黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京暗渠:神田川支流 #38

2006-07-02 08:04:03 | ・東京暗渠
…∽ 代田支川 3 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日アップした沖縄タウンのある和泉明店街を越えて、
暗渠道はまだ西へ続いています。
この代田水路に入ってからは、
渋谷区を出て隣の杉並区を進んでいますが、
もともと橋があった場所にある車両侵入禁止用の柵が、
新宿や渋谷と違い、けっこう真新しい金属パイプに変わっています。→Mapion



さらに水路跡の道幅は狭くなり、
暗渠特有のちょっと湿度があって植物が無造作に繁殖した、
打ち捨てられた雰囲気になってきます。
すでに使われなくなて取り壊したものの、
そのまま放置されて錆び付いた井戸ポンプや、
いい具合に壊れかけの物置きがあります。→Mapion



やがて水路跡は小さな十字路へでますが、
その先に続く道は急に広くなり、マンホールも激減し、
それまでの暗渠道とは全然違う雰囲気になってしまいます。
神田川支流が昭和39年 (1964) の東京オリンピックの時に、
全流域暗渠化された事は以前の記事でふれましたが、
昭和40年 (1965) のゼンリン住宅地図をみると、
この代田の水路はまだ開渠だったようです。
しっかりと川が記され、
道と交差するところには全て橋のマークが記されていますが、
その時代の地図も水路はこの場所で終わっています。→Mapion



画像左側の止まれが書いてある道が水路跡の延長上にある道で、
右の少し広めの道が、水路に終止符を打つ交差道です。
角には時代を感じる複合商店があります。
殆ど終わってますが、
建物のまん中のシャッターが開いているところを覗くと、
昼なお暗い建物の中で八百屋さんが営業しているようです。

代田の水路跡はこれでおしまいですが、
しかしこの付近は東京の水道に関連する、
重要な施設が密集している土地でもあります。
すぐ北には玉川上水新水路の跡地と思われる公園があり、→Mapion
その西の延長線上には真新しいタンクが並ぶ、
和泉水圧調整所があります。→Mapion
また水路の最終地点を南下して甲州街道と京王線を越えると、
和田堀給水所もあります→Mapion
これらの水施設と水路がどう関係するかはわかりませんが、
杉並区、渋谷区、世田谷区の3区が交わる区境は、
旧玉川上水も含めて、深く水に関わってる土地なんですね。

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東京暗渠:神田川支流 #37

2006-07-01 10:29:09 | ・東京暗渠
…∽ 代田支川 2 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日からアップしている、代田支川の流域には、
もはや橋は一つも残っていませんが、
昭和40年のゼンリンの住宅地図を見ると、
水路と道が交差する殆どの場所に橋のマークがあるので、
かつてはこの流域にも沢山の橋があったのだと思います。

きわめて細い代田水路をしばらく進むと、
やがてこじんまりとした商店街へ出ました。
和泉明店街という、
「名店街」ではなく「明店街」になっている商店街です。→Mapion



神田川支流の特集では、
その流域に残る小さな商店街をいくつか取り上げてきましたが、
この商店街は、規模は小さいながら、
なかなか繁盛してそうな商店街でした。
ただ、ちょっと不思議なのは、
至る所に「沖縄」や「石垣」ののぼりがあることです。



沖縄は好きなところなので、
画像左の北陸屋さんの手前にでてる赤い看板の、
沖縄タウンの文字に誘われて、ふらふらと中へ入ってみました。
中には、沖縄の物産店、沖縄食堂、
そして沖縄の三味線、三線(さんしん)の専門店が軒を連ねています。



物産店の店先に売られていた、
「かまぼこおにぎり」というのが気になって食べてみました。
古代米を混ぜたおこわを沖縄産の蒲鉾でくるんだ丸い形の食べ物ですが、
これがけっこういけます。
ついつい2つ、3つと頼んで店先で食べながら、
店の人と話し込んでしまいました。

商店街に沖縄ののぼりが沢山あるのは、
区の補助による商店街活性化のキーワードを
沖縄にした結果だそうですが、
そのお陰で、終わりかけだった商店街に活気が戻ったということです。
神田川支流の特集の最初のころに取り上げた
みのり商店街のことを思い出しました。
同じ位の規模の商店街でもアイデア一つで随分違うものだとも思いますが、
そこにはアイデアだけではない、地の利とか気の流れといった、
様々な要素が複雑にからんでの結果なのかとも思いました。

