戦前まで広大な陸軍の施設があった、
東京新宿の北部に位置する戸山ヶ原。
戦後すぐに建てられた都営戸山アパート群も、
この跡地に建てられたものでした。
戦後の公営アパートの見本的なアパートでしたが、
惜しくも去年、全ての棟が解体されてしまいました。
画像は鬱蒼と茂る森の中に佇む、
最後まで残っていた棟です。
▼
思えばこの緑深いアパートの光景が、
特殊な光景に見えだしたのはいつごろからでしょうか。
いまでも残る都営アパートの中庭の光景をみると、
とても不思議な感じがしますが、
それだけ集合住宅の庭に植物がなくなってしまったんだと思います。
そんな自然に囲まれたいい環境ですが、
今都営アパートへ行ってみると、どこでも高齢者の方が目立ちます。
おそらくそこで生活の基盤を築き子供を送り出して、
余生を過ごしている世代だと思います。
これら緑多き集合住宅で育った世代は、
緑を捨てて、カチカチのマンションへ引っ越していったのでしょう。
もったいない。
最後まで残っていた敷地内の遊園地も、
今では完全になくなっています。
▼
◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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東京新宿の北部に位置する戸山ヶ原。
戦後すぐに建てられた都営戸山アパート群も、
この跡地に建てられたものでした。
戦後の公営アパートの見本的なアパートでしたが、
惜しくも去年、全ての棟が解体されてしまいました。
画像は鬱蒼と茂る森の中に佇む、
最後まで残っていた棟です。
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思えばこの緑深いアパートの光景が、
特殊な光景に見えだしたのはいつごろからでしょうか。
いまでも残る都営アパートの中庭の光景をみると、
とても不思議な感じがしますが、
それだけ集合住宅の庭に植物がなくなってしまったんだと思います。
そんな自然に囲まれたいい環境ですが、
今都営アパートへ行ってみると、どこでも高齢者の方が目立ちます。
おそらくそこで生活の基盤を築き子供を送り出して、
余生を過ごしている世代だと思います。
これら緑多き集合住宅で育った世代は、
緑を捨てて、カチカチのマンションへ引っ越していったのでしょう。
もったいない。
最後まで残っていた敷地内の遊園地も、
今では完全になくなっています。
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◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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コメントありがとうございます!
軍艦島オデッセイを立ち上げる時に、
集合住宅も抵触するので、
本屋で見つけた『集合住宅物語』(植田実著)を読みました。
コメントを頂いて戸山アパートの項を読み直してみましたが、
戦後の標準は51型とよばれる形だそうですね。
この戸山アパートは、標準になるちょっと前ということでしょうか。
昭和32年の地図を見たら、
<戸山ヶ原住宅地>と書いてありました。
いつ<都営戸山アパート>の名称に変わったかも、
興味が沸くところです。
>この戸山アパートは、標準になるちょっと前ということでしょうか。
『集合住宅物語』では、戸山アパートの内部の様子として台所の配膳用ハッチの写真がありますが、これは戦前の台所設計における先進的な手法ですね。51型(厳密には51C)でダイニングキッチンが登場すると、調理と食事が同じ部屋なのでハッチはなくなります。こういった点から戸山アパートが戦前と戦後の過渡的な位置にあったと言えるかと思います。
集合住宅博物館というサイトによる51C型の説明
http://www.housing-museum.com/japan20_tokyo_central2.htm#51-1
私のブログに51C型の平面図(間取り)を載せています。ちょっと専門的ですが
http://blog.all-a.net/?day=20051021
>昭和32年の地図を見たら、
><戸山ヶ原住宅地>と書いてありました。
>いつ<都営戸山アパート>の名称に変わったかも、
>興味が沸くところです。
推測ですが、都の住宅行政の一本化(集合住宅物語 p216)が関係しているのではないかと。
いろいろ教えて頂き大変ありがとうございます!
戸山アパートの台所設計が先進的なものだったと聞くと、
見てみたかったなと思いますが、
既に訪れた時は完全に施錠されていたので残念です。
思えば今も集合住宅の基本は51C=2DKですね。
確かに一人ないし二人で生活するのは、
これで十分で、これ以上広くなると結局物置になったり、
掃除の手がまわらなかったりだと思います。
ところで51CのCはなにかと思ってちょっと検索してみました。
Cはいっぱい出てきますが、
Bはちょっとで、トップにtksさんのALL-Aが出てきました。
Aは何も出てきませんでした。
このA,B,Cがどのくらいの違いで、
また48や50や51がなんの違いなのか、
ちょっと勉強する必要があるなと思いました。
『集合住宅物語』p216も改めて読んでみます。
ありがとうございます。
これは面積の違いです。設計年度によって若干の違いはありますが、51型の場合はおよそA=16、B=14、C=12坪となっています。
>また48や50や51がなんの違いなのか、
>ちょっと勉強する必要があるなと思いました。
おおまかに言えば、間取り・面積・使い勝手などが年々改良されているという話です。これ以上詳しくとなると建築計画学や集合住宅史の領域に入ってしまいますので…。一般向けに住宅史を概論的に述べた本は何冊かありますが、最近出た『「間取り」の世界地図 暮らしの知恵としきたり』という本をお薦めします。町屋・長屋・同潤会・51Cから六本木ヒルズまでの間取りの変遷を簡潔に紹介しています。
いつもいつもいろいろ教えて頂き、
本当にありがとうございますm(_ _)m
好奇心だけで、実行が伴わない自分を反省します。
A, B, C が広さの違いなこと、
48や50等が、間取りの改良点の違いなこと、
勉強になります。
『「間取り」の世界地図~』探してみます。
まだ学生の頃、高田馬場から新大久保までよく歩いて、
その流れで戸山アパートの横もよく通りましたが、
当時は結構子供が遊んでいた記憶があります。
最近は砂場の衛生問題とかも含めて、
めっきり公園で遊ぶ子供をみなくなってしまいました。
いいかわるいかは別として、
その街が生きてるのか死んでるのかがわかりにくくなったとは思います。
上目黒アパート、
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/172ff2062dbb2d852d45bcc4e99f900c
いかがでしたか?