黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京暗渠:神田川支流 #08

2006-05-31 01:57:41 | ・東京暗渠
…∽ 柳橋界隈 ∽…

新宿区の西、淀橋地区を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日一昨日と、橋の近くの商店街をアップしてましたが、
また暗渠に戻ってみていきたいと思います。
3日前の柳橋を越えて進むと、和んだ風景が広がります。→Mapion
暗渠は区の緑地推進課とかの管轄なので、
本来は公共の敷地のはずですが、
その道に堂々と洗濯物が干されているのも、
暗渠ならではの光景です。



洗濯物と同じように、
発泡スチロール製のプランターに植えられた、
なぜかきまって色の濃い花が咲く植物の陳列も、
特徴的な光景です。

川筋の反対側を見ると、
トタン張りの家の軒先が奇妙です。
使ってる人にとっては意味のある形なのかもしれませんが、
知らない人間にはなんの事かわかりません。
こうした個人的な生活習慣の一端がかいま見られるのも、
暗渠通りならではです。



暫く進むと、
いい感じに朽ち果てた木戸がありました。



ちなみにこの木戸は、その後ろに建つアパートの裏口だったのかと思いますが、
アパートも完全に終わってます。

思えばこの特集を始めてからもう8日も経つのに、
まだ150m位しか進んでません。

◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #07

2006-05-30 16:04:56 | ・東京暗渠
…∽ 淀橋庚申堂 ∽…

新宿区の西、淀橋地区を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日アップしたみのり商店街をすこしぶらぶらしていると、
雰囲気ある一角が目にとまります。
名前は聞いた事があるような気もしますが、
見るのは始めての庚申塚です。→Mapion



庚申塚とは祀ってある3体の猿を庚申の日にあがめる、
交通安全の守神だそうです。
堂内の石碑には、かつて寛文4年(1662)等の年号があったそうですが、
今では磨耗して見えません。
町の一角にある祠はたいがい、
どんなに小さくても床がある建物が普通ですが、
この堂内は地続きの土間のような作りになっていて、
そこに荒削りな本尊や石碑が無造作に並べられています。
信楽焼き風の花瓶に供えられた椿もきどりがなく、
全体的に素朴で味わいある御堂です。



堂の右にある手水石には「庚申講 世話人」と彫られています。
「講」とは民間信仰団体に付けられる、江戸時代頃の呼び名でしょうか。
富士山を信仰する「富士講」などで聞いた事があります。



庚申堂の目の前、昨日アップした仲乃すしの隣の
仕舞屋のガラスのなかで、毛並みのいいネコが寝ていました。
座ぶとんの柄、懐かしい感じです。



◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #06

2006-05-29 01:18:57 | ・東京暗渠
…∽ みのり商店街 ∽… 

新宿区の西、淀橋地区を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日アップした柳橋の界隈には、
みのり商店街というこじんまりした商店街が広がっています。
暗渠と同じくらいの幅の蛇行した道が入り組む商店街は、
この地に古くから人が住んでいたことの証だと思います。



無数にはり巡らされた電線、
錆び付いたブリキの煙突、
砂壁の家屋のひさしを飾る洗濯物、
どれもが昭和のままの商店街です。



破れかけのビニールシートに「モード」と書かれた、
かつて洋服の仕立て屋だったと思われる店は、
何故か隣の弁当屋の弁当を、暗い店内で販売しています。



半分くらいが仕舞屋のボヤ~っとした商店街を少し徘徊していると、
シャッターが半じまりの店がありました。→Mapion



やってないのかと思って中を覗くと、
無愛想なおかみさんがでてきました。
看板にいなり寿司と書いてあったので、
とりあえずいなりとカンピョウ巻きを頼み、
包んでもらっている間、
この商店街の名前などを聞いてみようと話し掛けると、
突然笑顔になっていろいろ話してくれます。
「コンビニにみんなやられちゃったさ」
「あたしゃ商売上手だから、まだこうしてやってられるけどね(笑」
昭和30年代の頭に集団就職で上京したおかみさんは、
銀座でオヒスレディをしたあと、嫁いでこの店にやってきたそうです。
都庁の進出で大打撃を受け、
大江戸線の開通で、決定的に商店街は終わったと語る店の向こうには、
都庁のビルが聳え建っていました。

◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #05

2006-05-28 04:18:32 | ・東京暗渠
…∽ 柳 橋 ∽… 昭和7年 (1932) 竣工

新宿区の西、淀橋地区を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日の羽衣橋よりは小振りで、
一昨日の長者第一號橋よりは大きい、
絶妙なバランスが美しい柳橋です。→Mapion



やはり中央は切り取られているものの、
親柱を始め、手摺や高欄(人が落ちない為のかこい)
がしっかり残っているので、
当時の姿を連想する事ができます。

親柱には綺麗な彫りの柳橋の文字が残っていますが、
たもとの民家の塀の外に作られたコンクリの塚が、
橋の字を見えずらくしてしまっています。



一枚目の画像の右側の親柱の痛み具合はかなり進行していて、
鉄筋も露出して傾いたりしていますが、
事故防止対策がされているのか、
ちょっとゆすったくらいではびくともしません。



この川筋には今後アップ予定の何十もの橋がありますが、
その中で、その崩れ具合も含めて、
個人的には一番美しい橋なんではないかと思います。

しばらくみとれて橋の周りをうろうろしている間、
頻繁に犬を散歩に連れる人を見かけましたが、
ほとんどが茶柴でした。
やはり昭和の町並みには、柴犬が似合います。

◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #04

2006-05-27 01:01:11 | ・東京暗渠
…∽ 羽衣橋 ∽…

新宿区の西、淀橋地区を流れていた神田川支流の暗渠を、
現存する橋を中心にアップしています。

昨日の長者第一號橋からまた2、30mさかのぼると、
次の橋、羽衣橋があります。→Mapion
この橋は、昨日の橋と違い
橋のたもとの親柱と底辺の地覆はあるものの、
手摺や束柱(両端の親柱の間に並ぶ手摺の下の柱)はなく、
代わりに赤い鉄パイプが手摺状に設置されています。



親柱は結構高さがあり、
橋名を彫り込んだ御影石が埋め込まれているので、
昨日の、コンクリに直接名前を彫り込んだ橋より、
橋らしく見えます。

橋のたもとには既に終わってる工場か倉庫の建物が佇んでいます。
トタン張りの壁がいい具合です。



橋を超えるとまた遊戯具が並ぶ公園になってますが、
このベンチ代わりの動物オブジェはどういうつもりで作ったんでしょう。



このカバは2匹のブタと遊びたいのか、
それとも食べようとしてるのか(ワケないか)
カバが水のなかだとするとブタも水の中なのか、
それとも陸なのか?
奥のブタはピンク色なんでメスだとすると、
やはり手前はオスブタか。
それにしてもピンクのブタの余裕顔に比べて、
黄ブタの超アセりまくりの表情からすると、
やはりカバに追われているのか・・・

橋の界隈はほっこりした商店街が広がっていて、
温泉街にありそうな喫茶店は営業中です。→Mapion



喫茶店の隣には銭湯羽衣湯がありますが、
時代を取り入れてスパになってるようです。

ブタのオブジェを超えて蛇行すると、
板塀の民家に囲まれた遊戯具の先に、
またまた次の橋が見えてきます。



◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP


東京暗渠:神田川支流 #03

2006-05-26 11:58:26 | ・東京暗渠
…∽ 長者第一號橋 ∽… 昭和13年 (1938) 竣工

新宿区5丁目、その昔淀橋と呼ばれた地域を流れていた、
細い川筋、神田川の支流暗渠の特集。

神田川から数えて最初の橋を越えると、
川筋跡にはカラフルな児童遊戯具がいくつも設置された、
児童公園に転用されています。



暗渠の両側には、
トタン張りのアパートや、板張り塀の木造家屋が並び、
暗渠の狭い道幅と併せて、
懐かしい路地の雰囲気が漂います。

30メートル程進むと、
すぐに次の橋があります。→Mapion



この橋は昨日アップした橋と違い、
中央はスッパリ切りとられているものの、
両端の親柱に当時の姿を残しています。
長年の風雪で摩耗した橋柱には、
「~第一號橋」の文字が読みとれますが、
「~」はつぶれてしまって読みとれません。
すぐ近くに昔から商売をしていそうな工務店があったので、
橋の名前を聞いてみましたが、全然知らないということでした。

