豊後森には大きな空と
どこまでも続く線路・・・
駅構内に待つ人もいない・・・
駅のパンフレットには古い機関庫があると書いてあります。
駅から数分で行けるそうです。
それなら行くしかないね。
真夏の真昼、本当にお天気絶好調。
そんなカンカン照りの中、機関庫跡へ。
パンフレットによると、
1934年に久留米⇔日田間の久大線の全線開通を機に
森機関庫(豊後森機関庫)は作られたそうです。
1945年(昭和20年)8月4日、
米軍機からの攻撃で、期間区の助役、従業員の2名が死亡。
機関庫には今もその銃弾の跡が残っている、とのこと。
側までは行かれなかったので、銃弾の跡は見えませんでした。
空は高く、雲がゆうゆうと浮かんでいました。
それほど遠くない過去に少しだけタイムスリップ。
だけど、孫たちには何の感動も呼び起こさなかったみたい。
「もう、帰ろうよ・・・」
「あ、トンボが・・・」
トンボの方が楽しい歳だね。
きっと、いつか思い出すこともあるでしょう・・・
次回には、テンション上がりっぱなしのメインイベントを。
またまたつづく。。。
どこまでも続く線路・・・
駅構内に待つ人もいない・・・
駅のパンフレットには古い機関庫があると書いてあります。
駅から数分で行けるそうです。
それなら行くしかないね。
真夏の真昼、本当にお天気絶好調。
そんなカンカン照りの中、機関庫跡へ。
パンフレットによると、
1934年に久留米⇔日田間の久大線の全線開通を機に
森機関庫(豊後森機関庫)は作られたそうです。
1945年(昭和20年)8月4日、
米軍機からの攻撃で、期間区の助役、従業員の2名が死亡。
機関庫には今もその銃弾の跡が残っている、とのこと。
側までは行かれなかったので、銃弾の跡は見えませんでした。
空は高く、雲がゆうゆうと浮かんでいました。
それほど遠くない過去に少しだけタイムスリップ。
だけど、孫たちには何の感動も呼び起こさなかったみたい。
「もう、帰ろうよ・・・」
「あ、トンボが・・・」
トンボの方が楽しい歳だね。
きっと、いつか思い出すこともあるでしょう・・・
次回には、テンション上がりっぱなしのメインイベントを。
またまたつづく。。。