その友人はアロマセラピストで、十数年、都内で働き続け、
事情があって一時休業、家事手伝いになって半年強、
という日々をすごしているところでした。
この状態になってしばらくは、それ迄の疲れがでたのか、
半ばエネルギーが枯渇したようになっていたそうですが、
最近になってふと気づいた。
そういえばアロマにぜんぜん触れていないと。
彼女いわく、休業期間が始まる前は、
これからできるゆとりの時間を
アロマテラピーでゆっくりセルフケアにあてようと思っていたのに、
いざ休みが始まってみるとちっともその気にならない。
当初は何に対してもやる気が起きなかったので
そのせいだろうと思っていたが、
最近やっと気持ちの充電もできて意欲が出て来たのに、
アロマテラピーのことはすっかり忘れていたと。
これは何故でしょうと話していて、
とても興味深い議論になりました。
■一つの仮説
その友人はとても環境の良いところに暮らしています。
緑にかこまれた、自然たっぷりの、まあいわば田舎です。
そんなところにいると、
癒されたいという気持ちからアロマに手が伸びるということは、
まず無いというのです。
せいぜい打ち身だとか捻挫だとか虫さされだという時に
治療薬の代わりとしてアロマを使う程度。
まあ、それすらもあまりないと。
この話から見えてくるものがありました。
それは、現代の都会において精油は「自然の(自然なではなく)代替品」なのではないか、
という一つの仮説です。
■精油は薬なのか
アロマテラピーでは、おのおの精油ごとに様々な効能が
うたわれています。
現代の精密な分析技術によって、成分も特定され、
体に働きかけるメカニズムもどんどん解明されてきています。
「自然のものから作ったアロマなら安心だ」と、
薬の代替品として精油を用いる態度に対して、
以前から私自身は好きではないと言って来ました。
自然=安全とは限りません。副作用がない訳じゃありません。
また、薬の代わりにアロマというのでは、
結局、対症療法的なアプローチから脱することがないように思われるからです。
ただし、精油を薬として使うこと自体は別に間違いではないのです。
遠い昔エジプトの時代から、医療として発達して来た歴史があります。
少なくとも昔の人にとっては薬だったわけですから。

《緑香庵の窓から》
しかし、もしアロマが薬なのだとすれば、
特定の有効成分を摂取するために、
わざわざアロマを使う必要がどこにあるのかということになります。
本当に薬が必要なら薬を使えば良いのです。
それよりも現代においてアロマを使う意味は、薬としてではなく、
別の部分にあるのではないか。
それが今回の彼女の話から見えて来た「自然というものの代替としての精油」
というアイデアです。
■脳の危機
ここで脳の話。
人間の脳は、外側から内側へ順に、大脳新皮質、大脳辺縁系、
爬虫類の脳といわれる中心部の3層に分かれています。
内側へ行くほど古い脳です。
一番外側の大脳新皮質は、高度な情報処理を行なう「理性の脳」で、
この部分の発達が人間と他の動物の違いだといわれています。
現代は、この「理性の脳」を過剰に使いすぎることで、
それより下層の脳の機能を抑圧したり、層どうしが連絡不全になったりして、
さまざまな不調をきたす人が多い時代です。
感情やホルモンなどを司る大脳辺縁系。
脳の一番奥で生存の核心をにぎる爬虫類脳。
これら下層の脳というのは、長い長い生き物の歴史の中で、
周りの環境とコミュニケートしながら、より長く生存し、
より子孫を増やすようにずーっと活躍して来た脳です。
これらの脳が現代では危機にさらされています。
■「古い脳」が刺激されない現代
ここ数十年で、人間は、自身の内部環境を一定に保つ
「恒常性」という機能を、体の外側にも生み出してしまいました。
つまり冷暖房に守られ、年中食料の心配もない状態を作り出して
しまったのです。
それにともない、現代の都会では、
脳の深い場所と外界とのコミュニケーションのチャンスが
どんどん無くなってきているのです。
でも生き物としての人間のデザインはそうはできていません。
脳の深い場所で、細胞たちが相変わらずの刺激を欲しています。
時にはそれに触れてやらないと、脳全体が機嫌良く動いてくれません。
脳の深い所にある機能が、生き生きと自分の役目を果たす
ことが現代の、特に都会で働く人間には難しいのです。
そこで、アロマテラピー登場です。
■「自然の代替品」として
嗅覚は、脳の深い所に直接働きかけることのできる唯一の感覚です。
また、精油の中には自然のパワーが凝縮されています。
「パワー」とか「エネルギー」という言葉は随分ざっくりと
したものですが、医薬品レベルまで洗練されていない
というところが実は重要です。
複雑さを含んだままの情報が、
足し算以上の効果をもたらすと私は考えています。
様々な有効成分という「機能」だけでなく、
精製されないからこそ保存されているであろう自然そのものの情報とを
兼ね備えたのが精油なのだと思います。
アロマテラピーの精油は、歴史的には「薬の代替品」
としての役割が中心だったはずですが、
現代では「自然の代替品」としての役割の方が大きいのではないか。
そんな確信めいた仮説が浮かんできました。

