No.34 シカ管理専門員と歩く 奥日光 2023.06.10
普段、一般の人が立ち入ることのできないエリアを含む「シカ侵入防止柵」に沿って歩いてきました。奥日光ビジターセンターのイベントです。
「どうするシカ問題」という何やら難しそうなタイトル。にもかかわらず、総勢12人、内専門員が4人なのでほぼマンツーマンに近い密度の濃い観察会となりました。
今までごく当たり前に自然と接触してきた私たち、山に入れば「自然っていいね」 とか 「うわーきれいっ」 とか 「素敵!」とか、自分にとって居心地のいい場所に身を置き、安らぎや癒しや思考など、非日常的なかけがえのない時を享受してきました。
今回の観察会は、そこから一歩踏み込んで 「この自然大丈夫?」 「いつまでこの景色見られるの?」 「この先どうなってくの?」 という視点で足元を見つめてみようという試みでした。
ビジターセンターが主催するイベントには、これまで随分と参加して楽しい時を過ごしてきました。その中にあって今回の “シカ柵問題イベント” は、従来とはかなり違った雰囲気を同行したメンバーから感じ取りました。それは、専門員との質疑応答、参加者同士の会話の内容、どれも専門性の高い内容を含んでいて、しかも活発に行われていたことです。
自然環境に対する意識が、徐々に一般の人たちにも高い関心をもって受け止められるようになったのだなと、あらためて思いました。
さて、肝心のシカ問題ですが、これはこのブログで紹介できるような簡単な内容ではありません。たくさんの論文が全国の関係部署や大学の研究として公開されています。
とはいえ、奥日光におけるシカ問題、そのアウトラインだけでも押さえておくために、以下、自分なりに箇条書きにして整理しました。(主に「奥日光のシカにまつわる話」ビジターセンター資料より)
①奥日光のシカの動き
冬:限られた餌を求めて、比較的雪の少ない足尾や男体山、女峰山,太郎山な どの南面に。
夏:温暖化の影響もあり、生息域は尾瀬からさらには新潟県内にまで。
春~初夏、秋:奥日光はもちろん、生息域は栃木、群馬の両圏域にまたがって。
②いつ頃から増えた?
1980年代後半から増えて1990年代以降急速に増加
理由:1984年の大雪で大量のシカが死亡したが、生き残ったシカは、
その後の積雪量の減少などにより、エサも豊富になり、繁殖旺盛、急速に 増加
③どうして増えた?
・地球温暖化により積雪量が減少したことや、狩猟者の減少。
・シカの高い繁殖力
・なわばりを持たないため、エサを求めてどこへでも進出する
・天敵オオカミの絶滅のため、捕食動物の不在
・緑化事業や植林により、エサとなる植物の増加 などなど
④シカが増えすぎるとどうなるの?
・シカの嗜好性植物は減少し、反面、不嗜好性植物は増加。植生の偏りや植物を利用する昆虫にも大きな影響を及ぼす
・樹皮剝ぎによる枯れ死、幼木も食害に遭い育たない
・下層植物が無くなり裸地化が進行、土壌の流出、土砂くずれ などなど
ちなみに 日光白根山といえば あの花 「シラネアオイ」
1科1属1種の日本固有種ですが、シカの採食により消失しているとのことで、
いま、山を歩いていてこの花をみることはほぼ皆無。
秘密の場所で、保護育種されているようです。
私のお気に入りのハルニレの木も、シカの採食により一定の高さ以上に成長できないという報告もあります。
奥日光では、シカの忌避植物としてカニコウモリ、ヤブレガサ、シロヨメナなどのキク科植物が挙げられていて、茨城県北で見受けられるヤマタイミンガサもキク科であることから、好んで食べるものではないとの見方もあるようです。ですが、国内の他の地域(丹沢山周辺)では、シカの採食によりヤマタイミンガサが減少して、かわりにオオモミジガサが増大しているとの報告もあり、正確なところ、何が忌避植物で何が嗜好性なのかは、よく分かりません。
今のところ、シカ害に関してそれほど問題視されていない(と思っていますが)茨城県にあって、いざシカ侵入となったとき、温暖で雪もなく、植生豊かな地域だけに穏やかな気分では居られません。
移住して定着生活にうってつけの場所 “茨城県” シカにとっても同じこと!
一方、今は、我が物顔でテリトリーを独り占めしているイノシシにとっては、さて、安泰でいられるかどうか?
縄文人とシカ
縄文人がどのような哺乳類(陸生)を捕っていたかというと、種の数としては70種を超えるそうです。そのうちイノシシとシカ(ニホンジカ、エゾシカ、ニホンカモシカ)がその主体を占めていて、特に東北や北陸などの積雪の多い地帯では、シカの比重が高いとのこと(イノシシは短足なので積雪量の多いところでは生息しにくい)。
狩猟の方法としては、イノシシもシカも主に弓矢。硬くて弾力のあるカシ材やイヌガヤ、マユミなどを使い、長い弓では150㎝前後,短いもので80㎝位。矢先には黒曜石やサヌカイト、頁岩など鋭利な石鏃を使用。
北海道キウス遺跡では、エゾシカを捕獲するためのわな猟の一種、誘導柵が発掘されています。
捕獲した獲物は、食用とするほか、毛皮は衣服、骨や角は道具類(釣り針、縫い針、鹿角斧、漁で使うヤスなどなど生活実用品、装身具としての髪飾りなどなど)、とにかく多様な使われ方をしていた、無くてはならない必需品。
縄文時代、量的にはどれほどのシカが生息していたかは分かりませんが、人口密度に比して相当数の頭数が生存していたのではないでしょうか?
ちなみに縄文中期(おおざっぱに約5,000年前)、人口密度が一番高かったとされている関東では95,400人(2.98人/1平方キロメートル)、東北では46,700人(0.70人/1平方キロメートル)なので、縄文人が生活するには十分な頭数を確保できたのではないでしょうか。
ま、そんなこんなでいろいろな意味で、今回、様々な問題点を考えさせられた「シカ柵問題」イベントでした。
これからの自然環境を見つめる、その意味でとても重要な試みのイベントだったと思います。
またしても長文になってしまいました!
今日は日曜、そろそろ日没
さあ シャワーを浴びてビールでも... ういっ !
茨城県では、近年、県北を中心に目撃や捕獲されています。
また県南でも目撃されており、これは日光方面から来たのでは、と推測されています。
一旦定着すると根絶は難しいでしょうから、早い時期に手を打ってほしいです。
先日もインストラクター仲間でヤワタソウを探して、県北の林道を歩いたとき、一軒家のお婆さんが家の周囲でシカを2回目撃した、と言ってました。
この日、打越さんは健康診断の前日ということで参加を見合わせましたが、結果は健康優良児でしたか?