沖縄といえば、ちょっと宣伝になってしまいますが、
最近沖縄出身の歌手、普天間かおりさんの曲をお手伝いしました。
もうオンエアは終わってしまいましたが、
テレビ東京『美の巨人』の1月~3月エンディングテーマ、
『花星賛歌』を含むアルバム『Monsoon』の中の3曲に、
アレンジとプロデュースで参加させてもらいました。
本人の意向で曲はそれほど沖縄色は強くありませんが、
それでも一声聞けば「あぁ~、沖縄ぁ~」です。
もし沖縄に興味のある方は、一度聞かれてはいかがでしょうか。

ところでこの普天間かおりさん、
出身は沖縄の中城なんです!
中城と言えば・・・
(この記事へ廃墟のキーワードで来た方はご存知かと思いますが)
と思って話をしてみましたが、
話がはずむわけもなく、、、

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東京暗渠:神田川支流 #36

2006-06-30 14:49:38 | ・東京暗渠
…∽ 代田支川 1 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日、一昨日とアップした北水路を含め、
3日前にアップした本水路と北水路の分岐点 (→Mapion) で、
一応まっすぐつながる神田川支流の水路は終わりですが、
この分岐点は同時に、周囲の幾つかの水流が集まる場所でもありました。
これからはこの分岐点へ集まってきていた、
いくつかの水系に関して順にアップしていこうと思います。

分岐点付近には南から2つの支川が流れ込んでいましたが、
そのうちのひとつ、
ちょうど渋谷区と杉並区の区界を流れていた水路に向かって、
代田地域から流れ込んでいた水路がありました。→Mapion



画像はMapionでマークした位置から東に向かっての光景です。
中央にみえる赤い小屋が、
渋谷区と杉並区の区界を流れていた水路との合流地点、
左側の石塀が、嘗ての水路を囲っていた低い護岸跡、
護岸途中の切れ目が、
左側を平行して流れていた玉川上水新水路の土手から降りてくる階段で、
これはMapionにも記されています。

水路跡を遡るとすぐに環状七号線に突き当たり、
道を渡った先から細い水路は西へ延びています。→Mapion



この水路は極めて細いながら、
設置された大量のマンホールに驚かされます。→Mapion



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東京暗渠:神田川支流 #35

2006-06-29 03:26:03 | ・東京暗渠
…∽ 神 橋 ∽… 昭和4年 (1929) 竣工

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

神田川支流の本流に平行して流れる北水路の中で、
唯一現存する橋跡が神橋です。→Mapion



欄干はなく四隅の親柱だけが残っていますが、
それぞれに漢字とひらがなの橋名、
そして竣工年が彫り込まれています。
この特集の最初の頃にアップした柳橋榎橋同様、
親柱に直接橋名を掘り込むのは、
大正から昭和初期にかけての橋に共通する作りですが、
この神橋は、さらに赤い着色がいまも残っています。



流暢な書体は、数ある橋の中でも、
群を抜いて綺麗な書体です。
上流側の親柱は殆ど民家の敷地と一体化していますが、
かろうじてひらがなの橋名も読み取れます。



たまたまこの民家の方が外にいたので、川の話を聞いてみましたが、
やはり川の名前は特になく、
埋められる前はただのどぶ川だったそうです。
また親柱の撤去にはかなりの費用がかかるので、
結局そのまま残しているという話でした。
これまで見てきた橋が撤去されていないのは、
実は保存しているのではなく、
単に撤去費用の問題だったのかもしれません。

神橋以降ずっと続く北水路は、
きわめて普通の住宅街の裏道のような雰囲気が続き、
あまり面白みはなく、
やがて一昨日アップした本流の最後の頃の、
川筋がくの字に曲がる地点で合流します。
合流地点の直前に、
かつてそのたもとにあったケヤキの木に因んだ、
欅橋があったそうですが、
今では橋の形はなく、ただ侵入防止の柵があるだけです。→Mapion



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東京暗渠:神田川支流 #34

2006-06-28 04:54:13 | ・東京暗渠
…∽ 北水路 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

神田川支流には、
これまでアップしてきた本流や幾つかの分流の他に、
本流と平行して流れる北水路がありました。
昨日アップした、川筋が小さく折れ曲がるあたりから分かれて、
以前アップした地蔵橋のあたりで合流する北水路。
現在も本流同様、所々寸断されながらの暗渠道ですが、
現存する橋は1つ、水路も本流よりはるかに狭く、
暗渠沿いの街並も面白みがないので、
軽くアップする程度にします。

