今日は震災から2年目。
朝からテレビの特番がいろいろ報道していた。
被災地は少しずつ復興へ向かっているのだろうが、
テレビで見ていても、あまり変わったようには思えない。
「不安」はたくさん渦巻いていて、
この場所で子育てできるのだろうかとか、
仕事はどうすればいいのだろうかとか、
仮設住宅から出て行ける日が来るのだろうかとか、、、
また、福島では原発の廃炉作業の問題など
私たちが自分たちの世代で解決できるのかと
疑問はたくさんあり、
未だに隠された事実もあるはずで、
また住みたいと思い続ける人々に
諦めさせることも必要なのではないかと
遠くの地で、ただ何もせずに思う。
そんな自分を卑怯に思い、
だけどそれでも何をするでもなく
傍観者のままここにいる。
あの日、私は今日と同じように
デイルームで利用者さんにお茶を出して
長閑な午後にいた。
お茶が終わってテレビを付けてみたら
何やら大変な事になっている事が分かった。
津波が押し寄せる中、逃げ惑う人々が
映像に写し出されており、
まるで映画のようでただぼうっと眺めていた。
今日、黙とうの時間、
あの惨状を思い出していた。
地震と津波の怖さを改めて知った日だった。
そして、原発の負の問題も。
どうなんだろうか?
また再稼働すべきなのだろうか?
もっと考えるべきなのではないのだろうか。
これもまた、傍観者のつぶやきにすぎないが。
朝からテレビの特番がいろいろ報道していた。
被災地は少しずつ復興へ向かっているのだろうが、
テレビで見ていても、あまり変わったようには思えない。
「不安」はたくさん渦巻いていて、
この場所で子育てできるのだろうかとか、
仕事はどうすればいいのだろうかとか、
仮設住宅から出て行ける日が来るのだろうかとか、、、
また、福島では原発の廃炉作業の問題など
私たちが自分たちの世代で解決できるのかと
疑問はたくさんあり、
未だに隠された事実もあるはずで、
また住みたいと思い続ける人々に
諦めさせることも必要なのではないかと
遠くの地で、ただ何もせずに思う。
そんな自分を卑怯に思い、
だけどそれでも何をするでもなく
傍観者のままここにいる。
あの日、私は今日と同じように
デイルームで利用者さんにお茶を出して
長閑な午後にいた。
お茶が終わってテレビを付けてみたら
何やら大変な事になっている事が分かった。
津波が押し寄せる中、逃げ惑う人々が
映像に写し出されており、
まるで映画のようでただぼうっと眺めていた。
今日、黙とうの時間、
あの惨状を思い出していた。
地震と津波の怖さを改めて知った日だった。
そして、原発の負の問題も。
どうなんだろうか?
また再稼働すべきなのだろうか?
もっと考えるべきなのではないのだろうか。
これもまた、傍観者のつぶやきにすぎないが。
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