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正しい宗教観とは何か。一時的な男性崇拝はあるにせよ、社会体制でもそうあるべきなのだろうか。

2015-09-10 | 社会問題
宗教の自由は好むと好まざるとに関わらずに、矛盾する社会を幸福に生き抜くための一つの手段であるはずが、何時からか信者の確保と管理体制が目的とされている。

不安的な社会体制と、自ら考えるのを放棄した者たちにとっては、宗教は格好の隠れ蓑であるが、開祖や教祖にとってはいい迷惑である。まともな信者は僅かしかいないのが現状だ。

理想と現実との分化がいかに苦難に満ちたものであろうとも、またその継続がいかに長い道のりであったとしても、宗教は人間が考え出されたものであり、最初から原型があった訳ではないと考える傾向が女性たちにやがて生じ、その結果、女性たちの自立性や拘束性は犠牲から解放へと向かうようになる。

女性思想によって初めて現実のものとなる世界統一が、支配的で複雑な現代社会から選び出されたものに留まると言われている訳ではないのだが、それにしても現代思想の観念は現代思想の脱却の前提として、その動因である。

宗教観念は不可視なものの中にある可視化がもはや継続不可能な現象の崩壊による混乱する現象になる時に初めて、証言される。

男性の特別な地位が崩されて平均化されてしまわない為には、現代宗教以外の普遍性に自然界との自己啓示という異質な表出関係を無理やり引き受けさせねばならない。

社会現象と宗教概念の説明不足的な形而上学を打ち切って、自然とその根源の理解の為に私たちが共存的と呼ぶことになる関係性に優先権を与えることに成功していなければ、自然と言う母なるものは必然的に重要視され、その全ての対象に向かう方法は、もっぱら形態に即したものによって成されてゆく。

表現を変えれば、世界最古の宗教は女性によって生じたものであって、直観的に生じたものではないというところに理知の価値がある。

現代宗教の基準に従えば、世界は命令によって生じたものであって、技術の力と頭脳を用いた創造行為によって生じたのではないということになるが、それは今後の女性思想によって具体的な体系に合わせられてのことである。

創造の行為には普遍性が見本であり、仮説と案出による創造が一つになるやいなや、社会は原理的にも上部から押さえつけることが出来ない事実になってゆく。

宗教は本来、世界の救済にとっての最大の敵を攻撃すべきなのに、その攻撃を自らも共に受ける事になる。

それと同時に、歴史的に解釈すれば人間の好奇心の領域を開き、それを正当化し、宗教社会に偏った固有の創造性の土台を準備することになる定義も出来上がったのである。

私たちにとっての宗教は鏡であるとして、世界はあらゆる創造されたものには、いわば現実社会のようなものに、私達にとっての鏡であると言われる。

それゆえ、その鏡の中に映し出される現実をありのままに認められるかどうか。男性社会の有り様を、宗教よ、認めよ。そしてそれを自らのことだと知れ。

比類のない現代社会の方法は、人間が地球のガン細胞であるということを単に証明することから離れて、創造者の意味するものからその宗教社会を推定することを可能とみなす点において、男女共存社会の方法となる。

全てについて判断を下すことが出来る知性的な人間は、女性宗教の外部的な美しさの中にその創造者の驚異すべき内的な英知を見て取るとされる。

愚か者はそこで外面的な形態だけに感心するのに対して、賢者は外側から見えるもののその内部に真の英知の深い真理を思いやるのである。

女性宗教はその能力の統一を自らの形式の多様性の中で繰り広げる時、生命を生み出す大自然の法則である母なるものの様に振舞う。

現代は男性社会の行為とその歴史以外に、何に基づくべきなのか、よく分からない。現代社会を賢く学べば学ぶほど、頭が可笑しくなってゆく。

男性社会と女性社会との間にある何の注意も払わなくても構わないような救済の変更不可能な決定性は、それゆえ見直されなければならないのである。