地蔵橋から北へ進んで最初の橋、
千歳橋があったと『渋谷区の川』に書かれているあたりには、
錆び付いたシャッターがいい感じの、終わりかけの店舗があるだけで、
橋の面影はまったくありません。→Mapion



千歳橋の更に少し北へ進んだあたりから西へ曲がって、→Mapion
北水路は流れていたようです。
以前の記事で触れた氷川橋から氷川神社へ行く途中には、
新氷川橋があったそうですが、
影も形もありません。→Mapion

本流に比べて道に段差がなく、
道の両脇に川筋跡の痕跡が殆ど残っていないのが、
北水路の特徴です。
時々車道に合流して姿を隠します。→Mapion



『渋谷区の橋』に中ノ橋があったと書かれている場所にも、
やっぱり橋の面影はまったくなく、
ただ昼でも薄暗い細い暗渠があるだけです。→Mapion



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東京暗渠:神田川支流 #33

2006-06-27 02:31:09 | ・東京暗渠
…∽ 堺 橋 ∽… 昭和28年 (1953) 竣工

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

杉並区の方南と渋谷区の笹塚の境近くにあることからその名がついた、
堺橋です。→Mapion



昭和初期の頃には「境橋」の漢字が当てられていた、
片側の半分だけ残っている橋です。
画像で欄干にヘビのように巻き付いてるのは、
バイク用の太いチェーンロックでしょうか。
この暗渠沿いの橋のたもとは、
その多くがバイク置き場に使われています。

川筋はますます狭くなり、
やがてほぼ最終地点と思われる場所へ辿り着きます。→Mapion



道の左の石積みは、
川だったときの名残でしょうか。

このくの字形に曲がった地点の直ぐ先から
西へ伸びる暗渠は、Mapionには記されていませんが、
実際はまだ西へ伸びています。
『渋谷区の橋』によると、
その先はやがて代田大原地区の湧き水に繋がり、
そこがこの神田川支流の源流の一つのように記されていますが、
しばらく行った地点で清掃事務所につきあたり、
その先は途切れてしまいます。→Mapion



画像下の黒い道が、川筋の途切れる最終地点、
目の前にたちはだかる塀が清掃事務所のもので、
煉瓦敷きの坂道を左へ行くとすぐに東京水道通りに出ます。
その先の泉南交差点付近から、
再び暗渠らしき道がありますが、
手元の資料が渋谷区内で終わっているので、
その先の川筋は現時点ではわからず、
とりあえずこの場所で一つの源流を終わりにしようと思います。

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東京暗渠:神田川支流 #32

2006-06-26 07:01:35 | ・東京暗渠
…∽ 新十二号橋界隈 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

富士見ヶ丘高校で一旦分断された暗渠は、
敷地の西端から再びあらわれます。→Mapion

暗渠道はどんどん狭くなり、
最初の頃の新宿区内の道幅の1/2~1/3位になっています。
かつて川が流れていた時の小さな堤防と思われる低い塀も、
いまでは会社の敷地の中等にとりこまれています。→Mapion



低い塀に設置された土管は、
かつて下水を川筋へ流していたものだと思いますが、
口の下に太いビニール管があるのは、
暗渠化した時に、同時に設置したものでしょう。

しばらく進むと、
東京水道通りの土手の下へと繋がります。
この特集で何度か取り上げてきた東京水道通りですが、
神田川支流の本流がこの道に突き当たるのは、
これが初めてです。→Mapion



この川筋の殆どが、
その昔は完全な川だったかもしれませんが、
やがて川の両岸を低いコンクリで固め、
川の上には等間隔にコンクリの柱が渡された構造に、
作り替えられていたんではないかと思います。

しばらく水道通りの土手と平行して流れていたようですが、
その時代のなごりと思われる低い堤防が残っています。

『渋谷区の橋』をみると、
かつてこの近辺に新十二号橋があったようですが、
現在では影も形もありません。

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東京暗渠:神田川支流 #31

2006-06-25 09:01:28 | ・東京暗渠
…∽ 一の字橋 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

京王線笹塚駅から北上する、
十号通り商店街を横断していた神田川支流には、
一の字橋という橋がかかっていたそうですが、
いまでは全く痕跡もありません。→Mapion



