カン・ドンウォンに会いたい

カン・ドンウォンに会えたら想い残すことは無いと思っていました。
でも、違った…また、会いたい…

カン・ドンウォンときどき2PM ‘6NIGHTS’

2017-06-12 23:47:55 | 2PM

兵役前 2PM最後のライブが終わった…

 

 

 

最後のステージはスクリーン越しの参戦

 

 

 

ライブビューイング

 

 

映画館で生中継でソウルのコンサートを観ました

 

 

 

 

メンバーが言いました2PMに出会えて良かった

 

 

2PMは自分の人生すべてだと…

 

 

 

 

涙涙涙…

 

 

 

 

いままで楽しい時間をありがとう

 

 

アイドルにハマるのは最初で最後だと思う(?)

 

 

 

ライブのために遠征したり

 

 

ハイタッチ会で本人に近くで会えたり

 

 

歌もダンスも魅力的で男らしくて

 

 

それなのに面白くて

 

 

 

本当に楽しかった

 

 

 

 

 

 

ライブが終わって一緒に見た2PM友達がいいました

 

 

 

 

 

「ペン卒しないでね。帰ってきたらまた一緒に見ようね。」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

入隊控えた2PM,さらに待たれるチムスンドルの30代

2017.6.12 翻訳サイト使用

 

グループ2PMは一人一人の力量が優れたメンバーで構成されている。 作詞作曲の能力はもちろん演技、ソロツアーも盛況に導くほどのファン動員力など特に今年は個人の能力をより一層認められる年でもあった。 しかし一番最初に2PMに対して思い出させる修飾語は相変らず舞台の上で最も素晴らしい男たち、‘チムスンドル’ではないか。

2PMは去る2008年‘10点満点10点’で歌謡界デビューした。 難易度の高いアクロバティックな振りつけと特有の若いエネルギーで‘AGAIN&AGAIN’、‘お前が憎い’までひきつづきヒット、‘チムスンドル’という修飾語を得た。 デビューメンバー離脱という変数の危機を迎えたりしたが、メンバーは引き続き誠実で最善を尽くす心に近付いて、‘I’LL BE BACK’、‘WITHOUT YOU’、‘HEARTBEAT’、‘HANDS UP’、‘ウリチブ’、‘PROMISE’等ヒット曲を誕生させていつのまにか10年目のアイドルになった。

年次の高いボーイズグループの宿命は正に国防の義務だ。 グループ内ではテギョンが一番最初にその義務を行うことになった。 彼はアメリカ永住権も放棄して椎間板ヘルニア手術を二度受けて身体検査再検査の後に現役判定を受けたことがある。 自分に堂々とするためにだと最近映画‘時間の上の家’の関連インタビューで淡々とその心境を明らかにして目を引いた。

2PMは軍隊問題以外にも後輩グループにとりわけ模範になる部分が多い真の‘先輩’だ。 危機の中でチームを守ってファンたちを考える義理、最高より最善が重要だと信じる誠実さなど美徳が多いチームだ。 特にこの頃はグループ内個人活動が多くなった中で、2P Mぐらいグループはグループのとおり個人は個人の通り等しくよくやり遂げていくグループはまたないはず。

 


 

10年目のアイドルの20代の終わりは完全体公演で終えた。 メンバーは去る2日~4日、9~11日までの午後、ソウル城北区(ソンブクク)、安岩洞(アナムドン)高麗(コリョ)大学校花井(ファジョン)体育館で2PM単独コンサート‘6NIGHTS’公演を持ち. 特に去る11日は公演の最後の日であり、今後何年間か見るのは難しい完全体の舞台の最後だった。

 

この公演を通じて2PMメンバーは10年目のアイドルはどのように公演を引っ張っていって観客を熱狂させるのかまともに見せた。 テギョンが進めたコーナーの中で即席で無作為に選ばれたライブを広げる瞬間は内面があらわれた部分の中の一つであった。 3時間を越える公演時間を決まったセットリストをライブで消化するのもなかなか難しいことなのに、いわゆる‘ランダム ライブ’を広げたとのことだけでも彼らの余裕が感じられた。

