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破滅に向かう核兵器に対して、「時」は味方していない。

2015-09-03 | 社会問題
「時」は命から生まれるように、時間は歴史から始まるものではなく、その流れを死の恐怖で管理するものでもない。

命の誕生はもちろん女性から生まれるものであり、その「時」を終わらせようと時間を浪費する者が好む核兵器である。

母から生まれて母殺しで終わる人類の英知は、地獄での終末論への結果に男性社会は活気づく。

生みの女性と、殺伐とする男性との未熟な社会関係では子供は単なる道具でしかない。

実際、世界の大問題には社会を支配する男性の力量と変革が問われているのが現状だ。


新しい生命の誕生は、最初の時間的運動の結果であり、社会現象に由来する性別の多くには男女関係に大きく影響し相互に連続性という継続と反復という関係によって結び付けられている。

次々に生まれ育てられる母とその子どもたちは、それぞれにばらばらの個としての社会的存在ではなく、国家にとっての重要人物なのである。

この重要人物に対して国家の態度は生命誕生の保護と先行投資にあるが、その担い手がお年寄りの知恵と女性の愛情である。

部性的な理念を尊重する者はお年寄りであり、全体的な理念は女性だけではないのだから、私達が間違っているとしたら、その人間学と社会学との関係性を正せば良いだけである。

命の連鎖は、第二の行為が第一の行為をより以前の時間に移行させられるので、一方で過去という理念を生むことによって、復讐や憎悪を形成させ、また他方で、生殖行為の習慣による繁殖の悪用が行われることによって、毎年行われる行事が戦勝記念軍事パレードとなるのである。

生命を管理する支配と核兵器の関係は次の通りである。生命を管理する場合、核兵器最終所持者が出発点になる。支配の場合は逆に、最初の核兵器取得者が出発点になる。この出発点と到着点を管理する者が女性であるなら世界の悲劇は免れるかもしれないが、闘争本能が支配していては元も子もない。

生命を管理する支配関係には母性的種族が対応し、その他の権利と発展には父性的種族が対応する。母性的種族の関係は社会継続であり、そのすべての女性構成員は生まれた時から連続的に繋がっている。

生命の管理を計算する場合、核兵器最終所持者から遡って因数分解して行くように、母系は複数の国民不安を重視するのではなく、多数の権利の場合のように、一つの大きな世界的安心に絞り込む防衛論から個人的防衛論へと拡大する。

核兵器の一致は決して偶然に成されることがないように、エントロピーは元には戻らない。

生命の管理はその事実的物質的な性質を女性原理と共通にしており、恐怖による支配は形相ないし形式付与原理という一度壊して造り直す破壊的な性質を男性原理と共通にする。

それゆえ母性社会との共存は全ての関係性を必然的に、むしろ社会秩序的性質を帯びていることになる。

それというのも、物質が支配的であると考えられるところではどこでも、必ずこのようになるからである。

特に法的人格が拡張され個人の自由を継続するという理念は、純粋な女性社会に適ったものであり、男性支配では自由は与えられないということになる。

このような人類の承継と大いなる連続性との理念は、精神的な母性社会に由来し、それを応用し初めて男性たちの科学の偉大な成果となる。

国家繁栄と存続は衰滅とか死という観念の恐怖に依拠しており、それに伴い闘争本能は生きるか死ぬかの生存競争の継続という観念の恐怖に依拠している。

核兵器社会の相続人は男性支配だけでは自由が与えられないのと同様に、相続人の母性人格を持って承継し、自由の権利をその人格者の権利のうえに基礎づける。

一つの母国の核兵器を中止すると、自ら核兵器を開始するのが男性的であるから、核兵器の有効利用を導くならば、世界中に存在する核兵器の統一による世界統一を導き出す。

決闘で勝利を治める者が自らの権利の根拠とするのは、継承の継続ではなく、破壊による死である。

最終の核兵器所持者は一連の大義名分を持つが、継承人は一人としてそれを持たない。彼らを結び付ける唯一の絆は、全員が自らの支える支配関係に対して等しい関係に立っているということである。

核兵器による正当な権利請求の解決は、常になお完全に物質的、事実的法原理に服している時代に終わりの祈りを啓示している。

暗く恐ろしい核兵器の掟として人間を支配する段階である。一つの原理つまり物質の優位から、これら太古の歴史と社会現象は全て帰結している。

核兵器が支配する暗い時代こそが、女性に「優位」を与え、残虐な血による復讐だけを知り、決闘しては共倒れを繰り返し、何もかもが闘争本能の掟に従い、死の恐怖に脅えていた時代から、女性たちの存在価値が育まれるというのも、皮肉な話である。

これまでの世界秩序とは一体何だったのだろうか。支配する者だけが幸福に生きられる仕組み。あらゆる不幸を絶望的に耐えるしかない時代、自ら選択することなく後悔に老ける時代、私達は世代として連続することなく、ただ個々に個人の死などその他同然に忘れ去られてしまうだけの時代であった。

自由で平和な母なる法の下では、核兵器の恐怖に囚われない、自由な精神的生活と男女による共存社会に目覚めることによって母性原理の意向が男性原理の社会から始まるネクストステージである。