緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

学校で先生をするということ

2013-03-07 11:48:06 | 営業日誌
アロマテラピーの学校で講師をしていて、
時折、とてつもない貴重な瞬間に立ち会うことがある。

◆生徒さんを尊敬するとき

たとえば、こんなとき。
生徒さんが何かをこちらに伝えようとして、
ちょっとしたその日の講義の感想や、
日々考えていることや、内容の重い軽いにかかわらず、
その時の心のありようにぴたりと見合った、
びっくりするほど生きた言葉を投げかけてくれることがある。
授業で扱う精油の香りやタッチの影響もあってか、
本人も気づかぬくらい核心に触れていたりする。
あまりに率直で軽くショックを受けることもあるくらいに。

またこういうこともある。
講義の中で、ひょんなきっかけから
一瞬にして生徒さんの表情が変わり、目が輝きだす。
その人の中で明らかに何かが動き出した、
それを目撃することがある。

◆大人の学校だから

そんなとき、私は自分が先生であることを忘れ、
なんだかわくわくしてしまう。

心の中で何にだか誰にだかわからないが、
おめでとうと小さく拍手さえしている。
まるで花が開く瞬間に出くわしたような気分。

もはや先生ではなくただの人として、
仰ぎ見るように素直にその生徒さんを尊敬している。
そのまっすぐさに恥ずかしくないように、
私もまっとうに努力しようとあらためて思い直したりもする。

私みたいなものが「先生」などやってもよいものか
という疑問はいつもいつまでも拭えないが、
こうして、教えているつもりでいた自分なんぞ
軽々と超えるものに、生徒さんはなっていくのだろう。

だから逆説的だが、こんな私が先生でも、
ま、いっかと思うことができる。

先生は、導いたり、情報を伝えたりする役目ではないのだね、
大人の学校では。

◆ ひとりひとりの背景

ただそんななかでもひとつだけ気をつけようと思うこと。

ひとりひとりの生徒さんが違った背景を持っている。
アロマテラピーという、まだまだマイナーで特殊なことを
あえて勉強しようなんて考えるくらいだから、
それぞれの抱えたものは深刻なものが少なくない。
そして大概が進行形だ。

教室の空気はいつもその柔らかい部分を刺激してしまう可能性をもっている。
だから素晴らしいのだが、だからこそ、
教室の空気に押されて、自分の意志によらず
心の深いところをオープンにさせてしまうことのないよう、
別の立場からの気配りが必要だ。
雰囲気が無言の同調圧力にならないよう、
言うことも言わないことも自由なのだということを
知らせることが、私の大切な役割かもしれない。

最近そんなことを思った。





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