完全体アイドルとして年輪を積んで一人一人の能力を認められた20代に続き30代2PMが待たれる理由は多い。 危機も突き抜けて馬鹿正直に歩いてきた彼らの堅固な義理は近い将来再び完全体の舞台を見ることができるという信頼を植え付ける。 今後何年間か姿みることができないという物足りなさは大きいが、“一人一人の席で最善を尽くす”というメンバーの確約に、より一層余裕があって完成された彼らの30代がはやく見たい気持ちだ。

 

コメント (2)
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俳優カン・ドンウォン、キム・テリ、6・10民主抗争30周年当日‘韓南(ハンナム)大’訪れた理由は?

2017-06-12 22:20:49 | 1987

6・10民主抗争30周年当日



‘韓南(ハンナム)大’で撮影が行われた




映画‘1987’




 

主役級がずらりと並んだキャスティングだけでも楽しめそう





個性の強い俳優さんたちが一つになった時どうなるのか?



楽しみですね~

 

 

 

 


 

俳優カン・ドンウォン、キム・テリ、6・10民主抗争30周年当日‘韓南(ハンナム)大’訪れた理由は?

パク・ジョンチョル拷問致死事件を扱った映画‘1987’、韓南(ハンナム)大キャンパス背景に撮影真っ最中

2017.6.11 翻訳サイト使用

 

6月民主抗争30周年をむかえて当時民主化運動の起爆剤になった‘パク・ジョンチョル拷問致死事件’を扱った映画‘1987’(仮題)が韓南(ハンナム)大学校を舞台に当時激しかった大学生の姿を再演して関心を集めている。

去る4月20日クランクインした6・10民主抗争30周年当日‘韓南(ハンナム)大’は6・10民主抗争30周年当日である10日、韓南(ハンナム)大校庭のあちこちで俳優カン・ドンウォンとキム・テリが参加する中で撮影を進めた。

1987年1月14日発生したソウル大学生パク・ジョンチョル拷問致死事件で‘パク・ジョンチョル君汎国民追悼式’とデモが続いている間当時チョン・ドゥファン大統領の4・13護憲措置が続くとすぐに全国大学街を中心に“独裁打倒”と“護憲撤廃”を要求するデモが猛烈に展開する。

続けて、5月18日にはキム・スンフン神父が“パク・ジョンチョル君拷問致死事件を当局が隠した”と暴露して、5月27日には汎民主勢力が結集した‘民主憲法争奪国民運動本部’がスタートして6・10民主抗争は絶頂に達する。 結局民主正義党ノ・テウ代表は6月29日直選制改憲を通した平和的な政権委譲を主な内容にする6・29宣言を発表して市民の勝利で帰結された。

チョン・ジュナン監督がメガホンを取った‘1987’はこのような歴史的事実を背景に当時真実を隠そうとする勢力と命をかけて真実を知らせようとする人々の話を映画のストーリーで導いている。

 


 

格別な意味を扱っただけ出演陣もメガトン級俳優がキャスティングされた。

パク・ジョンチョル拷問致死事件が広まっていた南営洞(ナミョンドン)対共分室を導く公安警察パク所長の役にキム・ユンソク、彼に忠誠をつくす組班長の役にパク・ヒスン、不当に進行される事件処理過程を疑い始めた部長検事の役にハ・ジョンウ、事件の実体を暴く記者の役割にイ・ヒジュンがキャスティングされた。

また、民主化運動の核心人物であり在野の人の役にソル・キョング、彼らを助ける刑務官の役にユ・ヘジンが一緒にして、延世(ヨンセ)大正門の前デモの途中警察が撃った催涙弾に合って死亡したイ・ハニョル烈士役にカン・ドンウォン、ガールフレンド役にキム・テリが合流した。 故パク・ジョンチョル君の役はヨ・ジングが引き受けた。

韓南(ハンナム)大関係者は“意味深い日に意味深い映画が韓南(ハンナム)大で撮影されてうれしくて、感慨が格別だ”として“1987が良い映画に完成されて劇場で会うことになるのを期待する”と話した。 

 


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