酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

現代の宗教は混乱する男性社会の発展の為のものだが、未来宗教は女性たちの手の上で統一する。

2015-09-09 | 社会問題
現代宗教の行き詰まりも現代社会の行き詰まりと同様に、男性支配の行き詰まりに原因がある。

女性とって何だか違和感のある現代宗教は、元々男性支配時に出来た宗教観念であるから、日本人の目から見ても、現代宗教には何ともし難い違和感を感じる。

ゾロアスターで始まる現代宗教に足りないものとは、女性であり、やはり女性たちが悉く支配された世界観でしかない。

男性世界と支配関係を描く現代宗教の概念は、ある意味統一性を表出する総合的機能を提示していて、これには一種の分析的機能が建て前とされている。

それは残虐な歴史や従順な階級制といった概念に対立することで支えられている時代錯誤であるばかりではなく、解釈学的な誤認でもある。

近代社会の進んだ主観性の条件の元で、ようやく社会は目に見えないものを信じることを止め、もはや直接的なもの、確定的なものをあの世的な代理を務めるものではなく、そういった主観的なものを視野に入れて準備するのが合理的だということが神の意思にかなうのではないかと感じ始めているのである。

男性社会の終末論は、単に観察することに喜びを見出しているだけでもあるが、これは根本的には救済に関して、もはや自由にならないものの安易な娯楽の言い訳でしかない。

終末論の楽しみ方の一つには、その歴史の現場に居合わせることができなかった者であらざるをえないと、そういう形でしか歴史は彼らの対象にはなれないからだが、それとは違った形で歴史との直接的な結ぶ付きを楽しむべきが、男性支配に背を向けることにある種の混乱と歴史的価値の否定が見出されるのである。

神の名にかけて誓うが、神は決して男女差別はしない。神が創り出した性別にケチをつけるとは何様だ。

万人にとっての真なる宗教とは、可能な世界の中で最良の世界を実現させる為に、全ての物事は最良の状態にあるはずだ、という前提から出発する体系を継続する為に、これはダメあれはダメと規制を設ける消去法でもあるが、実際に行っていることは叡智による融合ではなく、力による支配でしかない。

事実、世界が偶然に生じたということに対する反証が提示される時代はいずれも不透明で理解しがたい物語によるものが一般的だ。

一番大切な個人が全体主義的に犠牲を強いる構成部分やそれらの単なる総和や全体を優先させる考えを導入した大智は認めるにしても、特に人間の理性に関しては、その完全性は個々の世界そのものよりも完全であるはずがなく、個人を認識することが、理性の役割でもある。

女性的比喩と社会での自己中心的主義者たちの目的はいつまでたっても幸福と結び付くことは決してなく、祈りや感謝はいけにえに対する慈悲深い言葉にさえ聞き取れる。

いかなる平和主義論者とも決定的に違っているのは、女性の感性が欠けているのに称賛するのは女性達であったかのように、私達が犯す社会の不道徳は直接女性たちに影響を及ぼし犠牲を与えているのに対して、宗教支配としての男女関係は、手段であって目的ではなく、全てを引き受けがたい唯一の分別ある受取人として利用できるものであるその範囲での活用でしかない。

宗教の戒律や啓示に耳を傾けることに基づく根本真理にいかにして到達することができるのかという問題を解かなければならなかったのかが、それゆえ男性的精神の形成過程を、五感という低次の形式から高次の形式への変容して象徴化し、確信を与える形式とすることが出来るどころか、対立を生み出し、分裂するにしても、それは結局、男性固有の内容を持ち拡大された領域を抜け出せずに開拓などできるはずもない。

本来、宗教とは世界に広まるものであるが、そうならないのは力不足が原因ではなく、男性支配に問題があるからだ。

実際、何千年も続いた宗教に女性が代表になれない理由をどう説明するのか。そしてその説明が現代社会における女性差別の理由であり根本原因である。運命を決定するとされるものには実態がないのがそれである。

男性宗教の因果関係に従えば、それは厳密な意味では、霊知的ではなく運命的でもなく、人為的な搾取的である。まして正義とは一切無関係だし、個人の特殊性、天才的閃きとも無関係だと言える。

この世界には原因と結果とはまったく違った別の神々しい関係、すなわち三位一体的な相互依存関係というものもある。

個人の宗教観念はそれぞれの本質に従って完成し、自分自身の活動における他者と協力し合うようにできているはずが、支配的で差別的な意思が組み込まれ、私達が現在、神を象徴的と呼ぶことになる状況は、このような現象と理解を前提としている。

経験的で直接的に接近不可能な事象が他の事象を、つまり知覚できない本来の社会現象を、因果的な責任を負わすことが出来ないように、それを指し示すことが出来ないでいる。

どの宗教法人であっても、どちらの事象も法則、道理、神の概念による共通の根源から生じ、これを唯一絶対神的に発展させているので、共時的には一方が他方の神を侮辱したことにつながってゆく。

この始まりは世の成り行きを通り抜ける始まりに過ぎないかもしれないが、決定論と思われている現在の宗教観念によるものでは、人間の唯一の絶対的真理による啓示が宗教観念によって見出だされにくく、精神と魂の関係では存在と生成の関係に等しくなるあの、霊性による霊知にのみ達成されるものが、それを叶える一部の男性たちと、グレイトマザーである女性たちなのである。