、
私が思い出すのは新宿ゴールデン街の建物群です。
赤線の時代、2階までを通常の営業スペースとし、
3階を隠し部屋と使用していた時代の造りです。

思案橋商店街のこれらの建物がどういう経緯を辿って、
現在に至っているかはわかりませんが、
もしかしたらこれらの建物も同様の目的で、
使われていた時代があったんではないでしょうか。
もしご存知の方がいらっしゃったら、
教えて頂ければと思います。



最後は、
商店街のはずれにあったカメラ屋さんの軒先で、
思案に耽る猫です。

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長崎さるく #01 銅座川

2009-04-07 04:35:01 | 長崎さるく
昨年末オープロジェクトで発表した、
DVD『軍艦島オデッセイ -廿世紀未来島を歩く-』と、
ビジュアル書籍『軍艦島全景 gunkanjima odyssey archives』
の制作と、そのために蓋をしていた仕事が堰を切って押し寄せてきて、
身動きがとれなかった約半年。
この記事の前の記事までアップしていた『廃墟のすゝめ』も、
もうその後なにを書こうかもわすれてしまったんで、
とりあえずおいとくとして、
しばらく長崎をアップしようと思います。

思えば長崎には軍艦島の取材でもう何十回と行っているにもかかわらず、
常に島関係の取材ばかりで、市内をゆっくり見た事が殆どありません。
先月の中旬に「軍艦島コンシェルジュ」の講師で長崎に行った際、
けっこう市内で過ごす時間があり、初めて長崎を見る事ができました。
東京で言えば東京タワーや浅草寺をみたような感じかもしれませんが、
興味のある方はおつきあいください。

宿泊したのが中華街のすぐ近くだったので、
とりあえずその近辺をみることにしました。



銅座川。> Mapion
その昔は長崎湾へ注いでいたんではないかと思われる運河川は、
いまでは両端が暗渠になり、
ほんの短い区間だけ開渠になっています。







川に張出して作られた建物は惹かれるものがあります。







暗渠のはずれにはこんな光景も残っています。
木造の建物に木造のベランダ。
電球がない街灯のランプシェード。







川沿いには一杯飲み屋系の店が軒を連ねていますが、
中にはこういったトタン長屋の建物もあります。







銅座川から少し北へ進むと、
船大工町というところへ出ます。> Mapion
現在では相当内陸ですが、出島が本当に出島だった時代には、
船を造っていた工場があったのでしょうか。

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シリーズ:長崎さるく INDEX

2004-01-02 00:00:00 | 長崎さるく
2009年4月からアップしている「長崎さるく」シリーズのINDEXです。

◇長崎と原爆◇
#28 平和公園

◇長崎と炭鉱◇
#34 伊王島炭鉱跡 #35 伊王島
#38 北渓井坑跡 #39 高島炭鉱跡1 #40 高島炭鉱跡2 #41 高島炭鉱跡3
#42 蛎瀬銀座跡 #43 高島本町地区 #44 高島のまとめ
#45 軍艦島見学リポート1 #46 軍艦島見学リポート2
<関連記事>高島:石炭資料館 高島:旧堤防跡 高島:西浜プール跡
      特集:中ノ島探索記

◇長崎とヨーロッパ◇
#24 出島1 #25 出島2 #26 グラバー園 #37 グラバー別邸
#54 小菅修船場跡1 #55 小菅修船場跡2 #56 小菅修船場跡3
#57 小菅修船場跡4 #58 小菅修船場跡5 #59 蒟蒻煉瓦
#60 三菱重工長崎造船所史料館1 #61 三菱重工長崎造船所史料館2 

◇長崎とキリスト教◇
#29 浦上天主堂 #30 大浦天主堂 #31 長崎のキリスト教関連施設
#32 二十六聖人/中町教会 #33 馬込教会聖ミカエル天主堂 #36 高島教会

◇長崎と中国◇
#08 唐人屋敷跡1 #09 唐人屋敷跡2 #10 唐人屋敷跡3
#11 宗福寺1 #12 宗福寺2 #13 聖福寺1 #14 聖福寺2 #27 孔子廟
#62 崇福寺・蘭盆勝会

◇長崎と遊郭◇
#03 丸山遊郭跡1 #04 丸山遊郭跡2 #05 丸山遊郭跡3 #06 丸山遊郭跡4
#21 夜の丸山遊郭跡 #22 花月 #23 戸町遊郭跡

◇長崎の街◇
#01 銅座川 #50 大浦川 #02 思案橋 #07 大徳寺跡 
#17 駅前の運河 #18 大黒市場 #19 恵比寿市場 #20 市場内
#51 街で気になった光景 #52 建物随想 #63 長崎の猫
#64 長崎の街、あれこれ

◇長崎の食◇
#47 カステラ #48 ちゃんぽん #49 トルコライス #65 長崎の食、あれこれ

◇長崎さるく まとめ◇
#15 まとめ #16 最後に夜など…
#53 長崎さるく まとめ2