十号通りという変な名称は、以前にアップした新道橋の記事で触れたように、
すぐ近くを流れていた、
玉川上水新水路に架かっていた橋の名前から来ています。

十号通りから川筋の上流方面は、
ちょっとした憩いの場所があり、
その先は富士見ヶ丘高校の校庭になって、
暗渠は再び途切れてしまいます。

十号通り商店街は、
六号通り商店街より若干賑わいがある印象ですが、
六号通りが通じてる幡ヶ谷駅より規模の大きい、
笹塚駅に繋がっているせいかと思います。

少し十号通りを散歩してみると、
いかにも昔懐かしい支那そばをだしてくれそうな、
レトロな中華店「福寿」があります。→Mapion



この店、何故か店内に屋台が設置されているような作りで、
外から見ると店頭ののれんの他に、
店内にもカウンター付きののれんがかかっているのが見えます。
食べていませんが、なんとなく美味しそうです。

懐かしい支那そばといえば、
小田急線豪徳寺駅前の「満来」を思い出します。
「福寿」同様レトロ系の狭い中華店ですが、
そのロケーションでは信じられない1杯100円でした。
どうやら最近値あがって200円になったようです。
鶏ガラのシンプルな醤油味に、
チャーシュー、メンマ、のり、なるとの
超ベーシックラーメンですが、
200円でも十分満足の一杯だと思います。

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東京暗渠:神田川支流 #30

2006-06-24 02:20:23 | ・東京暗渠
…∽ 明治橋 ∽… 昭和22年 (1947) 竣工

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

中野通りを越えると、神田川支流の暗渠道はほぼ最後まで続いています。
中野通りからも見える最初の交差点に、
北笹幡橋があったそうですが、→Mapion
今ではまったく残っていません。

次の交差点には、
四隅の親柱のうちの1本だけがかろうじて残る、
明治橋があります。→Mapion



高い塀と親柱の間に隙間があるので、
手を入れてさわってみると凹凸を感じます。
恐らく明治橋の漢字かひらがながほられているんではないかと思いますが、
確認はできません。

この高い塀は、
ちょうどそこに立つ笹塚中学校の敷地の角にあたる部分ですが、
もともとこの敷地は昭和5年 (1930) に麹町から移転した、
明治薬学校のものだったそうで、
橋名も昭和22年の架け替えの時に変えられたそうです。

この神田川支流の暗渠見学は、
ほとんど夕方の時間に行きましたが、
学校の裏道を進んでいると、
塀の中から放課後のブラスバンドの練習する音が聞こえてきます。
久しく聞いていなかった、
鉄筋の校舎やコンクリのグランドに反響して聞こえる、
学校の音でした。

塀沿いの草むらの中には、
ハンドルがない、朽ち果てた自転車が、
ありました。



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東京暗渠:神田川支流 #29

2006-06-23 10:40:06 | ・東京暗渠
…∽ ? 橋 その2 ∽… 

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日アップした、しばらくなくなっていた暗渠道が、
また復活した地点から暫く進むと、
中野区をほぼ縦断する中野通りに突き当たります。
いまではデニーズになっている敷地の横を通って、
中野通りに突き当たった場所に、
橋跡と思われる遺構が残っています。→Mapion



左寄りにある掲示板の足下の、
バー状の石がそれです。

中野通りを渡った反対側にも、同様のものがあります。



『渋谷区の橋』には、
もはや痕跡すら現存しない橋も沢山掲載されていますが、
現在でもこれだけ痕跡が残っていながら、
全く触れていないのは、
以前にアップした本町小学校裏門の橋とこの橋だけです。

本町小学校の方は、現在残っている形から、
明らかに橋だったと思いますが、
もしかしたらこの中野通りのものは、
橋とは呼ばれていなかったのかもしれないと思います。
勿論、道の下を川が流れていたとは思いますが、
全く橋の体裁はなく、
横に川がありますよ、程度の目印のようなものだったんではないかと。
ただ、コンクリのバーのすぐ横にマンホールがあるのを見ると、
やはり暗渠にはなっているのだと思います。

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東京暗渠:神田川支流 #28

2006-06-22 05:06:54 | ・東京暗渠
…∽ 庚申橋 ∽… 

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日アップした、暗渠跡がない道を暫く進むと、
道端に中畑庚申塔があります。→Mapion



