モロッコでの続きを書きますね〜
モロッコ、フェズにて意識不明になってしまった母を近くの病院へと運びこみました
私達が大きな街のフェズまでたどり着いていたのは、不幸中の幸いだったかもしれません
最初の小さい街だったら、助からなかったかも・・・
そして、この病院の先生が本当にいい先生だったので命拾いしました
すぐに、ICUへ。
そこから、一度は意識が戻り病室へ入るのですが・・・またすぐにICUと戻ることとなり・・
5日間くらいは気がつかなかったです
重度の肺炎における敗血症ショックでした。
もうダメかなと思いました・・
時間になるとかな、イスラム教のコーラン?アザーン?が流れます。
神秘的でした。
私も祈りに祈りました
一生分の涙と、ここに高齢の母を連れて来てしまったという一生分の後悔と・・もうボロボロでした
意識が戻って、私のことがわかったときは、本当に表現できないくらい嬉しかったです
とにかく、病院内はフランス語かアラビア語で、英語が通じる人が少なくて、困りました
しばらくしてから、
病院内Wi-Fiが通じたので、翻訳機能を使うことができることがわかり、助かりましたよ〜
みなさん、とてもいい看護師さんばかりでしたが、
↑ 特に、この私の右に立っている方が、いつも冷静で、
取り乱した私を落ち着かせてくれて、勇気づけてくれました。
本当に感謝しています
そして、
このお二人にも大変お世話になりました
今回の青い街から、フェズまでのドライバーをやってくれた右の彼は、
心配して、仕事が終わって時間ができると病院へと顔を出してくれました。
彼はここが地元で、SAEKO,この病院なら絶対に大丈夫だよ!と、何度も言って安心させてくれました。
モロッコの先生はフランスで勉強された方が多いみたいで、腕がいいらしい。
左の彼は、これから砂漠への旅をガイドをしてくれる予定だった人です。
彼も、私たちの時間が過ぎて他のお仕事があっても、また時間があると顔を出してくれました。
本当にありがたかったです
何度も私に、
「看護師さん達の顔を見て! 彼女たちの顔をみているとママが良くなってきてるのがわかるよ。 安心して! 大丈夫!」
と言って励ましてくれました。
病院寝泊まりしてた時は、お風呂も入らずノーメークのボサボサだった
彼らは、ご飯も食べる気力もなくなりボロボロな私を食事にも連れて行ってくれました。
地元で馴染みのレストランでご馳走してくれました。
満席で人気の店でしたが、この地区に日本人は珍しいらしく、周りのみんなが私をジーーーーーっと見ました。
そこで時々泣きながら食べてる姿は、本当に奇妙に映ったことでしょう・・
そのレストランであった猫。 アラビア語しか通じないのかな?
↑ 私は病院近くのこのホテルに滞在していましたが、最初はみんなクールな感じに思ったけど、
そのうち、レストランの男の子たちや、
フロントの皆さん、ドアマン達、掃除の人まで、み〜〜〜〜〜んながママは大丈夫??と心配してくれました。
特にレストランの子達には本当によくしてもらいました。 感謝です
病院までの道〜
あまり立ち寄れるようなお店はなく・・・
お水を買うのも、ドライバーの彼とかと一緒だと、安いみたいで、
代わりに買ってもらったりもしました。
とにかく、とーーーーーにかく ここは猛烈な乾燥地で、まいりました
かなり乾燥してるから、飴をたくさん持っていった方がいいと聞いていたので、
2袋持って行きましたが、数日で舐めて終わってしまうくらいの凄さでした💧
私も風邪ひいたみたいで、喉もやられてしまいました
タクシーにも乗ってみましたが、
いく方向が同じだと乗せていくみたいな感じの、相乗りタクシーなの。
不思議なシステムで、人が降りたり乗って来たり・・
英語通じない〜金額もよくわからないし、ドキドキでした
天真爛漫な美人看護師のZINA。
いろいろとお話して、仲良しに〜。
明るい彼女にたくさん元気をもらったよ
この辺でもうモロッコに来て10日は過ぎてしまい、
日本へ帰る飛行機にも乗ることもできずとなりました・・・
いろんな方法考えたり、知恵をめぐらせて、とにかく頭フル回転したー!
それでは、また続く〜