《発芽》
「自然の代替」だからこそ、のんびり田舎暮らしをしている時には、
そんなに必要なくて当たり前なのかもしれません。
生の自然が絶えず脳に語りかけてくれているのですから。
いまさらながら、精油が植物からできているということ、
あの一滴の中に途方もない量の植物の命が凝縮されているということに、
あらためて思いをいたしたのでした。
事情があって一時休業、家事手伝いになって半年強、
という日々をすごしているところでした。
この状態になってしばらくは、それ迄の疲れがでたのか、
半ばエネルギーが枯渇したようになっていたそうですが、
最近になってふと気づいた。
そういえばアロマにぜんぜん触れていないと。
彼女いわく、休業期間が始まる前は、
これからできるゆとりの時間を
アロマテラピーでゆっくりセルフケアにあてようと思っていたのに、
いざ休みが始まってみるとちっともその気にならない。
当初は何に対してもやる気が起きなかったので
そのせいだろうと思っていたが、
最近やっと気持ちの充電もできて意欲が出て来たのに、
アロマテラピーのことはすっかり忘れていたと。
これは何故でしょうと話していて、
とても興味深い議論になりました。
■一つの仮説
その友人はとても環境の良いところに暮らしています。
緑にかこまれた、自然たっぷりの、まあいわば田舎です。
そんなところにいると、
癒されたいという気持ちからアロマに手が伸びるということは、
まず無いというのです。
せいぜい打ち身だとか捻挫だとか虫さされだという時に
治療薬の代わりとしてアロマを使う程度。
まあ、それすらもあまりないと。
この話から見えてくるものがありました。
それは、現代の都会において精油は「自然の(自然なではなく)代替品」なのではないか、
という一つの仮説です。
■精油は薬なのか
アロマテラピーでは、おのおの精油ごとに様々な効能が
うたわれています。
現代の精密な分析技術によって、成分も特定され、
体に働きかけるメカニズムもどんどん解明されてきています。
「自然のものから作ったアロマなら安心だ」と、
薬の代替品として精油を用いる態度に対して、
以前から私自身は好きではないと言って来ました。
自然=安全とは限りません。副作用がない訳じゃありません。
また、薬の代わりにアロマというのでは、
結局、対症療法的なアプローチから脱することがないように思われるからです。
ただし、精油を薬として使うこと自体は別に間違いではないのです。
遠い昔エジプトの時代から、医療として発達して来た歴史があります。
少なくとも昔の人にとっては薬だったわけですから。

《緑香庵の窓から》
しかし、もしアロマが薬なのだとすれば、
特定の有効成分を摂取するために、
わざわざアロマを使う必要がどこにあるのかということになります。
本当に薬が必要なら薬を使えば良いのです。
それよりも現代においてアロマを使う意味は、薬としてではなく、
別の部分にあるのではないか。
それが今回の彼女の話から見えて来た「自然というものの代替としての精油」
というアイデアです。
■脳の危機
ここで脳の話。
人間の脳は、外側から内側へ順に、大脳新皮質、大脳辺縁系、
爬虫類の脳といわれる中心部の3層に分かれています。
内側へ行くほど古い脳です。
一番外側の大脳新皮質は、高度な情報処理を行なう「理性の脳」で、
この部分の発達が人間と他の動物の違いだといわれています。
現代は、この「理性の脳」を過剰に使いすぎることで、
それより下層の脳の機能を抑圧したり、層どうしが連絡不全になったりして、
さまざまな不調をきたす人が多い時代です。
感情やホルモンなどを司る大脳辺縁系。
脳の一番奥で生存の核心をにぎる爬虫類脳。
これら下層の脳というのは、長い長い生き物の歴史の中で、
周りの環境とコミュニケートしながら、より長く生存し、
より子孫を増やすようにずーっと活躍して来た脳です。
これらの脳が現代では危機にさらされています。
■「古い脳」が刺激されない現代
ここ数十年で、人間は、自身の内部環境を一定に保つ
「恒常性」という機能を、体の外側にも生み出してしまいました。
つまり冷暖房に守られ、年中食料の心配もない状態を作り出して
しまったのです。
それにともない、現代の都会では、
脳の深い場所と外界とのコミュニケーションのチャンスが
どんどん無くなってきているのです。
でも生き物としての人間のデザインはそうはできていません。
脳の深い場所で、細胞たちが相変わらずの刺激を欲しています。
時にはそれに触れてやらないと、脳全体が機嫌良く動いてくれません。
脳の深い所にある機能が、生き生きと自分の役目を果たす
ことが現代の、特に都会で働く人間には難しいのです。
そこで、アロマテラピー登場です。
■「自然の代替品」として
嗅覚は、脳の深い所に直接働きかけることのできる唯一の感覚です。
また、精油の中には自然のパワーが凝縮されています。
「パワー」とか「エネルギー」という言葉は随分ざっくりと
したものですが、医薬品レベルまで洗練されていない
というところが実は重要です。
複雑さを含んだままの情報が、
足し算以上の効果をもたらすと私は考えています。
様々な有効成分という「機能」だけでなく、
精製されないからこそ保存されているであろう自然そのものの情報とを
兼ね備えたのが精油なのだと思います。
アロマテラピーの精油は、歴史的には「薬の代替品」
としての役割が中心だったはずですが、
現代では「自然の代替品」としての役割の方が大きいのではないか。
そんな確信めいた仮説が浮かんできました。

《発芽》
「自然の代替」だからこそ、のんびり田舎暮らしをしている時には、
そんなに必要なくて当たり前なのかもしれません。
生の自然が絶えず脳に語りかけてくれているのですから。
いまさらながら、精油が植物からできているということ、
あの一滴の中に途方もない量の植物の命が凝縮されているということに、
あらためて思いをいたしたのでした。