庚申塚に関しては、この特集を始めた最初の頃にアップした、
淀橋庚申堂で触れているので、あえて記しませんが、
淀橋庚申堂と比べると、
すごく管理されていて、あまり趣を感じません。
例によってここにも渋谷区教育委員会の由来板があり、
祀られている庚申様は明治にはいってからのもので、
江戸時代に始まった庚申信仰が、
その後ながく続いていた証だと書いてあります。

そしてこの庚申塚が橋のたもとにあった事からその名がついた、
庚申橋が90年代の終わり位まではあったはずですが、
今では全く面影がありません。

庚申塚を越えてちょっと進んだところから、
再び暗渠道は始まり、
やがて中野区のほぼ真ん中を縦断するように通る、
中野通りへと川筋は続いていました。→Mapion



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東京暗渠:神田川支流 #27

2006-06-21 07:03:53 | ・東京暗渠
…∽ 幡ヶ谷分流 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

Mapionでは、昨日アップした新道橋の先は、
もう道が書かれていませんが、
まだしばらく暗渠道は続いています。
そしてここからは完全に暗渠がなくなってしまいます。
『渋谷区の橋』を見ると、どうやらMapion上では、
上記の<ここから>のポイントの前後に伸びる、
小さなドットのついた道が川筋だったようですが、
今ではまったくわかりません。
橋も中幡橋山下橋、などいくつかあったようですが、
これも現在では残っていません。

『明治末葉農村幡ヶ谷地図』を見ると、
ちょうど暗渠道が途切れた近辺から、
またまた細い支流があるので、
それを見てみようと思います。
マンホールが多く、いかにもどぶ川があった雰囲気の分流点です→Mapion



この分流も何日か前にアップした初台分流同様、
特に名前がわからなかったので、
かりに幡ヶ谷分流としました。

この分流はいったん川筋を辿りだすと、
やたらと細い道があちこちに入り組んでいて、
もうどれが川筋でどれが元から道なのかわかりません。
もしかしたら全部が細いどぶ川だったのかとも思いますが、
袋小路になっている所が多いのも特徴です。

この神田川支流の暗渠沿いには、
壁面を細かな板の張り合わせで作られた木造家屋が、
沢山残っているのも特徴です。



場所はたぶんこのへんだと思いますが、
よく覚えていません。

子供の頃棲んでいた中野の一軒家も、
この壁の作りでした。
その家は大正時代に作られた家でしたが、
この細かい板張りの木造家の作りは、
けっこう古い時代のものなんではないでしょうか。

やがて分流は、かつての玉川上水、
今の東京水道通りへつきあたります。
初台分流同様、水道通りの土手を貫通していたはずのトンネルは、
現在ではありません。
ただ分流の川筋のちょうど真上にあたる位置に、
<東京都水道局立坑現場>とかかれた、
コントロール機器があるので、
今でもなんらかの形で水道施設があるのだと思います。→Mapion



それにしても立坑があるということは、
それなりの深さがある施設だと思いますが、
周囲を見る限り、そんな様子はまったくありません。
夜な昼なに、密かに活動してるんでしょうね、きっと。

水道通りを越えて、というか迂回して、
川筋跡の続きを探すと、
またまたスーパー銭湯があります。→Mapion



左の細い路地が暗渠道ですが、
それを辿っていくと、やがて甲州街道の幡ヶ谷駅へ出ます。→Mapion
『明治末葉農村幡ヶ谷地図』には、
甲州街道を越えてまだ続いているように記されていますが、
その先はもうわかりません。

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東京暗渠:神田川支流 #26

2006-06-20 02:07:38 | ・東京暗渠
…∽ 新道橋 ∽… 平成3年 (1991) 竣工

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

6号通りという商店街から続く道に架かっていた新道橋。
そのすぐ手前の暗渠脇には、
この特集の最初の頃に取り上げた羽衣湯同様、
時代を取り入れて生まれ変わった天龍泉があります。→Mapion



羽衣湯よりは改装が古いせいか、
スパというよりは健康ランドに近い雰囲気ですが、
それでも銭湯の料金+αで小さい健康ランドへ行けると思えば、
安いものかもしれません。
結局羽衣湯もこの天龍泉も入った事はありませんが、
機会があったら是非行ってみたいものです。

実は健康ランドやスパは大好きで、
ちょくちょく色々な所へ行きます。
一時期はサウナにまで手を出して色々物色しましたが、
サウナは仮眠用の毛布が薄いわりに冷房がキッツいんで、
何度か風邪を引いて以来行っていません。