昭和41年の新宿区の地図には、
この川筋の橋名が全部記載されていて、
それをみると「長者第一號橋」とあります。
「號」の文字が時代を感じさせてくれるこの橋は、
反対側の柱をみると「昭和十三年三月竣工」と刻まれています。
約70年経った今、誰からも忘れられてしまった橋なんですね。

◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #02

2006-05-25 01:08:13 | ・東京暗渠
…∽ 長者第二號橋 ∽…

昨日からはじめた神田川の支流暗渠の特集です。

この暗渠は、新宿区と渋谷区と中野区の境を、
あっちいったりこっちいったりしながら、
やがて杉並区の区境あたりで終わる川跡ですが、
暗渠の流域には、猫が集う脱力系レトロな町並みや、
廃テイスト溢れるほころびがちりばめられています。

神田川を背にして暗渠を遡ると、
細かく入り組んだ道のための橋跡が、
とにかく大量に残されています。
そこで、現存するものでも20以上ある橋を中心に
見ていきたいと思います。

まず最初の橋、長者第二號橋。→ Mapion



この川筋は昭和39年(1964)の、
東京オリンピックの時に全流域が暗渠化されたそうですが、
昭和41年の新宿区の地図を見ると、
この暗渠にかかる橋名が全て掲載されています。

おそらく川が流れていた当時は、
鉄筋コンクリート造の橋が架かっていたんではないかと思いますが、
今ではカラフルな鉄パイプの車進入止めが、
橋の位置を伝えるだけです。



橋のたもとの民家の隅に、プランターに転用された、
かつて使われていたのかと思う井戸ポンプがありました。



◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT  > TOP
 


東京暗渠:神田川支流 #01

2006-05-24 03:47:41 | ・東京暗渠
…∽ 神田川合流部 ∽…

暗渠が気になります。

この言葉の響きがいけないのかもしれません。
もし暗渠がこの文字とこの発音でなかったら、
もしかしたらそれほど惹かれることはなかったかもしれないと思います。

去年の5月、新宿ノーザンウエストの見学の帰りに、
まっすぐ帰るコースを少し外れて通った時に出会った、
神田川の支流暗渠は、思いの外面白いものでした。

神田川の合流地点から上流へ向かって、
少しずつアップしていけたらと思います。

歌にもなった神田川、
でも雨がちょっとでも多く降るとあっというまに増水して、
あたりを水没させるやっかいものでもあった神田川。
その神田川の西新宿付近、その昔淀橋と呼ばれたあたりの流域に、
この神田川支流の暗渠は流れ込んでいます。→ Mapion



ちなみにコンクリ等で綺麗に整備された川は、
暗渠に対して開渠というそうです。

対岸から見下ろす開口部が気になり、下へ降りてみました。
近くでみるとかなり大きく、
少し奥に極太の綿の縄が何重かに垂れ下がっています。



この日は晴れていて、神田川の水量も少なめだったせいか、
川の周辺はドブ臭さはありませんでしたが、
暗渠の開口部に近づくと、なま暖かい風とともに、
かなり強いドブ臭が漂よって来ます。
同時に、暗渠に反響した地上の様々な音が混ざったのか、
掃除機のような轟音が響いてきます。

すこし気分が悪くなったので、
あまり長居しないで、地上へ戻る事にしました。



川底がよく見えるくらい水はきれいで、
東京の川も随分綺麗になったんだなと思います。

◆東京暗渠:神田川支流◆
> NEXT