宮城県の北部、奥羽山脈の東側の麓にある、
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/85/2f398dd6eaeeaf237073769017049aa9.jpg?random=05a9a4b8f3c3091b8b492b6a550d2419)
前回アップした細倉鉱山の富士竪坑の周辺には、
他にも幾つかの水平坑道の跡が残っています。
薮の中にひっそりと残る、
坑道の入口をコンクリートで固めた、
比較的新しい時代の印象をうける坑口跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/83/2a8115620744dc4902bc2c5042b640e6.jpg?random=9d7b8011cc9461cd04f565437ea6f580)
こちらはノミ掘りの跡が残る、
比較的古い時代の印象の坑口跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f6/64ecf91db62c42598629e14deb555bcb.jpg?random=66cbe8bd1de8f65a72f29a990aad7e3f)
更に時代が遡った、
「たぬき掘り」と呼ばれる坑口跡。このあたり→Mapion
たぬき掘りを見たのは、
北海道の幾春別炭鉱のもの以来ですが
幾春別より遥かに時代も古く、
とても小さな穴です。
ためしに体を当ててみましたが、
曲技団状態でやっと通れるくらいの大きさなので、
当時の日本人の体が小さかったのだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/3e/98c9c4affb2bd5d0c141de34412f3c2d.jpg?random=09bfa57a643636a1318cee3268166aff)
この付近には「かもじ坑(かもじしき)」と呼ばれる、
伝説のたぬき掘りも残っています。
かもじ坑の伝説
ある日のこと、
若い夫婦の金掘りが細倉に流れ着き採掘を始めたが、
掘れど進めど良い鉱脈に当たらなかった。
時は流れ、ついに米も油もなくなってしまった。
なんとか掘り続けさせたいと願った妻は、
命より大切な黒髪を切り落とし、
それをかもじ(つけ毛)屋に売り、米や油を買った。
夫は妻の愛情に心をうたれ、再び掘り始めた。
間もなくのこと、ついに念願の鉱脈を掘り当てる事ができた。
それから人々は、この坑を「かもじ坑」と呼ぶ様になった。
ウゥ、泣ける話や…(T.T)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4b/a84bcd18c0b86522bd2bb933b9cf35f7.jpg?random=9f287ea609f131b366939d169091fa66)
上記の伝説は、坑口横の解説板によりますが、
これだと金脈を当てた様に読み取れます。
しかし『細倉鉱山史』に記述された話では、
掘り当てたのは鉛の鉱脈で、
かもじを売って手に入れたのも米や味噌と、
若干の違いが見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/56/2748c92e9cab556f67ee2738cf74d358.jpg?random=7064645df093d9461111676b52731faf)
細倉鉱山資料館には、
その様子を伝えるイラストが展示されていますが、
実際はここまで広くはなく、
また世界記憶遺産の山本作兵衛氏の絵と同様、
ここまで明るくはなかったと思います。
いずれにせよ、鎚と鏨だけでの手彫りのみ。
その涙ぐましい苦労が偲ばれます。
<<< ガンバレ!東北 >>>
細倉鉱山のシリーズです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/85/2f398dd6eaeeaf237073769017049aa9.jpg?random=05a9a4b8f3c3091b8b492b6a550d2419)
前回アップした細倉鉱山の富士竪坑の周辺には、
他にも幾つかの水平坑道の跡が残っています。
薮の中にひっそりと残る、
坑道の入口をコンクリートで固めた、
比較的新しい時代の印象をうける坑口跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/83/2a8115620744dc4902bc2c5042b640e6.jpg?random=9d7b8011cc9461cd04f565437ea6f580)
こちらはノミ掘りの跡が残る、
比較的古い時代の印象の坑口跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/f6/64ecf91db62c42598629e14deb555bcb.jpg?random=66cbe8bd1de8f65a72f29a990aad7e3f)
更に時代が遡った、
「たぬき掘り」と呼ばれる坑口跡。このあたり→Mapion
たぬき掘りを見たのは、
北海道の幾春別炭鉱のもの以来ですが
幾春別より遥かに時代も古く、
とても小さな穴です。
ためしに体を当ててみましたが、
曲技団状態でやっと通れるくらいの大きさなので、
当時の日本人の体が小さかったのだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/3e/98c9c4affb2bd5d0c141de34412f3c2d.jpg?random=09bfa57a643636a1318cee3268166aff)
この付近には「かもじ坑(かもじしき)」と呼ばれる、
伝説のたぬき掘りも残っています。
かもじ坑の伝説
ある日のこと、
若い夫婦の金掘りが細倉に流れ着き採掘を始めたが、
掘れど進めど良い鉱脈に当たらなかった。
時は流れ、ついに米も油もなくなってしまった。
なんとか掘り続けさせたいと願った妻は、
命より大切な黒髪を切り落とし、
それをかもじ(つけ毛)屋に売り、米や油を買った。
夫は妻の愛情に心をうたれ、再び掘り始めた。
間もなくのこと、ついに念願の鉱脈を掘り当てる事ができた。
それから人々は、この坑を「かもじ坑」と呼ぶ様になった。
ウゥ、泣ける話や…(T.T)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/4b/a84bcd18c0b86522bd2bb933b9cf35f7.jpg?random=9f287ea609f131b366939d169091fa66)
上記の伝説は、坑口横の解説板によりますが、
これだと金脈を当てた様に読み取れます。
しかし『細倉鉱山史』に記述された話では、
掘り当てたのは鉛の鉱脈で、
かもじを売って手に入れたのも米や味噌と、
若干の違いが見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/56/2748c92e9cab556f67ee2738cf74d358.jpg?random=7064645df093d9461111676b52731faf)
細倉鉱山資料館には、
その様子を伝えるイラストが展示されていますが、
実際はここまで広くはなく、
また世界記憶遺産の山本作兵衛氏の絵と同様、
ここまで明るくはなかったと思います。
いずれにせよ、鎚と鏨だけでの手彫りのみ。
その涙ぐましい苦労が偲ばれます。
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