今日は、刈田享子さんの「日本の心を歌う」町田イタリア歌劇団のコンサートで市民フォーラム。
ここ数年四季折々での開催が定着し、町田イタの、いや町田相模原地域の、風物詩になった感があります。
今回、新たな驚き、というか感動がありました。
刈田さんがプログラム18曲の解説を書いて柴田さんに渡していたということ。
それを柴田さんが洒脱な語り口で話してくれたのだけれど、とても心に残った場面がいくつかあり。
そのひとつが「さびしいカシの木」。
やなせたかしさんの歌詞はこうです。
「山の上のいっぽんの、さびしいさびしいカシの木が、とおくの国へいきたいと、空ゆく雲にたのんだが、雲は流れてきえてしまった
山の上のいっぽんの、さびしいさびしいカシの木が、私といっしょにくらしてと、やさしい風にたのんだが、風はどこかへきえてしまった
山の上のいっぽんの、さびしいさびしいカシの木は、今ではとっても年をとり、ほほえみながらたっている、さびしいことになれてしまった」
遠い国で亡くなってしまった父への自分も一緒に行きたかったという思い。
それから再婚して会えなくなった母への思い。
そして悲しいことにも慣れて普通の日常を送っている自分。
そういうことを表現した歌なんだと。
解説した柴田さん同様、ぼくも、そうなのか、とグッときて。
刈田さんが歌う曲を選ぶとき、その歌の背景や歌詞にこめられた意味にまで思いをはせていることを、今日知りました。
ぼくらが刈田さんの歌に感情移入する以前に、刈田さん自身が作詞家や作曲家に感情移入しているんです。
今日の刈田さんの歌、土屋麻美さんの素晴らしいピアノにのった落葉松までの20曲はぼくの心に深く沁みこんできました。
その理由がわかったような気がしました。
以下は番外編。
高原明兄を探してつもる話がでできたこと。
演出家川島慶子さんや織田麻美さんからノルマの練習頑張ってるの聞けたこと。
柴田さんから、森谷真理さんからオファー承諾を得た、というビッグサプライズを聞けたこと。
いい日になりました。