かつて日本三大遊郭のひとつとも言われた長崎の丸山遊郭。
昨日の記事で、遊郭エリアのほぼ南端まで行ったので、
今日は折り返して、北へくだることにします。
2つ前の記事で丸山がただ「山」と呼ばれたことはアップしましたが、
これは丸山の土地が南へ向かって緩やかな上り坂になっているからだそうです。
2つ前の記事にアップした二重門は北の端の一番低い所にあるので「山の口」。
そして南の端は「山頭」と呼ばれたそです。
その地名の名残を今に伝える「山頭温泉」> Mapion
温泉と言っても銭湯のようですが、
ウェブ上で見る限り現役の様子。
しかも店内は木製のロッカーがあるなど、
とてもレトロな雰囲気なので、
次回は是非営業時間に訪れてみたいものです。
山頭温泉から少し下ると、
遊郭の建物を今に伝える数少ない「三島屋」があります。
> このへんかな
いまではアパート的に使われているようですが、
周囲から浮いて、圧倒的な存在感があります。
玄関の破風下の装飾を見るだけでも、
ランプの取り付け金具や奥の細かい欄間など、
かなり凝っているのがわかります。
2階を見ても、濡れ縁の手摺の端の処理や、
丸窓の装飾、ガラス窓の細工等、
相当手がこんでますね。
かつて多くの人がこの手摺に肩肘をかけて、
団扇をあおぎながら道行く花魁などを眺めていたんでしょうか。
ちなみに前回の記事で最後にアップしたかつての塀の跡は、
この三島屋の裏手にあたります。
三島屋からまた少し下ると、よこづな屋跡があります。
これは何屋さんだったんでしょうか。
軍配とまわしのデザインがたしかに相撲ではあるけど。
知識と教養を持ち合わせた太夫や花魁などが、
裕福な町人、武家や公家などを客にとって発展しながら、
数多くの文化を発信した遊郭。
さらに丸山では、その土地柄オランダ人や唐人の客も多く、
相当国際色豊かな場所だったことが想像出来ます。
沢山の言語が飛交う場所は、
結局今の日本のどこにもありません。
それだけ丸山や長崎が、
特殊な場所だったということかもしれませんね。
■シリーズ:長崎さるく■
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昨日の記事で、遊郭エリアのほぼ南端まで行ったので、
今日は折り返して、北へくだることにします。
2つ前の記事で丸山がただ「山」と呼ばれたことはアップしましたが、
これは丸山の土地が南へ向かって緩やかな上り坂になっているからだそうです。
2つ前の記事にアップした二重門は北の端の一番低い所にあるので「山の口」。
そして南の端は「山頭」と呼ばれたそです。
その地名の名残を今に伝える「山頭温泉」> Mapion
温泉と言っても銭湯のようですが、
ウェブ上で見る限り現役の様子。
しかも店内は木製のロッカーがあるなど、
とてもレトロな雰囲気なので、
次回は是非営業時間に訪れてみたいものです。
山頭温泉から少し下ると、
遊郭の建物を今に伝える数少ない「三島屋」があります。
> このへんかな
いまではアパート的に使われているようですが、
周囲から浮いて、圧倒的な存在感があります。
玄関の破風下の装飾を見るだけでも、
ランプの取り付け金具や奥の細かい欄間など、
かなり凝っているのがわかります。
2階を見ても、濡れ縁の手摺の端の処理や、
丸窓の装飾、ガラス窓の細工等、
相当手がこんでますね。
かつて多くの人がこの手摺に肩肘をかけて、
団扇をあおぎながら道行く花魁などを眺めていたんでしょうか。
ちなみに前回の記事で最後にアップしたかつての塀の跡は、
この三島屋の裏手にあたります。
三島屋からまた少し下ると、よこづな屋跡があります。
これは何屋さんだったんでしょうか。
軍配とまわしのデザインがたしかに相撲ではあるけど。
知識と教養を持ち合わせた太夫や花魁などが、
裕福な町人、武家や公家などを客にとって発展しながら、
数多くの文化を発信した遊郭。
さらに丸山では、その土地柄オランダ人や唐人の客も多く、
相当国際色豊かな場所だったことが想像出来ます。
沢山の言語が飛交う場所は、
結局今の日本のどこにもありません。
それだけ丸山や長崎が、
特殊な場所だったということかもしれませんね。
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