大江戸温泉物語ラクーア万葉の湯山河の湯・・・
いろいろ行きましたが、
最近いいなと思ったのはえのすぱです。
夕暮れ時に行くと、
太平洋に沈む夕日を見ながら温泉プールに浸かれて、
これは最高です。

海水を使ったタラソ・スパも一度だけ行った事があります。
勝浦にあるテルムマラン・パシフィークという所ですが、
ここは店員さんが全員白衣を来ていて、
店員ではなくセラピストさんたちです。
雰囲気も健康ランドのような娯楽的な感じがなく、
お客さんも「治療」的な面持ちです。
軽めの4時間のコースをとりましたが、
それでも終わったあとはぐったりで、
翌日は1日使いモノになりませんでした。
きっと極意があるんでしょうね。

ちなみにこのタラソスパへ行ったのは、
去年リリースした『Thalasso Spa -Spa Music for Professional-』
というCDの制作のためでした。
(なにげに宣伝してます

話が横にそれてしまいましたが、
天龍泉を越えるとすぐに橋があります。
平成に入ってから作り変えられた新道橋です。→Mapion



橋を渡る道筋は6号通りという名前ですが、
この6号とは、何度かこの特集で触れてきた、
玉川上水新水路に架かっていた橋の名前からきています。
今ではそこそこの規模の商店街ですが、
昭和の初期の頃までは道らしい道もないような場所だったそうです。



商店街には老舗の和菓子やさんとかあって、
けっこういい雰囲気です。→Mapion



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東京暗渠:神田川支流 #25

2006-06-19 04:45:49 | ・東京暗渠
…∽ 本町桜橋 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日までは神田川支流の本流から離れて、
ひょろひょろと延びる支流の支流を見てきましたが、
また今日から本流に戻ります。
氷川橋の次の橋は本町桜橋です。→Mapion



氷川橋同様、地覆に黄色と黒の鉄パイプの橋で、
現地で橋を見る限り橋の名前はわかりません。
何度も参考文献としてとりあげている『渋谷区の橋』に、
その名前が記されていたのではじめてわかります。

丁度川筋が新宿の方を向いているのか、
下流の方を振り返ってみると西新宿の高層ビルがまだ見えます。



神田川の合流地点から上流へ遡って約1.5km、
このへんが神田川支流のちょうど中間地点あたりです。
え゛、まだ中間地点?と思われた方。
そうなんです、この特集はまだまだ続くんです(汗
気長に見てやってくださいませm(_ _)m

川筋に沿って徘徊すると、
外塀をガムテープで補強した跡のある廃屋や、



いい具合に錆び付いた、
板床の抜けきった物干しベランダに
植物がからみついている廃屋などが点在しています。



極めて脱力です。

◆東京暗渠:神田川支流◆
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東京暗渠:神田川支流 #24

2006-06-17 09:26:51 | ・東京暗渠
…∽ 初台東分水 2 ∽…

新宿の西部から渋谷区北部一帯を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

『明治末葉農村幡ヶ谷地図』に記されている、
神田川支流のまた支流的な川筋跡を探しながらの探索も、
そろそろ終わりです。

昨日アップした旗洗池から少し戻って、
さらに東へ延びる川筋も書かれているので、
そっちも見てみることにしました。
Mapionでみても、
この辺は明らかに川筋跡の道の形をしています。
迷うことなく先へ進むと、
既に終わってるモルタルアパートの入口に、
嘗ての井戸の基礎と流しのコンクリ跡だけが残っています。→Mapion



暗渠には廃墟がよく似合います。

さらに進むとやがてオペラシティに突き当たって、
川筋跡は途切れてしまいます。
オペラシティを背にして今来た道を振り返ると、
窪地だった川筋がよくわかります。→Mapion



明治の地図を見ると川筋はその先も続き、
やがて「出羽様の池」へ繋がっているように記されていますが、
いざ行ってみるとその場所は、
普段よく利用するデニーズでした。→Mapion



目の前には、アップしてきた記事で何度か触れた、
東京水道通りが通っています。
旗洗池と違って、こちらは石碑も由来板もありません。
いや、敷地のどこかにあるのかもしれませんが。

オペラシティのすぐ裏ですが、
相当古くから人が住んだ所なので、
新しいものとほころんだものが混ざり合った街です。



今日で神田川支流のまた支流、初台の分流は終わりです。
また明日からは神田川支流の本流に戻って、
続きを見ていきたいと思います。

◆東京暗渠:神田川支流◆
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